言の葉の庭のレビュー・感想・評価
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雨の匂いがしてくる映画
「ほしのこえ」「秒速5センチメートル」の新海誠監督ということもあり期待して観ました。
独特の繊細な描写は健在。雨の公園の中、ゆっくりと心を通わしていく二人が描き出されています。
ただ、これまでの作品にあった「心の奥底が痛くなるような青春期の純愛」とはちょっと違うような。二人の年が離れているからかもしれないが。それから最後の展開が少し強引だったようにも思う。
「純愛」という意味では同時期に上映された「風立ちぬ」に軍配。
妄想ストレート160km
貶しているように取られるかもしれないが、決してそういう訳ではなくて。
男子がティーンの頃に抱いている、「思い通りにならない時は、スネてみせれば、イジケてみせれば構ってくれるのでは」という妄想炸裂、そしてそれが妄想通り上手くいく展開が、懐かしさとともにカタルシスを与えてくれて面白い。その場合やっぱり、それを受け入れてくれるのは年上の女性という設定になるんだろうなぁ、と。
作者のリア充ではなかった(完全に過去形ですが)であろう感覚からこそ産み出せた尖った作品。予想外の短編なのに密度高し。
ILGIARDINO DELLE PAROLE
素敵な話です。
雨の午前中にあんなところでビール飲んでるお姉さんも謎めいていて素敵です。
学校をさぼって謎のお姉さんと会うのが楽しみになっている主人公、シャイな側面と喧嘩したりハッキリ言う大胆なところを併せ持っていて応援したくなります。
謎のお姉さんの事情を知ると、応援せざるを得ません。
エンドロール後の場面も素敵で良かったです。
魅力は水や光、鳥や地面や床の絵だけではなく、声やシチュエーション、BGMもとても素敵です。
今作を観た後『君の名は。』を観ると発見があります。
アジール映画
アジールとは、避難所とか逃げ込む場所のこと。
これが本作では丁寧に描かれている。
主人公は靴職人を目指す高校生のタカオ。
タカオは雨の日の午前は授業をサボって新宿御苑の小屋で過ごしていた。
ある日、そこへ年上の女性・ユキノが来て、2人は交流していく。
アジールが機能し、2人はそれぞれの道を歩むが、
別々の道と思っていた2人の道はお互いに交錯しており、
物語は一気に進展していく。
主人公はタカオだが、
もう1つの主人公は新宿御苑の小屋だろう。
効率性・コスパ・タイパが重視される現代で、
新宿御苑の小屋は現代の楽園。
長くいる場所ではないが、うまくいかない時に立ち寄りたい貴重な場所だ。
私のとってのアジールはどこかな。
自分が通っている学校の先生を知らないってありえない
監督と脚本は『ほしのこえ』『だれかのまなざし』『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締り』の新海誠
谷村美月をヒロインに迎え舞台化されている
U-NEXTでも鑑賞できるが1630円
うーん・・・ポイントを使うにしても躊躇するなあ
平日の日中から公園でビールを飲んでいる女性の正体は秋月孝雄が通っている古典教師雪野百香里だった
3年の女子生徒が片思いしてる男子生徒が百香里を好きだったため嫉妬して数々の嫌がらせをし悪い噂を流し心労で教師を辞めることになったのだ
それはそれとして自分が通っている学校の先生を知らないってありえない
いくら高1とはいえ
興味がなかったからって野球に興味がない女性がヤクルトの村上を知らないってレベルと違うでしょ
納得いかない
エンドロールのあとも続きあり
声の配役
靴職人を目指す高1の秋月孝雄に入野自由
孝雄が雨の庭園で出会う雪野百香里に花澤香菜
