「オフ・ビートな自伝映画で、どこからどこまでが?」ルノワール 陽だまりの裸婦 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
オフ・ビートな自伝映画で、どこからどこまでが?
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この映画の中で自分の息子が舞台俳優をしていて、それをピエールがディスる。
『役者では将来に残るものは作れん』
『記憶には残るわ』
『当てにはならん。人が作った椅子と比べればな』
つまり、後の世に残す作品を残さねばならんっていう事。 さて、さて。
本日(2024年2月2日)は東京都美術館へ『印象派 ウスター美術館所蔵展』を見に行った。凄く混んでた。一通り見て、等伯を見に東博へ行ったら終わってた。仕方ないので、ZOOへ行ってパンダを見に行ったら、そこも混んでいるので、雷鳥と野鳥を見て帰って来た。
学校の図書館司書の女性に男子生徒が
『この図書館には成人向けのエロ本ないんですか』と聞いてきたそうである。彼女真面目に答えたそうな。
『ルノワールなんていいんじゃない』
実は僕の正式な性の目覚めはルノワールの『大水浴図』である。小学校5年生の頃で、ハレンチ学園にハマるが、カバゴンに幻滅して、性の対象を絵画に求めてしまった。不純なのか、高尚なのか?人生振り返れば、不純そのものだね。
その話は直接その司書から聞いたが、とにかく恥ずかしかった。
『手や足が動かなくなったら、絵が描けなくなりますよ』するとルノワールは答える『アソコで描くよ』元々が不純なのか?
モデルの彼女が軍へ再入隊したジャンに言う『死ぬのは簡単なのよ』しかし、ルノワールは苦痛に打ちひしがれ、生きる事に精一杯。しかし、簡単には死が訪れて来ない。
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