「心というものに向き合ってみたいと最近思い始めた方には、手頃な入門ムービーとなることでしょう。」BUDDHA2 手塚治虫のブッダ 終わりなき旅 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
心というものに向き合ってみたいと最近思い始めた方には、手頃な入門ムービーとなることでしょう。
前作ではブッダの物語が、こころの内面の苦からの解放を描くことよりも、奴隷制度という社会的な苦しみからの解放という唯物論寄りの解釈が軸になってしまったという点と身分制度への疑問が主になったため、隷からコーサラ国の勇者にのし上がった、チャプラという架空の青年に寄りすぎてしまい、釈迦となるシッダールタ王子の心象が殆ど描けていませんでした。
今回は、シッダールタが苦行の果てに中道の悟りを得るところまで描かれます。仏教の立場からのコメントはあとで詳しく述べますが、仏教の知識のない一般の映画ファンやアニメファンに、中道とはなんぞやという難しい概念を分かりやすく伝えている点と、そこへ至るシッタールダの思いは、前作よりもかなり改善されいていたと思います。
前作は、東映の岡田社長の肝いりで三部作がスタートしただけに、やや興行的な受け狙いの面が強かったのだろうと思います。監督交代した今回は、原作に忠実に描こうとしたスタンスは評価できるのではないでしょうか。
まぁそれにしても、前作に引き続き、声を担当するのは吉岡秀隆に、吉永小百合、松山ケンイチなど日本映画を代表する俳優陣が結集し、東映のメンツをかけて東映アニメが作画を手掛ける作品とあって、アニメのクオリティは「贅沢」と形容していいほどに高い作品です。
物語は、シャカ国の王子という身分を捨てて出家し修行の旅に出たシッダールタは、未来を予知できる少年・アッサジや自らの目をたいまつで焼いた男・デーパ、幼いころに城の外で出会ったタッタ、かつてシッダールタと思いを通わせながらも身分が違うため引き裂かれたミゲーラらと出会います。
旅の途上、飢えたオオカミたちに自ら命を差し出すアッサジの姿を目の当たりにしたシッダールタは、弱肉強食の業の生業からわが身を断つべく、デーパの案内で苦行林に向かい、過酷な苦行に身を委ねることに。
一方、大国のコーサラ国では、奴隷の身分の隠して王妃となり自分を生んだシャカ族出身の母親を恨んでいたルリ王子が、母親を奴隷部屋に閉じ込めた上で、シャカ国へ進攻し攻め滅ぼしてしまいます。
それを知ったシッダールタの動揺するさまなどは省略されているところが気になりますが、一層の苦行に打ち込んで、生死の境を彷徨うのです。周囲の苦行者は、そんなシッダールタを究極の苦行者と賞賛するものの、川で力尽き流されたシッダールタを救い出した若い女性の村人から差し出された一杯のかけそば(^^ゞならぬミルクがゆを味わったとき、シッダールタは大切なことに気づくのでした。
肉体を痛めつける苦行も、快楽に流されるままの欲望も、どちらも両極端が良くないことなのだ。その時々で最善となる中道のなかにこそ、自分が求めていた悟りがあったことに気づくわけです。中道とは決して、足して二で割るとか清濁併せのむような曖昧な概念でなく、刻々変わる出来事に対して、心を強く持って、両極端にぶれず、最適となる正しい判断をしていくことだったのです。
物語に登場する、やがて弟子になるタッタやシッダールタと恋をし目を潰されたミゲーラ、苦行一筋のアシタ仙人の弟子ナラダッタと肩目のデーパ、予言者のアッサジ少年は全て物語を面白く作り上げるための創作だそうで、必ずしも仏典どおりではありません。
とくに仏典に登場するアッサジは、御釈迦さまの一番目の弟子で、今回の出家成道までのストーリーには欠かせないエピソードの主人公なので、架空のアッサジ少年よりも、本来のアッサジを登場させてほしかっです。
彼は、シッダールタが悟りを開かれ苦行林を去ったとき、「太子は苦行に耐えられず修行をやめた」と疑い、シッダールタの元を去ってしまったのです。のちに戻ってきて、成道後に最初に説法した五比丘の一人となりました。アッサジの疑問を通じて、お釈迦さまの悟られた内容がもっと伝えられたはずです。
2500年前に悟りを開き、現在に至るまで世界中の人々の心を救い続けている、実在した人物としての仏陀を描いたものとして観ると、問題が多々あることを指摘しておきたいと思います。
苦行を通して仏陀が得た悟りは、「すべての生き物は、食物連鎖でつながっている。人はいつか死ぬが、命はつながっている」という程度の内容になっています。しかし、これでは理科の教科書に書いてあることとほとんど変わらず、とても「悟りたる者(仏陀)」とは言えないでしょう。そんな簡単な道理のために、シッダールタは城を出て、人間の真の幸福とは何かを探る真理探究の道への旅に出たのでしょうか?
また前途した「苦楽中道」の悟りでも、ほんの一言しか出てきません。
さらに、一番大切な菩提樹の元で悟りを開く降魔成道のシーンが欠けています。本作にも精霊のようなものは描かれてはいますが、輪廻転生や霊の存在、そしてシッダールタを修行をやめて家族のいるシャカ国に戻るように誘惑して悟らせようとさせない悪魔の存在など、霊的なことが一切描かれていないのです。「苦楽中道」の悟りよりも重要なのが、その悪魔をくだして人類に真理を説く道を選択したことが、その後の仏陀となられることにおいて、決定的に重要なシーンなるはずでした。
とても「仏陀の悟り」とは言えないレベルの内容ですが、そもそも原作のマンガで描かれている悟りも同程度であり、アニメという制約もあって仕方ないのかもしれません。
また原作と比べても、戦争や殺戮、病気や貧困にあえぐ民衆のシーンがやけに多いことも気になります。
但しそれらを外して、アニメ作品としてみた場合、趣向を凝らしたドラマチックな演出が目を引きます。キャラクターの心の内など感情を繊細に描きだす映像、特に多彩な光を活用した演出が情緒を生み出し、重みのある数々のせりふとともに物語をあざやかに彩っています。仏教に関心がない人でも楽しめる仕上がりです。
加えて、スピリチャアルな雰囲気を醸し出すビジュアルも、それぞれの人物像を印象深くしています。例えば、母親殺しのルリ王子にまつわるエピソードも深い悲しみと苦しみにあふれ、涙なしでは見られことでしょう。アッサジ少年の愛嬌たっぷりのキャラは、深遠なテーマをはらんだために、重厚になりがちなストーリーの肩の荷を、すっと降ろしてくれます。そして何より、シッダールタを語る吉岡秀隆の語り口は、誠実さに溢れ、若き日のお釈迦さまの声にふさわしく感じられました。さらにシャカ王国の攻城戦の戦闘シーンの迫力もよかったです。
あと主題歌「Pray」を歌うの浜崎あゆみの曲も、静かな感動を与えてくれました。彼女はこの作品のために、原作を全巻と台本を読み込み、歌詞を書き下ろしたというから、思いが唄にこもっていました。
仏教をかじった人には、ダメ出しのオンパレードでしょうけど、心というものに向き合ってみたいと最近思い始めた方には、手頃な入門ムービーとなることでしょう。
映画をご覧になって、もっと仏陀の悟りや仏教について知りたいと思った方は、大きい本屋さんの宗教書コーナーへ出かけられて、何冊か入門書をペラペラとめくられることをお勧めします。