劇場公開日 1980年4月26日

「信玄の影武者と武田家滅亡の話」影武者 Moiさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0信玄の影武者と武田家滅亡の話

2025年5月3日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

感想

黒澤作品唯一の史実物の作品である。
作風として監督の構図内での色彩感覚が爆発的に映像構成に生かされ表現されており、カラー映画作品としての芸術的意義を強く感じられる作品となっている。脚本は三方ヶ原の戦いの後、武田信玄は西上作戦を継続し三河方面へ進出、野田城攻略時に狙撃され重傷を負い甲斐へ帰国途中死亡した説を取り上げ物語に反映させている。フィクションとしての大きな捻りは無く無難な仕上がり。配役は監督肝入りのオーディションで抜擢された油井昌由樹氏が徳川家康を、また無名塾出身の隆大介氏が織田信長の大役に抜擢され各々演じている。
影武者(武田信玄)役の仲代達矢氏は途中降板した勝新太郎氏の代役での出演であったが、武田信廉役、山崎努氏と共に重厚で安定した演技を見せている。コッポラ、ルーカスからの資金援助もあり作品は完成。第33回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞。また今では普通だが本作はハリウッドメジャーの配給会社か初めて日本映画として配給した作品であった。
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物語
躑躅ヶ崎館一の間にて武田信玄、武田信廉の目前に座らされている信玄と全く同じ装束を纏う一人の男。その男を見ながら頷き呟く信玄。

「うむ。よく似ておる。」

信廉「兄上がもう一人いるとしか思えません。長年兄の影武者を務めたこの信廉もこのようには参りません。」

信玄「何処で見つけて参った?」

「釜無川の仕置き場で拾ってまいりました。」

「逆さ磔になる処を通り連りに見掛けまして何かの折兄上の影武者に如何かと貰い承りました。」

信玄「何者じゃ?」

「領内を荒らし廻っていた盗人で御座ります。」

信玄「盗人?」

「強か者、いかなる責苦にも口を開きませぬが人を殺めている疑いもあると検事の者が申しておりました。」

信玄「その検事の者共、この男がわしに瓜二つであるのをなんと申しておった?」

「なにも。肉身のこの信廉で故兄上に瓜二つと見えました。髪形なり振り、言葉遣いは全くの無頼。誰もこの者が兄上に似ているなどとは考え及ばぬ体で御座いました。いや、この信廉もこのように取繕わせていまさら余りに兄上に瓜二つなのに驚き入っている次第であります。」

「それにしても信廉、逆さ磔に繋ろうという程の無頼の者、如何に似ているとは申せわしの影武者にとは與であろう。」

話を聞くや突然下品な笑い方をする影武者の男。〜

「俺は高々5貫、10貫の小銭を盗んだ小泥棒だ!国を盗むために数え切れねえほど人を殺した大泥棒に悪人呼ばわりされる...覚えはねえ!」

信玄を指刺し罵倒しようとするもその威厳に圧倒され尻込みする男

信廉「黙れ!無礼者!」

「ふん!逆さ磔になる身の上だ!片足地獄の釜に突っ込んだこの身体!手打ちだって屁でもねえ。煮て食うなり焼いて食うなり勝手にしろ!」大の字に寝そべる男。

大刀を持ち手打ちにしようとする信廉。その時、信玄がその男に向かって、

「構わん。何なりと申すが良い。申せんならわしが申そう。確かにわしは強欲非道の大悪人じや。実の父を追放し我が子も殺した。わしは天下を盗むためには何事も辞さぬ覚悟じゃ。血で血を洗う今の世に何者かが天下を取り、天下に号令せぬ限りその血の川の流れは尽きず屍の山は築かれるばかりぞ。」

立ち上がり一の間を去ろうとする信玄。去り際に、

「冷えて参ったな。冷えると古傷が痛む。信廉、この男よくぞ付付と(我に)申した。使えるかも知れん。その方に預ける。」

話を承りお辞儀をする武田信廉と聞き入る影武者の男(暗転)
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1573年(元亀3年12月22日)甲斐 武田信玄は兵ニ万にて遠江国敷知郡三方ヶ原に西上作戦と称し進出、遠江三河を本拠地としていた徳川家康、織田方(佐久間信盛)兵一万三千を擁した連合軍で浜松城に於いて迎え打たんと城の防御を固めていたが、武田方が浜松城を横目に急激に進路を西へ変更。それをきっかけに徳川方は揺動され城を出て攻撃に転じたところ、武田方の鶴翼の陣で迎撃され徳川方は浜松城へ敗退し決着がついた。

同年(元亀4年1月3日)武田信玄はそのまま西進し三河に進出、東三河の要衝にある野田城の攻略を開始する。城主の菅沼定盈は信玄の降伏勧告を拒絶して徹底抗戦を選択、武田方は金堀衆に城の地下に通じる井戸を破壊させる工作、所謂水攻めを行い井戸を破壊する事に成功する。事件はその直後に発生した。

水攻めの最中より本丸から夜毎見事な笛の音が響き渡る。哀愁唆るその美しい響きは攻め手である武田方の多くの将兵も感じ入り夜を待ち遠しく感じる者もいた。敵方とはいえ武家の嗜みとして風雅を感ずる話を聞きつけた武田信玄は水攻めの夜に笛の音色を直に聞きたいと欲し隠密のうちに城へ出向くも城内より鉄砲にて狙撃され大怪我を負い軍勢は急遽一路甲斐へ反転する事になった。