親子ほど年下の彼氏と付き合っている大学職員の孝雄の母の秋月怜美に平野文
彼女と同棲生活を始めるため家を出た孝雄の兄の秋月翔太に前田剛
翔太と同棲を始めた彼女の寺本梨花に寺崎裕香
孝雄と同い年の友人の松本に井上優
松本の一学年上の彼女の佐藤に潘めぐみ
プライド高い女子生徒の相沢に小松未可子
孝雄のクラスの担任で体育教師の伊藤宗一郎に星野貴紀
50分弱に凝縮した映像美が際立つ一作
本作の3年後に『君の名は。』(2016)で知名度を飛躍的に高めることになる、新海誠監督の短編映画。
スタッフの顔ぶれなどを見ると、この頃からすでに、『君の名は。』に至る道筋ができていたことに気が付きます。『秒速5センチメートル』(2007)と同様、短い時間に凝縮した美しい映像を堪能する作品、と言っても過言ではないでしょう。
旅要素もあり、雪景色の寒々とした雰囲気もあった『秒速5センチメートル』と比較すると、公園を基点に時間が積み重なっていく構成の本作では、やはり際立つのは木の葉と、そこに差し込む光、あるいは波紋の広がる水面など、きめ細かな自然描写です。
物語としてはものすごく興奮するような場面があるわけではなく、むしろタカオ(入野自由)とユキノ(花澤香菜)の、距離感を探りながら交流を重ねていく過程を静かに描いています。したがって本作には、時空を超えたり世界を救う鍵になったりといった、超絶的な展開はないけど、物語が設定上の複雑さ、重厚さを増していく以前の、とにかく自分が描きたい描写に全力集中した感のある新海誠作品として、本作は鑑賞する価値が十二分にあるでしょう。
2024年になって、新海監督の初期長編、『雲のむこう、約束の場所』(2004)が再上映されるんですよね。この機会に、本作も再上映してくれないかな…。
圧倒的な映像美と音楽に心揺さぶられる
2023年末にU-NEXTを契約したので、過去作を観はじめた。平日でも観られる短編ないかなと考えてぱっと思いついたのがこの映画。
初見は、「君の名は」を映画館で観た後の2016年の夏頃。「君の名は」の映像に惹かれ、新海誠監督の作品をもっと観たいと思ったのがきっかけだった。
さて、もう7年以上前(映画自体は10年以上前に公開)の作品を再度鑑賞したのだが、やはり圧倒的な映像美には、ただただ「すごい」としか言いようがない。
背景は極めて写実的に描かれているが、それはリアリティを超えて芸術の域に達している。かつて東京に住み、新宿御苑にも行ったことがあるが、画は実物よりも写真よりも美しい。絵画を鑑賞しているような感覚に陥る。
当時は、その映像美、ラストシーンと秦基博の歌うエンディングテーマ曲「Rain」に感動したのだが、今回もそれは同じだった。誰かが、これは長い長いRainのMVなのだと言っていたのを記憶しているが、この美しい映像とRainを聞くだけでも観る価値のある映画だ。
しかし、この映画は単なるMVではない。新海監督は、登場人物のキャラクター設定と心理描写にも心血を注いでいるのだ。
15歳の男子高校生と27歳の女性教師の短い淡い恋の物語。よくありそうな設定(精神的に幼い高校生の叶わぬ恋)だが、本作の男子高校生・孝雄は精神的にとても大人。対して女性教師・雪野は心は15歳のまま大人になりきれていない。このギャップと雨、そして現実からの逃避が2人を結びつける。
雪野は、ラストシーンで号泣しながら孝雄に告げる。「あの場所で、あなたに、救われていた」。深く深く内に籠もり、身動きできなくなっていた自分を救ってくれたのは孝雄だったと告げるのだ。客観的に言って雪野は弱いしずるい。孝雄が叫んだように、好意に甘えていたとも言える。でも、その自分の弱さやずるさを告白した彼女は、この瞬間やっと大人になれたのではないかと思った。
