クロワッサンで朝食をのレビュー・感想・評価
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初老の女性二人の邂逅が温かい
自分の殻に長く閉じ籠って来たのですね、フリーダ(ジャンヌ・モロー)は。おそらくは彼女自身も移民としてフランスに来た。
当初は同じエストニア人同士の繋がりを大切にして異国(異郷)での孤独を埋めようと頑張ってはみたものの、彼女の場合は埋めきれなかった。
その後の長い間のその冷えきった彼女の心を少しずつ溶かしたのは、アンヌ(ライネ・マギ)だったと言うことでしょう。
しかし、フリーダはアンヌに、自分の心を溶かすことを期待した…と解釈したら、それは穿ち過ぎというものでしょうか。
朝食が気に入らなければ、黙って食べなければ良いだけのこと。クロワッサンが気に入らなければ、それも黙って手をつけなければ良いだけのこと。
それを「ああしろ」「こうしろ」とイチャモンをつけるのは、要するに「ああしてほしい」「こうしてほしい」と懇願しているようなものとは言えないでしょうか。(懇願という表現は、些か過ぎるかも知れませんけれども)。
少なくとも、自分の心を溶かしてくれる期待があったことは、間違いがなかったかと思います。評論子は。
そして、アンヌの方も、それに応えることができた。
見終わったときの本作の「温かさ」は、そこから滲み出て来ていることにも間違いはなさそうです。
邦題の付け方こそ、観客の関心を惹こうとする意図満々ですが(失礼!)、作品の塩梅それ自体は、悪くはなかったかと思います。評論子は。
(追記)
作品の本題には関わらないのですが…。
家政婦アンネ役のライネ・マギの脚線美には惚れ惚れしました。
出演当時は彼女は54歳。初老といったところ(失礼!)だと思うのですが、キャリーを引いて歩く彼女の姿が美しかったのが、評論子には、ずっと記憶に残りそうです。
原題は仏語で「パリのエストニア人」。 邦題は「ティファニーで朝食を...
原題は仏語で「パリのエストニア人」。
邦題は「ティファニーで朝食を」をもじった?
明らかにシニア狙いの映画、という感じで抵抗がありましたが、
わりと良かったです。
エストニアという国の知識がゼロだったので思わず調べることに。
対岸はフィンランドだったんですね。
どうりで冒頭シーン、雪深かったはずです。
でもIT立国で大変豊かとありましたが、アンヌの部屋で使っていたのは
まだカセットテープでした。
ヨーロッパが地続きだから国をまたいでの出稼ぎがさほどの決意?でなく
成り立つのでしょうか。
フリーダの影響でかコートをバーバリーに変えて、ハイヒールにしただけで
あんなに垢抜けるなんて上手い演出でした。
フリーダ役のジャンヌ・モロー、体型がしっかり出てしまったシーンを撮らせても
物ともせず、男性あしらいの上手い演技なんか堂にいっていました。
故郷を捨てて異国に住う女の意地は、時に傍から見て非常識にとられても
ある種の美意識があり、らしい感じが面白かったです。
ラストの選択など、もう常識に囚われる必要のない年齢だからこそなのでしょうか。
口コミでヒットした理由がわかる作品でした。
月の光。
傲慢にならず素直に生きないと…と。
衣食住不自由なくても。孤独だと、意味がない。
一緒に、笑って泣いて話せる相手が居ることが、一番の高価なもの。
今は、太陽の光の物語が見たかったから、
月に浸りたくなったら、またこの物語に会いに来ます。
洒落たタイトルに騙された
洒落たタイトルにまんまと騙された、原題はUne Estonienne a Paris「パリのエストニア人」。
エストニア人とことわるのだからパリの移民の中でも変わり者なのだろう、気質は日本人に似て控えめで人見知りと把瑠都(相撲)さんが言っていた。それにしてもフリーダ(ジャンヌ・モロー)の歪んだ性格描写は極端だろう、ジャンヌ・モローはもともと愛嬌には欠けるし芝居が上手いので嫌な年寄感が倍増する。老いと孤独がテーマのようなシリアスな話を淡々とした映像で繋いでゆくので観ていて辛くなる。人間を描くにしても小津安二郎ほどの深みは無く苦手な作品だった。
様々な意味での孤独感がひしひしと伝わってきた。これが自立した生き方...
