影武者のレビュー・感想・評価
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黒澤明の、黒澤明による、黒澤明のための映画の一本
用心棒(1961年)、椿三十郎(1962年)、天国と地獄(1963年)と立て続けに傑作をものにし、赤ひげ(1965年)では朝日新聞の悪評を尻目にその年の日本映画の興行収入ランキング第1位を獲得し、いよいよ自信を持った黒澤明がトラ・トラ・トラ!(1970年)で、気心の知れた黒澤組の不在、東映スタッフを使いこなせない、ハリウッドシステムに合わせられないなどから首になり、精神不安定下で放ったどですかでん(1970年)が当然のことながら大こけし、大借金を背負った傷心の黒澤明は、酔っぱらった勢いで1971年12月22日に自殺遊びをしてしまう。5年後にソ連製のデルス・ウザーラ(1975年)、その5年後にフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスの出資を仰いで満を持して放ったのが影武者(1980年)である。27億円の配給収入(1980年邦画配給収入1位)を上げ、黒澤明は見事に返り咲いた。馬鹿にされたハリウッドに見事に仇を討ったのである。ところがである。黒澤明の傑作は天国と地獄(1963年)までで、赤ひげ(1965年)以降は次第に面白くなくなったと思うが、この影武者(1980年)も同様に面白くないのである。朝日新聞に見開きで役者スタッフ募集の大広告を載せてスタートしたのだが、ストーリー、音楽、出演者、テンポのどれも魅力がない。最もいけないのは、画面の外の黒澤明演出圧力が役者を委縮させてしまっており、登場人物の溌溂さが全くないのである。話も陳腐で目新しさはない。合戦シーンも、映画的ダイナミズムより、黒澤明の好きな馬のほうを大切にしているような気の抜けた演出で冴えない。赤ひげ(1965年)から始まった、黒澤明の、黒澤明による、黒澤明のための映画の一本でしかないのである。これ以降、乱(1985年)、夢(1990年)、八月の狂詩曲(1991年)、まあだだよ(1993年)と続くが、楽しめる作品が放たれることはついになかった。
滅びの美学を壮大に描いた黒澤監督の映画美術
国内での評価は色々と論争が繰り広げられているが、個人的には面白く鑑賞出来て大変満足した。特に黒澤時代劇の色彩の映像美のみを論じるならば、これほどまでの創造性豊かな古典的造形美は、今の日本映画では他に求められないと感銘を受ける。黒澤監督ならではの美意識と表現力に圧倒されてしまった。それでも早い時期に撮影監督宮川一夫氏が途中降板したことを、とても残念に思い危惧していた。それが杞憂に終わり、先ずは一安心と言える。
確かに、この黒澤作品を期待外れの失敗作と評する文化人や一般観客の反応は、解らないでもない。と言うのも、これまでの黒澤時代劇の最大の美点であるストーリーテリングの面白さやアクションシーンのダイナミズムが、全盛期と比較して弱い。ここには、すでに齢70歳を迎えた巨匠黒澤監督の武田軍に寄せる人生観が反映されている。もはや勝敗の先延ばしに過ぎない影武者の使命感と悲壮感の入り混じった敗北者の虚しさが描かれていた。負けを認めず最後まで戦い抜く者の滅びの美学が、映画の様式美として表現されていた。その拘りに、完璧主義者黒澤監督の力量が集約されている。
主演を演じるはずであった勝新太郎との軋轢は、関係者の予想するところであったようだ。監督としての威厳と役者としての拘りの対立と齟齬は、両者以外ではどうにもできない。とても恨めしい出来事だった。もしもそのまま勝新太郎が演じていれば、彼の代表作になっていたに違いない。個人的には返す返すも残念でならない。
1980年 6月8日 日比谷映画劇場
「実在」なき者の「実存」
『影武者』は、表層では「信玄の死を隠して戦国の均衡を保つ」という歴史ドラマですが、その核には存在論・自由意志・理念の喪失といった深い哲学的主題が埋め込まれています。私はこのうち「実在」と「実存」という部分に特に注目してみました。
「実在」=制度・社会・血統・名前など、他者(社会)によって承認されている存在。
「実存」=自己の内面からの自由な選択と責任によって形成される倫理的存在。