改めて鑑賞して、このラストシーンに心動かされた理由がなんとなく自分のなかでストンと腑に落ちた感がした。恋愛成就ではないが、2人の心が通い合って対等になった瞬間だ。
これからも「Rain」を聞くとこの映画のことを思い出すだろう。映像と音楽が一つになって観る者の心揺さぶる作品。
澄んでるなぁ
自宅で動画配信サービスを利用して視聴しました。
映像の綺麗さはさすがの新海監督の作品だなと思いました。最初のカットに雨で水面に波紋が広がっていく様子がありますが、これだけで映画に引き込まれました。
公園で出会った2人の会話が具体的に描写されたわけではありませんが、お互いがあの空間を心地よく思っている様子がとても伝わってきました。
にしても15歳の孝雄くんはあまりにもできた少年ですね。
孝雄くんの恋もあるわけですが、それも描写としては淡く感じますし、雨や公園の色使いも濃く感じないため、全体として澄んでるなぁと感じました。
雨の公園に行きたくなりました。
ビールかワイン持って。
って、新宿御苑はダメですね。作品中にも2回、作品終了後のテロップでもダメ出しがありました。近くの公園でもいいかな。
他の方も絶賛されていますが、とにかく背景が綺麗。
雨をはじめとする、”水”の描写、そこに絡む木々、葉、その他もろもろ。
駅名が出なくても、千駄ヶ谷だ、あの場所だとわかる細かさ。
そうか、写真をトレ―スして制作されたのか。
だったら写真を使えばという意見もあるけど、写真や実写よりも柔らかさが加わっており、よい雰囲気を醸し出しています。
でも、ドラマとして観ると深みが足りません。
『言の葉の庭』とあるので、『舟を編む』のように言葉にこだわり抜いた作品かと思っていましたが、それほど研ぎ澄まされた言葉が紡がれているわけでもありません。せっかく、万葉集とか引き合いに出しているのに、肩透かし。
よくある、ギャルでも使いそうな台詞でつないでいきます。しかもそんな陳腐な台詞で状況説明しちゃう。もうちょっと言葉使い、台詞を厳選してほしかったです。
”文学”に例えているレビューも読みましたが、『世界文学全集』等に収められている純文学には足元にも及びません。わかりやすい、読み捨てされる量産系のノベルズといったところでしょうか。
「孤悲」物語とは、良い所に目をつけられたと拍手を送りたいです。でも、それをこういう設定なら二人とも孤独だよね、悲しいよねと思わせるのではなく、できれば、台詞とか、人物の動き・表情で孤独感と悲しみをみせてほしかったです。
シチュエーションが問題なんではないんです。あり得ない設定に”実”を見せるのが、”文学””演劇””映画”なのだから。あり得ない設定なんて歌舞伎にはごまんとあるけど、それを”実”に見せる業を持っているから”芸術”として今も上演され続けています。
安易に、吟味もしていない言葉で、行間を読むような余韻もなく、ただ、書きまくった、ただ漏れさせたモノローグがね、問題なのです。
感情を爆発させてメデタシっていう安易な発想が問題なのです。
他人にわかってもらえるように客観的視点を加味して”芸術”に昇華させておらず、ただ、自分がこう思うのだからこれでいいじゃん的な主観のみの自己満足になっているところが中2病なのです。
年上の女性と、少年の恋物語。
孤独を抱えた人々の再生物語。
ありふれた設定とはいえ、何度も繰り返し取り上げられた設定。心の琴線に触れる設定。
雨の日だけの、不確実な逢瀬。
意味ありげに、暗号のように残される短歌。しかも、万葉集。万葉の言葉独特のまろやかさと同時に染み渡る力強さ・土臭さ。短歌は短歌でも、古今和歌集や百人一首でもなく、ましてや現代の作でもない。
このシチュエーションだけでもそそられます。(私だけか?)
