「ビン・ラディン殺害までの緊迫の10年間」ゼロ・ダーク・サーティ キューブさんの映画レビュー(感想・評価)
ビン・ラディン殺害までの緊迫の10年間
昨今の世界で起きた事件の中でも、最大の驚きを持って迎えられたのが「ビン・ラディン殺害」であろう。元々ビン・ラディンの捜索に四苦八苦するCIAを描くつもりだったらしいが、この一報を聞いて急遽脚本を変えたらしい。正直そのニュースを聞いたときは「どうなることやら」と思っていたが、それは私の完全な思い違いであった。
まず映画は9.11のときに様々な人の間で交わされた電話のコラージュからスタートする。画面は真っ暗のまま、人々の恐怖を音声のみで描き切っている。このシーンに代表されるように、「ゼロ・ダーク・サーティ」は全編を通して音響効果が素晴らしい出来映えだ。爆破のシーンも、電話の盗聴も、終盤の作戦決行時も「音」が映画の持つ異常なまでの緊迫感を生んでいる。
CIAによる捕虜の拷問シーンも前半では盛りだくさんだ。容赦ない水責めに合わせたり、陰部を露出させたまま首輪をつけて狭い箱の中に閉じ込める。オバマがあれほど捕虜への拷問を禁止すると言っていたのもうなずける、凄まじい描写だ。
ビン・ラディン殺害に成功したCIAを、ただ賛美するだけに終わらないゆえんはここにある。このシーンだけでなく、CIAに批判が飛んで拷問を取りやめた後半でも、「拷問」がいかに有効な手段かを暗示する台詞が登場する。極悪非道のテロリストを洗いざらい見つけ出すために、極悪非道な手段をとるのだ。いかに「大義」というものが不安定なのかを指し示している。
こういったシーンの冷酷さが際立つのは、"The Killer"と呼ばれるマヤを演じたジェシカ・チャンスティンによるところが大きい。今まで彼女が出演した映画をいくつか見たが、毎回まったく異なる役柄に完璧になり切る。今回も例外ではない。捕まえたアルカイダの幹部を尋問する時でも欲しい情報を吐かなければ、傍にいる男性の軍人に殴るよう促す。人間がする行動とは思えないことを繰り返し、精神が疲弊していく様は時折描かれるが、それでも申し訳程度だ。ひたすら全面に押し出されるのは、ビン・ラディン捜索のためなら何をすることも厭わないマヤの冷酷さと異常な執着心だ。
キャスリン・ビグローは「ハート・ロッカー」でもそうだったが、戦時下などの異常な状況における「麻痺した」人間を描くのがとても上手い。拷問を加えた後は優雅にコーヒーをすすっている。こういった場面が今回ではより強調されているが、それに伴い「ハート・ロッカー」のときよりも、個々の人間の内部の描写に欠けているとも感じた。
というのも、主人公のマヤには最後まで感情移入できない。いくら9.11の主犯であるからとはいえ、彼女のビン・ラディンへの執着心は異常としか言いようが無い。なにしろ上司にすら「気でも狂ったか」と言われる始末なのだ。劇中の人物が理解できないことを観客が理解できるはずが無い。憎悪にも似たその感情をもう少し丁寧に描けば、ラストシーンもより深みが増したのではないだろうか。
その他の人物も同様だ。すべての人物が「ネプチューン・スピア作戦」実行までの駒に過ぎず、それまでに感じる葛藤などは「ほぼ」見えてこない。「ほぼ」というのは、作戦決行時に一兵士が困惑した表情を見せるシーンがあるからだ。だがそんな彼もコードネームで呼ばれる特殊部隊の1人でしかなく、あまりにも大きな事件の影に埋もれてしまっている。
さらに「ビン・ラディン殺害」に対する監督なりの考えも一切見えてこない。いや、オリバー・ストーンのように自分の考えをゴリゴリ押し付けてくるのもどうかと思うが、「ゼロ・ダーク・サーティ」は一定の筋道ですら見せない。
そもそもキャスリン・ビグローは社会派映画監督ではない。彼女は一流のアクション映画監督だ。自分の得意分野を理解しているからこそ、テロリズムにおけるイデオロギーを映画に込めるのではなく、作戦決行までの張り裂けそうな緊迫感を描く方を選んだのだ。
だがこんなにタイムリーな題材を用いているのだから、何か「一つの答え」を提示することはできなかったのか。「ゼロ・ダーク・サーティ」が映画史に残ることは間違いないのだから、もう少し大胆なアプローチもを取っても良かったのではないだろうか。
しかし先ほども言及した通り、キャスリン・ビグローは最高のアクション・サスペンス監督だ。テロリストによる自爆テロの場面はあまりのことに見ているこちらも息を呑む。会議室のシーンでさえも、(ビン・ラディンの潜伏先を発見してからは、あまりにもじれったいが)捜索に必死になるCIAたちの対決が見られる。ほとんど戦闘シーンは無いが、2時間半の上映時間で飽きがくることはまったくない。
そして何と言っても、終盤の作戦決行のシーン。彼女の手腕が遺憾なく発揮された、手に汗握ること間違いなしの名場面だ。通常のカメラと緑色の暗視カメラに切り替えることで、闇夜に浮かぶ特殊部隊の不気味な姿が一層不安感を煽る。銃撃が開始されても、むやみやたらに撃つことは無い。標的を確実に、かつ静かに仕留め、倒れたその体にも銃弾を撃ち込む。冷静さと残酷さを兼ね備えた、リアリティあふれる場面だ。
おそらくアルカイダに関連した映画はこれからも製作されることだろう。しかし、事件後わずか1年半後に公開された点、それでも最高のクオリティを保っている点でこの映画は歴史に名を刻むだろう。必見の作品である。
(13年3月12日鑑賞)