武田信玄は、「実在」と「実存」の両方を持っている人物です。彼は武田家の当主であり、父であり、戦国大名という制度的実在を有しながら、同時に「人を殺してきた、だがそれには理由がある」と語るように、自らの行為を倫理的に引き受ける主体としての「実存」をも併せ持っている。このとき、「実在」と「実存」が一致しており、存在と行為に齟齬がない状態です。
一方、影武者は初めは「実在」がありません。ただの盗人であり、武田家とも、信玄とも、何の関係もない。彼には血筋も名前も地位もなく、社会的にも制度的にも「存在していない者」として扱われます。
しかし物語が進むにつれ、影武者は信玄の「ふるまい」(姿勢、口調、判断)を演じることを通じて、次第にその内面にまで影響を受け始めます。当初は外面だけを模倣していたのですが、模倣を繰り返すうちに、その「ふるまい」に宿っていた倫理や責任感、つまり信玄の実存的態度が、徐々に彼の内側に内面化されていきます。
特に象徴的な場面は、戦場で彼自身を命がけで守る兵士たちに出会ったときです。自分が演じている「影」に対して、それを知りながらも本気で命を懸ける者たちがいるということが、彼の中に激しい動揺と覚醒をもたらします。このとき、影武者は「信玄として振る舞う自分」と「盗人である自分」のあいだに裂け目を感じながらも、それを越えて自らの意志で意味を引き受け始めるのです。ここで彼の中に「主体」が芽生えるのです。つまり、模倣によって得た外的ふるまいが、倫理的意味を帯び、「実存」が芽生えた瞬間です。
ですが、彼には依然として「実在」がありません。制度においては武田信玄ではなく、身分もなく、背中に傷がないことで正体がばれ、追放されます。これは「制度的実在」を持たない者が、いかに内面的に「実存」を獲得していても、社会構造のなかでは存在として認められないという現実を示しています。
彼は最後に、誰から命じられたわけでもなく、自らの意志で槍を持ち、敵陣に突撃していきます。命じられたのではなく、演技でもなく、自らの行為として選び取った突撃です。これは盗人でも、影でもなく、一人の実存的主体として行動した瞬間です。そのとき、彼は制度に裏付けられた「実在」を超えて、主体的に存在する者=「実存」となったのです。
しかし、今述べたように、影武者は誰からも命令されていないし、自分が本物でないことも知っています。さらに勝てる見込みもありません。にも関わらず、自分から行くという選択をします。この「自発性」は第二次世界大戦の特攻や玉砕を遂げた日本兵や国民たちの行動と重なります。彼らもまた、自分が国家の理念を完全に体現しているわけではないし、勝てるとも思っていなかったでしょう。にも関わらず、自ら志願し殉じていったのです。
理念はすでに存在していたものですが、信じたのは自分です。さらに、殉じたのは命令ではなく“自己の内なる声”によるものです。しかし、その“内なる声”は、果たして純粋な自由意志による選択なのでしょうか。それとも、国家や社会の理念が無意識のうちに内面化され、あたかも自発的に思えたものだったのかもしれません。
そして、彼の死とともに流されていくのが「風林火山」の旗です。かつて確固たる理念とされたその言葉ですら、もはや川の流れのなかで朽ちていくのです。このシーンには、『平家物語』や『方丈記』のような日本古来の無常観、時代の流転と人間の儚さへの達観が滲んでいます。
この作品を通じて黒澤は、人間の自由意志の限界と、理念や存在が時代の大きな流れに呑まれていく様を描き出しています。そこには、かつて自身が持っていた映画監督としての「信玄」の座から滑り落ち、自らの「影」として再起を図った黒澤自身が投影されているようにも見えます。
『影武者』は、黒澤明が戦後の倫理と存在を問い直すために選んだ、もっとも抽象度の高い作品です。そして同時に、理念に生き、理念とともに滅びる「日本人」そのものを映し出す、鏡のような作品でもあります。他者の期待、社会の構造、役割や制度の仮面を脱ぎ捨てたとき、「自分は自分であり続けることができるのか?」という問いを突きつけてくる。そんな作品なのではないでしょうか。
4K UHD Blu-rayで鑑賞
90点
あっさりと
予想に反して、思ったより早めに影武者があっさりとバレてしまいましたね。
もっと引っ張るかと思いきや・・・
家康役の風貌が自分のイメージとは違いましたね。
ショーケンが勝頼役だったとは気付かなかった。
ほんとはもっと言いたいことがあるのですが
カラーの黒澤は駄目という評判が定着しているが、このレベルの時代劇を...
