塀の中のジュリアス・シーザーのレビュー・感想・評価
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勉強が必要
そもそも『ジュリアス・シーザー』の物語に親しんだことがある人向けなのではないだろうか。シーザーとブルータスの関係やその業績などを知ったうえでないと何をもめているのか全然分からなかった。
それでも映像から伝わる迫力になんとなく見入ってしまい、見入ったまま終わって決して退屈したわけではないのだが、でももっと本当は素晴らしい作品なんだろうなと受け止めきれていない感じがした。
後で調べたら出演者全員が本物の受刑者で、すごい演技力だったので全然普通に役者が演じているのかと思った。それを踏まえて見れば余計に価値を感じることができたはずだろうと思った。
総ての人の心中に存在するブルータスとシーザー
映画とはこんな事までやってのけてしまうのだ!驚きだ。
これは映画作品としての、総合的な芸術性の出来の良し悪しを問う作品では無い。
と言うより、公演の為に芝居をする囚人達の心の中に新たな葛藤や、変化を生んで行くそのプロセスを提供したと言う事が一つの偉大な功績だ。
それは、映画の新しい価値が生れる大切な瞬間の出来事でもある。
本当に驚かせられる映画だった。
そう言えば、イタリアでは、精神科病院に入院する患者達に、建築物のフローリングのデザインや、床のタイル貼りの労働をさせる事で、自立と社会復帰、病気の回復をさせると言う、新たな試みをして、イタリア国内から患者を薬物浸けにする精神病院を廃止させた、そのプロセスを描いた「人生、ここにあり」と言う素晴らしい映画があった。
本当に、イタリアとは、次々と新たな、変化を生む国だ。やはり、偉大なローマ文明を生んだ国のスピリッツが今も、人々の心の根底に流れているのかも知れない。
さて、本題である、この作品の話しにもどして、この映画は、音楽の使い方・そしてモノクロとカラー描写の使い分けをすることで、現実と虚構と言う2つの異次元世界を巧みに表現していたと思う。
尺も76分と短いが、その中でも、充分に演じる囚人達の心の変化が、観客達に迫り来る迫力のある作品だったと私は信じている。
予告編がもの凄く興味が惹かれる巧い編集のしかたで出来ていたので、本編はこの予告編がそのまま長尺になったような作品で、特に本編としては、複雑な編集なども無く、凝った特別な演出をせずに、時系列で、公演を始める為の、オーディションから始まり、練習の日々と本番の舞台の様子を捉えるだけで、極力映画監督達の囚人達に対する先入観や、彼らの考えなどを前面に描かないのだ。
そして囚人達の意見を敢えてインタビューせずに、彼らの本番を迎える日までの記録を綴った事で、普通のドキュメンタリー作品にありがちな、痣とさがかき消されている分、よりインパクトのある作品に仕上がっていたと思う。
何しろ、配役決定の為のオーディションのシーンで、オーディションを受けている囚人達の罪状と服役年数がテロップで表示されるだけで、その後は何も情報が無いと言う事が逆に観る者に、それぞれの想像力を提供し、彼らと同時に、芝居の役の中へと入り込む事が出来る様に作られている点がこの作品の最も効果的なネライだった様に感じられた。
普段私達が想像しているドキュメンタリー映画と言うよりは、記録映像と言った方が正しいだろう。
しかし、その事で、より塀の中の囚人達の心が伝わって来る気がするのだ。囚人達に芝居を通じて過去に犯した罪と向かい合い、心を立て直す機会を提供するこの試みほど大切な事は無い。冤罪では絶対有り得ない、死刑囚を何時までも服役させ、長い間税金で食べさせている事の必要性を理解出来ないでいたが、この映画を観て、その考え方が間違っていた事に私自身も気が付いたのだ。人は時々、取り返しの付かない様な過ちを犯す事が有るかも知れないが、そんな時に、誰にでも自分の犯した罪を省みて、生き直す機会が得られる事の重要性を改めて考えさせられる作品であった。
牢獄という人生の舞台
舞台では、シェイクスピアの史劇『ジュリアス・シーザー』のクライマックスシーンが演じられている。幕が降りると、スタンティング・オベーションの中で役者たちは歓喜の表情を浮かべ、観客は満足げに劇場を後にする。だが何かが違う、何故こんなにも警備員が多いのだろう?何故こんな頑丈な扉がついているのだろう?そう、ここは一般の劇場ではなく、本物の刑務所内にある劇場なのだ。そして演じた役者たちはこの刑務所に服役中の重犯罪者たちだったのだ。
これは、ベルリン映画祭のグランプリを獲得したタヴィアーニ兄弟の新作の冒頭シーンだ。ローマ郊外のレビッビア刑務所で実際に行われている演劇実習を捉えた本作は、真剣に取り組む囚人たちの熱演によって単なるドキュメンタリーではなく、虚実織り交ぜた迫力ある物語に変貌していくのだ。
定期的に行われている演劇実習、今年の演目は『ジュリアス・シーザー』だ。早速キャストのオーディションが始まる。ここに登場する囚人たちは懲役10年以上の重犯罪者だ。終身刑の者も幾人もいる。だがひとまず稽古が始まると、過去の経験から感情を喚起させ、怒り、哀しみ、悩み、真剣に役に取り組む。
各自の監房や廊下、中庭、図書室など様々な場所で稽古をする囚人たち。稽古が進むにつれ、刑務所はいつしか本物のローマ帝国となり、Tシャツとジーパンの男たちは、それぞれシーザーに、ブルータスに、キャシアスにと変貌して行く。
硬質なモノクロ映像と音楽がドラマティックだ。特に引きで捉えた刑務所の外観が、音楽の効果もあって、不穏な陰謀を前に震えるローマそのものに観え、思わず息を呑む。
迫力の戦闘シーンでは、役者たちの怒りが爆発し、もの哀しい自決シーンは、役者たちの無念さが滲み出る。そのエネルギッシュな“魂”に魅了されてしまう。
しかし・・・華やかな舞台は幕を閉じ、役者は囚人としての“日常”へと戻っていく・・・。それまでの活き活きした姿とは別人のように、項垂れて監房へと帰って行くのだ。ラストシーンで1人の囚人(終身刑)は言う「演技を知って、監房は牢獄に変わった」と・・・。それまで悪の道に手を染めていた彼らが、演じるということで得た知的好奇心や表現する喜び。それはきっとそれまでの人生では感じたことのない感動だったのだろう。しかし、刑務所に入られなければこの喜びを知ることもなかったであろうと思うと、言い知れぬ感慨を覚え、胸が熱くなる。
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