でも、その思い付きを並べただけで終わっちゃった。ここから、さらに昇華させた物語を味わえると思っていたのに、肩透かし。
雨の降る東屋で、人から隠れるようにして、その公園では禁止されている飲酒をする女性。女性の就いている職種を考えると、公共のルールも守れない時点で、人間としてアウトと思ってしまいます。そりゃ、仕事場でうまくいかないのも当たり前。この映画では、うまくいかないから→飲酒としているけれど、ルール破っている時点で、感情が行動を通して駄々洩れ。「15歳から~」という台詞があるけれど、そんな人が、ただ〇〇という職権権力かさに着て、リアル15歳を指導しようとしたら、そりゃ反発食うわ。高校なら15歳~18歳までいるけれど、年下に偉ぶられてもね、と思います。
後半明かされる女性の設定なら、殻を破れないという設定なら、もっと行動面でも、きちんと殻を示してほしかったです。部屋に引きこもって飲酒するとか。”壊れている”ことの描き方が安易。説得力ありません。共感できない。ルール違反している時点で、殻破っているじゃないと思ってしまう。
女性に共感できないから、少年がその女性に憧れるという点にも共感できない。
「孤悲」。孤独な恋を描いた小説というと、私が思い浮かべるのは、夏目漱石さんの『こころ』。井上靖さんの作品とか。他にも、他にも。それらと比べると、この映画の二人の関係は傷の舐めあい。う~ん、なんだかなあと思ってしまいます。
せっかく、本当に必要な言葉のみを削りに削って残して作った短歌の”万葉集”を持ちだしているのだから、言葉・脚本も推敲に推敲を重ねてほしかったです。
モノローグ形式だって『オッドトーマス~』みたいに成功している映画だってありますし。
この映像なら、いっそのこと、台詞なしでみせるというのもありかもしれないのでは?公園は新宿御苑じゃない公園、飲酒可なところにしてとか。
あ、でも、この映画の、人間を描写するアニメーションでは表現しきれないかもしれません。
背景を、写真をトレースして作成されたのなら、
人物も、モーションキャプチャーをトレースして制作したらいいのかもしれません。
とはいえ、この作品って、α波が入っているイ―ジ―リスニング系。
思いっきり仕事でパンパンになった頭と心を洗い流してくれる映画なのかしら。雨がモチーフだけに。
クールダウンには、この位のわかりやすさ・展開でいいかなと思います。受けた傷も一緒に舐めあって癒してくれそうです。
嫌いでは無いけど
ちょっとドロドロとした昼ドラのような見え方になってしまいそうな話だったけど、透明感のある映像美のおかげで爽やかにも見えて、不思議な作品だなと感じた。でも新海作品は君の名はや天気の子のようなドロっと感のない雰囲気の方がやっぱり好みだな。
雨が降るのをずっと待ってる
雨の日の一限抜け出しボーイとアルコールガール。
普通の物語は雨が降る事は悲しみの表現だけど、この映画の雨は、出会いや好転を意味する。
新海監督の繊細で美しい絵がいい。
この尺でよくぞ・・・
新海のアングルの独自性は見事である。手元、足元のアップ、移動対象を移動しながらのワンカット、変質狂的なまでな水や雨の描写。見たことのある映像だがアニメで描くことは容易ではない。チョッとした小物のアングルも見事だ。足と雨。共にこれほどまでにみずみずしく美しくこれほどまでにエロティックに描写できるのかと驚く。その背景の登場人物たちの人生には一切触れること無く。それ故に晴れた日の画面は粋なり瑞々しさを損ない単なるアニメとなる。雨の画面を渇望するアニメに。そして晴れた学園で行きなり事態が進展する。そうか万葉集か。新宿御苑の雨宿りは古都奈良に連なる雨と水の物語。最後の10分、ひとりで歩くと言うことは・・・そうだ恋歌だ。今の時代に歌われる恋歌のために用意された、そうこれはそのためのアニメなのだ🎵かと言ってこれは絶対にPVではない。れっきとした本格的なアニメなのだ‼️
ピークという言葉に納得
恥ずかしながら今視聴。こんなに短いならもっと早く観るべきだった。
