「天皇陛下の戦争責任を問う」終戦のエンペラー 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
天皇陛下の戦争責任を問う
原作は仏文学者・鹿島茂のノンフィクション
「天皇とマッカーサー」をもとにしていて、カズオ・イシグロと
フィリップ・ワイリーが、脚本を書いている。
主人公は実在の米軍将校ボナー・フェラーズで、
彼が、昭和天皇を戦犯として裁くことを回避するために奔走する姿が
描かれます。
《天皇の戦争責任を問えるか?》
これがこの映画のテーマです。
そしてもう一つのサイドストーリーは、フェローズと日本人女性あやとの
ラブストーリー。
あやを演じたのは、「名もなき者」でもエドワード・ノートンの妻を演じた
初音映莉子、この時、30歳になるかならないかの堂々たる演技。
この話しは要らない、とも感じるが、このサイドストーリーがなければ、
連合国が日本の戦犯を裁く・・・
殺伐とした娯楽性も華もない歴史検証に過ぎなくなる。
ここはひとつ我慢するしかない。
戦争責任、
敗戦国のみが全責任を負わされるのには、いささかの不公平感が
つきまとう。
フェローズが天皇・裕仁に会おうとしても、宮内省側は
決して面会させようとはしない。
★天皇は確かにこの戦争を承認した記録がある。
それは天皇の意志なのか?
単に事務的な形式なのか?
★天皇とは軍法会議で決定した事柄に抗う戦力を持つものなのか?
天皇制度2000年の歴史の中、培われたさまざまなしきたり。
現人神(生きている神)と崇め立てられ、その実は何の自由も
楽しみもない。
しかし軍が作り上げた虚像により、
「天皇陛下万歳‼︎」
そう叫んで兵士は死んだ。
“カルト教に似ている“し、“アラーの神にも似ている“
特攻隊は、自爆テロというと悲しすぎる。
戦前の日本はわたしにも想像の付かない危険な国だったのか?
天皇陛下は原爆投下後、戦争の終結を強く望み玉音放送で国民に
敗戦と終結を自らの言葉で伝えます。
フェローズの尽力で、マッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)
と、天皇陛下の面会が決まる。
マッカーサー元帥と昭和天皇が面会したのは、
1945年9月27日のことです。
天皇陛下がアメリカ大使館に出向く・・・非常に異例なことです。
そこで話し合われたのは、戦後日本復興の道すじ。天皇は
日本の平和と安定を強く願う姿勢を示し、マッカーサー元帥は、
日本の民主化を支持する考えを伝えました。
ここに人間天皇が生まれたのです。
フェローズの一連の調査は終わり、結論は天皇が戦争を先導した証拠は
見つからない・・・でした。
アメリカは天皇制度を壊して起こる混乱が復興の妨げになると
判断したのです。
1945年8月14日から15日早朝までの、
天皇が玉音放送をして戦争の終結を伝えるまでの一日間を描いた
「日本のいちばん長い日」と共に、この映画も価値ある作品。
もしかしたら、天皇陛下が戦犯として裁かれたかも、
知れなかったことは、知っておくべきかも知れない。