カラーの黒澤は駄目という評判が定着しているが、このレベルの時代劇を撮れる人間がどこにいるのか。今関ヶ原を撮るのは勝頼にも劣る愚将。萩原健一が良くない。白黒での魔術的画作りがカラーで霧散してしまった。それは規模でしか補えなかった。
もしも勝新太郎が主演であったなら、どれほどの傑作、映画史の金字塔のような作品になった筈かと思うと残念でならない
時代劇は1965年の赤ひげから15年ぶり
戦国時代の合戦シーンがあるものなら、1958年の隠し砦の三悪人まで遡ることになるから、21年ぶりとなってしまいます
黒澤明監督の完璧主義は撮影所スケジュール、セットの巨大化など予算を膨らませることばかり
1960年代の映画産業の斜陽化の中、いかな黒澤監督でも制約が厳しくなっていました
赤ひげでは撮影が延びて正月興行に穴を空けました
1968年日米合作のトラトラトラでは日本側監督を予算とスケジュール超過で解任されました
それ以降はハッキリ言って干されていたと思います
それで私財を投じて撮った1970年のどですかでんは作品としても興行としても失敗
もはや精神的にも経済的にも映画を撮れない状況になり、1971年には自殺未遂事件を起こしてしまうまでに陥ります
1975年、ソ連映画のデルス・ウザーラの監督に起用されます
というかそれしか映画を撮れなかったのだと思います
彼はその映画でSOSを発していました
それを受信して彼に資金を提供して映画をはじめとして思う存分に撮らせるようにしてくれたのは、残念ながら日本の映画界ではなく、ハリウッドでした
デルス・ウザーラの米国配給自体、黒澤監督の才能を買うアメリカ人プロデューサーの個人的な思い入れでした
そしてその作品のSOSを読みとり弟子と自認するコッポラとルーカスが資金と圧力をかけて黒澤監督にやりたいままに映画を撮らせるようにしたのが本作と言うわけです
しかし黒澤監督の思うがままに撮影出来た本作が、最高傑作になったのか?というと、違うと言わざるを得ません
本作は主演予定の勝新太郎の降板が有名です
観れば脚本が勝新太郎に当て書きされたもので有ることがハッキリわかります
仲代達矢では脚本が狙った効果を発揮出来てないのが、冒頭シーンから明白になっています
それ故にそれを何とか補おうとして編集がくどいものになってしまっています
クライマックスの長篠合戦のシーンを過ぎても一体本作のテーマとは何だったのか?と首を傾げざるを得ないのです
ラストシーンでカタルシスを与えられないのです
おそらく勝新太郎ならば、それら全てを彼のキャラクターの力が強引にねじ伏せてしまったはずです
フェイクは所詮フェイクなのだという結論を勝新太郎が全存在で語ったはずです
そうなれば編集もバサバサ切れて2時間以内に収まったのではと思います
徳川家康、織田信長、武田勝頼なども何故この俳優なのか、何故そんなに無名や新人俳優を使うのかと首を傾げます
黒澤監督の常連俳優達はみな高齢化してしまい、志村喬すらゲスト扱いでやっとの出演です
彼は新しい俳優をかっての三船敏郎のように見つけ出したかったのだと思います
本作をきっかけにして自由自在に大作映画を撮って見せて第二の黄金期を創るのだ
第二の黄金期にふさわしい新しい常連俳優をも創りだすのだ
それくらいの意気込みだったのだと思います
しかしそれは観ての通り空回りでした
結果として、かっての黒澤監督とは思えない冗長でテーマ性を見失った作品になっていると思います
とは言え、世界のどこにこのようなダイナミズム溢れる上に美的感覚を両立させられる監督はいるのでしょうか?
これほどの大人数の戦闘シーンを映画として成立させられる監督がいるのでしょうか?
戦争と平和のナポレオン軍の騎兵部隊の突撃シーンなぞ遥かに凌駕しています
黒澤監督にしか出来ないことです
故に本作に与えてられているきら星のような映画賞の受賞は当然のものだとおもいます
しかしもしも勝新太郎が主演であったなら、どれほどの傑作、映画史の金字塔のような作品になった筈かと思うと残念でならないのです
黒澤なので
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