武田勢西進反転の報は直ちに様々な憶測を持って徳川家康、織田信長、上杉謙信の諸将に伝えられるが、詳細な消息については間者に依る隠密捜査でも確認が出来ない状況が続いた。

手傷を負った武田信玄は家臣団に、
「我が旗を京の都に裁てる事はこの信玄の生涯の夢である。しかしこの信玄にもしもの事あらばその志に拘るな。我もし死すとも三年は喪を秘し領国の備えを固め努努動くな。これに背き妄りに兵を動かす時は我が武田家の滅ぶる時ぞ。一同よく聞け。この事我が遺言と心得よ。」と伝える。

生きる事に固執し続けた信玄だが、甲斐に辿り着く事なく帰途中に死去する。享年数え52歳。山縣昌景は近習と共にに同行した医師を口封じに殺害し街道筋に遺棄、その夜野営先の陣内で武田信廉他の家臣団に内密裏に報告する。武田信廉が予ねてより信玄より預けられていた影武者の男を家臣団に引き合せる。山縣昌景、馬場信春、内藤昌豊、高坂弾正ら家臣団はその余りにも生前の信玄と瓜二つの容姿に驚嘆する。その日以来、軍勢の士気を鼓舞する場にも登場していく影武者。その姿は生前の武田信玄公そのものの所作を真似たものであった為、織田・徳川の間者の目をも欺いていく。

甲斐の躑躅ヶ崎館に帰着した後も諏訪勝頼の嫡男竹丸の幼子ならではの純粋な視点に正体を暴かれそうになるも上手くその場を取り繕い躱わす事に成功する。更に側室達も気付かず信玄本人と信じていく。武田信廉は武田家の難局を影武者の男に全て押し付ける事を気の毒がり、三年務め上げ何事も無かった後に男を自由の身とすることを確約する。男も次第に助命の恩もあり信玄公の役に立ちたいと懇願し影武者に本腰を入れ出し正に武田家兵法の基本思想である「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵し掠めること火の如く、動かざること山の如し」 信玄本人が山そのものである事を身を以って配下の者に顕示するのであった。

徳川家康は浅井・浅倉連合軍の反撃、摂津石山本願寺鎮圧、さらに伊勢一向一揆征伐、そして信玄の西進により全く手も足もでない状況で四苦八苦している織田信長に向けて再度進軍しようとしない武田勢の様子から信玄死亡の疑いを捨て切れず様々な揺動作戦を展開し武田勢の出方を推し図ろうとする。影武者に言い様に扱われ納得のいかない武田勝頼は独断で揺動に応じてしまい武田家臣団が一枚岩ではない事を家康、信長に悟られる事になってしまう。これが武田家滅亡に向けての災いの発端となっていく。

武田家中の信頼を得た事で己を過信した影武者の男は信玄しか乗りこなす事の出来なかった名馬黒雲を乗り熟そうとして家中の者が見ている前で落馬する。その騒動からかつて川中島で上杉謙信から受けた刀傷も無いことが妾達に判ってしまい影武者である事が家中に知れ渡ってしまう。

武田信廉をはじめとする家臣団はこの機会に乗じて武田信玄の訃報を正式に発し仮葬儀を実施する。武田家の跡取りは正式に武田勝頼となった。勝頼は信玄公の動いてはならぬという遺言を守らす長篠への出兵を家臣団の静止を振り切り決断する。影武者の男は信廉や家臣団に感謝されながらも放免される。信玄の死から三年が経とうとしていた。織田信長は仮葬儀の報に接して、

「三年の間、よくぞこの信長を謀った!」として幸若舞敦盛の一節を謳い舞う。

「人間五十年下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

1575年(天正3年5月21日)三河国長篠、設楽原に於いて新兵器である鉄砲を多数用意し、隊列を編成した織田信長、徳川家康連合軍三万八千と武田勝頼率いる二万五千全軍の内一万五千の長槍編成と騎馬隊を中心とする軍勢が戦闘を行い武田軍は鉄砲の前に完膚なきまでに叩きのめされ壊滅、武田軍は死者一万人を数え武田四天王の内、山縣昌景(火)、馬場信春(風)、内藤昌豊(林)が壮絶な戦死を遂げる。この戦を以って武田家は滅亡を迎えた。その最後の戦を物陰から終始観続けた影武者の男。最後に自ら鉄砲隊の陣に突入、被弾する
命からがら川まで歩きつくと川の中に信玄の風林火山の旗印が落ちているのを見つける。旗印を拾おうと川に分け入る男。しかし途中で力尽き溺れる。亡骸となった遺体が旗印を掠めて流されていく。

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製作:黒澤明 田中友幸(東宝)
製作総指揮:フランシス・F・コッポラ
     :ジョージ・ルーカス
監督:黒澤明
脚本:黒澤明、井出雅人 アドバイザー橋本忍
監督部チーフ:本多猪四郎
撮影:齋藤孝雄 協力 宮川一夫
武家作法:久世竜

配役
武田信玄、影武者の男:仲代達矢
武田信廉:山崎努
武田勝頼:萩原健一
近習土屋宗八郎:根津甚八
山縣昌景:大滝秀治
馬場信春:室田日出男
跡部大炊助:清水綋治
小山田信茂:山本亘

田口刑部:志村喬
医師:藤原釜足

お津弥の方:桃井かおり
於ゆうの方:倍賞美津子

織田信長:隆大介
徳川家康:油井昌由樹

1980年5月 日比谷映画劇場にて初鑑賞

⭐️4.0

Moi
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