様々な意味での孤独感がひしひしと伝わってきた。これが自立した生き方の最終章なのだろう。プライドを持って生きるフリーダの姿勢はジャンヌ・モロー本人と重なって見えてくる。最初と比べて垢抜けていくアンヌだがそこはちょっと不自然だった。
クロワッサン
あー!
なんだか聴き取りやすい言葉で話してたのですごくありがたかった。気がする。。。
2回目の鑑賞で、フランス語の聴き取りのために
見たので内容の感想はなんとも言えない。
頑固なマダム。そして家政婦
で!あのステファンという男
感動や共感には少し欠ける映画なのかなとも思う。
ただここに登場する人たちの変化を見ていただけのような気もする。感情の変化などをあからさまに映像の中に取り込んでくるというか、ほのめかしているように見えた。あからさまというか、すごく分かりやすい気がした。
アンヌは不幸で弱々しい女の人が現れていて、マダムには強さが感じられた。配役はぴったりなのかなと思う。
哀しい生き物
あらら、いじっちゃったのね~なんて言って、芸能人の整形推論をするのは、バターが高いとか、子供の塾の話よりも面白い話題になりつつあって。「ありのまま老いることが一番美しいだろう」という最も呑気な結論に達して終わるのが常なんですが。
己の美しさに誇りを持ち、それが武器であることに気付いた人にとって、衰えと喪失がセットになって人生をたたきつけてしまう。
そりゃー恐ろしいんだろーなー。
私は美しさと無縁の世界で生きてきたので、理解の範囲を超えているけど、若さや富、名声なんて言うのもその勢いに衰えが見えたとき失うものも増えるんでしょうね。
しかしながら、自身もその恐怖を乗り越えたんであろうジャンヌモローさんの演技は、より魅力的に映って、やっぱり「ありのままを受け入れるのが美しい」という結論に達する。
ありのままを受け入れるのに必要なのは
自信?
自尊心?
友人?
恋人?
富?
これは永遠の課題なんですね、きっと。
若すぎた
もっと華やかで煌びやかな憧れのパリ!って感じの映画かと思っていた。
だってジャンヌモローでこんな邦題だよ?
はっきりいって裏切られた。
内容は・・・
え?どこで心通わせたの??
全体像としても理解がちょっとできなかったかな?
もしかしたら仕事をリタイアしたくらいの年齢の方に向けた映画かな?
それにしてもジャンヌ・モローは凄いですね。
寄り添う孤独
結婚と離婚、子育て、そして長患いの母親を看送って、抜け殻のようになっていたアンヌに紹介されたのは、憧れの地パリでエストニア人の年配女性の世話をする仕事。
彼女の雇い主となるフリーダは、年上の夫が亡くなった後も数々の恋愛遍歴を重ねてきた女性。
家族に人生を捧げてきたアンヌ、片や奔放で自由な言動で敵を作りやすいフリーダは友人もなく孤独な一人暮らし。彼女を気遣うのはアンヌに仕事を依頼したのもかつての年下の恋人ステファンくらい。
故郷は同じエストニアでも二人の生きてきた人生は対照的だ。
そんな二人が出会い、そこにどんな科学反応が起きるのか?
フリーダにとってアンヌは捨てたはずの、でも忘れることは出来ない故郷の象徴だし、アンヌにとってフリーダは夢見たパリで華やかに生きてきた女性。
二人はお互いにとって、あったかもしれないもうひとつの人生なのだ。
若い頃から、数々の作品でファム・ファタールを演じてきたジャンヌ・モローは、老いても尚年下の元愛人に嫉妬するフリーダという役に説得力を与えているし、ライネ・マギも憧れの街でどんどん若返り生き生きとしていくアンヌを体現。
二人に、人は一人では生きていけないということを改めて教えられた。
憧れのパリへ来てみたけれど
邦題の「クロワッサンで朝食を」から漂うどこか優雅ぽさというか、パリやらジャンヌ・モロー出演といったイメージからも想起させるのは、小粋でお洒落なフランス映画。
けど、その向きで鑑賞するとちょいと肩透かし食うというか。
何だか色彩はそこまで鮮やかではなく、少しザラついた画作り。殆ど笑わずやたら陰のある表情の主人公。
あ、これはポップな映画じゃないなと。実際に中盤以降からは見方を変えました。そこそこ辛辣な映画だなと気付いて。
何て言うか、所謂『ドライビング Miss デイジー』や『最強のふたり』辺りの、「本来なら出逢う筈のなかった二人」の友情ストーリーに行くのかと思いきや、少し展開はそこから違う方角に舵を切りますしね。
二人が心を通わせる切っ掛けとなった描写が皆無なんですよね。何となく仲良くなって何となく喧嘩の山場を迎えるみたいな。
でもそれは友情じゃない。
三角関係未満の、なんというかちょいと歪な家族の物語に向かっていくというか。
会話の内容なんて「誰それと寝た」「主人と愛人」みたいなセックス絡みでドロドロとしてるのに、進んでく展開はサラサラしてるみたいな。
ま確かにハッピーエンドなんでしょうけども。
考えれば考えるほど、主要登場人物の関係性が歪です。
これが小粋なんでしょうか。
老いること=魅力の低下?
