25年目の弦楽四重奏のレビュー・感想・評価
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老人は知っている いつ自分が死ぬのかを
ストレートに見ると
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調」作品131
が嫌いになりそう。
この演者達は演奏する演技が下手。楽器が弾けないのは仕方ないが、弓の扱いと音がズレている。勿論、演出家の責任である。
ストーリーは、男の言い訳の様な話。
第一第二バイオリン、どちらも賢明な男ではないと仮定すれば『誰がこのカルテットを駄目にした確信犯か?』が分かる。最後に髭を剃る場面がそれを表している。
兎に角 一見
男目線の言い訳ストーリーなので、
『人は老人が死ぬ事を望む
人は老人の死をあまり悲しまない
老人の場合は違うのだ
人は老人を見ていつ死ぬのかと思う
その時が来ても驚きはしない
たが、老人は知っている
いつ自分が死ぬのかを』
と言う詩を強調して貰いたい。そうではないと、この映画の真のモチーフを、見誤る事になる。
付け加えて申せば、クラシック音楽と言っても所詮『古い西洋音楽』に過ぎず、哲学を語りすぎると私は日頃から感じる。病気を隠したり、ベートーヴェンの自伝を読まないで演奏しても、分かる鑑賞者は少ない。
しかし、
パブロ・カザルスや作品131をモチーフの為に使うのは良いが、作品や人物を理解した上で使って貰いたかった。パブロ・カザルスはヨー○ー・マとは違う。 勿論、演奏家としてではなく、人間としての業績。
カルテットの良さは伝わらない気が…
メンバーの1人がパーキンソン病と診断され、そこから長年組んできたカルテットの人間関係が崩れてゆく話。
これを機に第一バイオリンが弾きたいとか、浮気してしまうとかはまだ理解できる範囲のエピソード。
個人的に一番嫌だったのは、メンバーの娘と恋愛関係になるところ。しかも、アレクサンドラの方から積極的に動いていながら結局すぐにカルテットを守るためといって関係を終わらせてしまうし。
もう一つ気になったのは最後のコンサート。
いくらなんでも演奏途中で止めるというのはプロとしてどうなんだろう…
第1・第2は順位じゃない。役割が違う。
映画「25年目の弦楽四重奏」(ヤーロン・ジルバーマン 監督)から。
弦楽四重奏は、弦楽器4本の合奏形態であるが、主に
第1バイオリン・第2バイオリン、ビオラ・チェロ。
この程度の知識で観始めたが、大きな勘違いに気付いた。
2本のバイオリンは、2人で同じ旋律を演奏し、
演奏技術の順位だと思ってたいたから・・。(汗)
作品中、第2バイオリン演奏者が、ある女性に言い放つ。
「第1・第2は順位じゃない。役割が違う」。
「どう違うの?」と彼女が訊ねる。「主旋律を弾いたり、
その下だったり。ソロ的な要素の第1バイオリンと、
水面下で豊かに流れるビオラやチェロを第2がつなぐ。
みんなをつなげるのが、僕の仕事だよ」と誇らしげに答える
第2バイオリニストが印象的だった。室内楽形態の中で、
ピアノ三重奏は三者の競い合う性格が強いのに対し、
弦楽四重奏は四者が協調して一つの響きを作る性格が強い。
だから、調和役ともいえる第2バイオリンの役割が大切、
「僕がいないと退屈な三重奏団だ」と言いながらも、
思いっきり「旋律」を弾く第1バイオリンへの想いもある、
その葛藤が、とてもうまく表現されていた作品である。
「第2バイオリンの演奏が、色彩、質感、リズムを与える」
「第1バイオリニストを引き立たせ、決して自分は前に出ない」
「たとえ第1が優秀でも、第2の質によってより際立つんだ」
そんなフレーズが印象に残った。
機会を見つけて「ベートーベン弦楽四重奏曲(作品131)」、
聴いてみようかなぁ。
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