ほしのこえ、君の名は、天気の子、すずめの戸締まりと劇場で観たが、私が観た新海監督5作品の中で、「クリエイターとして」最も才能や地力を感じるのはこの作品かもしれない。※他作視聴で覆る可能性あり
大ヒット企画のプロデューサー的な視点込みとなると「君の名は。」こそ才気煥発の極みに思えるが、そういう興行的な境地を狙わないスモールスケールの作品としてなら、本作は「やるべきことをしっかりやりきる」職人的な巧さにあふれていると思う。
君の名は。の大ヒット以降、隙だらけというか「映像さえ美しくて壮大な感じの何かをすればよし」の手癖・不真面目・ザル脚本になってしまった「天気の子」や「すずめの戸締まり」に比べて、本作の隙の無さや無理の無さは圧倒的な高みになる。最近友人が「言の葉の庭がピーク」と言っていたが、限りなく納得できる内容だった。
優れた格闘家は、自分の手足の長さを1ミリも長くとも短くとも感じておらず、間合いやインパクトを間違えないという。それは自分を少しも過大評価も過小評価もせず、まさに自分のできることとできないことを把握して、自身の体を使いこなし状況に対して最適に動くということだろう。クリエイターも創作の姿勢としてそれは真であり、本作は新海誠監督とそのチームの「できることを完璧にやりきり、できないことは一切しない」が47分間の中に実現されていると感じる。
本作はある意味なんでもない、人生に一度ぐらいは訪れそうな「運命的ではない人たちが出会い、意志の力で運命的になりたいと願う、個人と個人の小さな話」だ。公開された2013年当初としても、小説賞の梗概審査やプロット賞では「ありふれている」「普通」という理由で、箸にも棒にもかからず落選となるだろう。
しかし、そんなありふれたプロットの話を美しい映像と無理のないテンポで「見物」にして最後まで見せてくれるのが、この作品のスタッフたちの地力の高さである。
アニメで映像自慢と言えばダンスシーンであり演奏シーンであるというお約束はTikTokの物真似文化が出る以前からだが、本作はダンスもしないし演奏もしない。しかし確かな映像美で見せるという、自信たっぷりの才能の披露がある。
素足を計測のフェチズムはこれぞ新海誠という具合だが、それがすずめでどうなっていたかと言うとアレで、低俗になりすぎていてちょっと悲しみを覚えた。
無論、いくら丁寧で上質でわかる人にはわかる良さと凄みがあっても、本作の路線では100作つくれど大ヒットは狙えない。結果、3年後に「君の名は。」でわずかな隙と引き換えに大スケールアップを果たし偉業を達成するのだが、以後は雑に隙だけが増えていくような苦境に入っていると感じる。
漫画や小説の世界でも、デビュー前やデビュー間もない頃の方が読者を恐れていて、隙が無く(※テンポ感含む)面白い作家は珍しくない。一度売れると中座される恐れを失うのか、立ち上がりの速度感や整合性が劣化していくあの現象だ。
進化監督は、まさに先行き不安でなんとか食えていた程度だったであろう本作の頃~君の名は。公開前の物作りを思い出してほしいと思わされる作品だった。
ファンタジーではないので、アニメである必要性が感じられなかった。
知らないで見た。
だるいあり得ない話だと思ったが、雨と新宿近辺が登場したので、誰の作品か直ぐに分かった。
背景はコンピューターグラフィクだと思うが、そのテクニックは認めたいと思う。果たして、この監督独自の技術によるものか分からないが、現状はこの監督の作品として認めざるを得ない。つまり、綺麗なアニメと見えるのは、背景を担当する人達の技術で、コンピューターグラフィックによるもの。
そう、あの『プペル』も背景の技術は別にあるように、背景の人達の技術のなせる技なのだ。
さて、
28歳の女性であっても、生徒、特に勤めている学校の生徒に手をつけるのは、利益供与に当たり、教師として懲戒免職に値する。勿論、女性であっても、18歳以下に手を付けると言う事は、淫行に当たると思うが、あまり、堅苦しい事は言いたくないが、女性と男性を逆転させれば、良いだろうと考える、その安直な設定が稚拙に感じる。
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