初めて映画館で立ち見!
水曜日のサービスデーということもあるのでしょうが、びっくりしました。
通路に座って見ました。間違いなく思い出の映画になるでしょう。
だけど、映画自体は、すごい静かな映画。
老いの悲しみというか、
若かった頃とは違う自分をどう受け入れるか、という映画でしょうか。
それとも過去への郷愁?
かつていた場所へ戻りたい自分との決別?
故郷に帰りたいような、それともこのままでいいような
そんな曖昧な気持ちが満ち溢れているような映画。
それでも朝は来て、自分の朝食はクロワッサンと紅茶に決まっていて、それを食べて、
それでも朝は来てしまって、お腹は空いてしまう日々を過ごさねばなりません。
日々の暮らしは静かに進む。
ジャンヌ・モローってすごい。
久々にこんなに映画館が混んでるの見た。
館内はしっかりされたお歳のお客様がほとんど。
そんな方たちに受けるよな〜、という感じの作品でした。
全編こじゃれています。パリだし、エッフェル塔だし、クロワッサンだし、富豪の女性の優雅な生活見れるし、クロワッサンだし。
それ以上に、ジャンヌ・モロー主演だし!彼女の若かりし頃の作品はほとんど観たことないですが名前だけは知ってる名女優。流石な存在感でした。フランス語分からないけど、わがままな孤独感と、寂しさと煩わしさに揺れる心境をひしひしと感じました。それと家政婦さんのライネマギという人、ほとんど知らないんですけど、すごく可愛いおばさんに見えました。人生に疲れきったはずなのに、パリに来てだんだんキュートに見えてくる。歳重ねると必要とする人、される人が少なくなっていくけど絶対に必要なんだよね〜、と思いました。幸せなラストに満足でした。
家政婦は見た、憧れのパリ、老婦人の光と影
極寒のエストニアからパリに出てきたアンヌは、垢抜けない防寒コートとブーツでキャンバス地の安っぽいカートを引く。長い母親の介護の疲れか表情も暗い。
気難しい老婦人フリーダには簡単に受け入れられないものの、夜な夜な憧れのパリを散策し、ウインドショッピングで気を紛らせていく。エストニア出身の女優、50代半ばのライネ・マギのウインドウのドレスを見つめる目が少女のように輝く。少しずつアンヌの身なりが洗練されていき、顔の肌ツヤも出て綺麗になっていく。なかなか魅力的な女優さんだ。
そんな彼女でも、フリーダの元を飛び出すときは、またあの冴えないカートを引きずらねばならないが、ヒールで颯爽と歩く姿には、同情よりも不釣り合いな絵の面白さに惹かれる。
カフェのステファンを尋ねたあとの含み笑いも意味深だ。語リ過ぎない演出がいい。
この作品、看板女優はもちろんジャンヌ・モローだが、事実上の主役はライネ・マギなのだ。
ジャンヌ・モローと彼女に引けをとらない演技を見せたライネ・マギ。さらに二人の女優の間に髭面のパトリック・ピノーが割って入り、話はシンプルだが作品を味わいあるものに仕上げている。
ヨーロッパ映画は国家間の問題や歴史が尾を引く台詞や話が多く、本作もエストニアの知識があればもっと深く理解できたかもしれない。島国日本では、諸外国の興亡は一般人の常識からかけ離れたものだ。原題をそのまま邦訳して使っても漠然としたものになる。それにしても「クロワッサンで朝食を」は客受けを狙ったのが見え見えで安直過ぎないか。
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