「西と東の2人の男との想いに揺れ動く女心だけでは感動は全く生まれない」東ベルリンから来た女 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
西と東の2人の男との想いに揺れ動く女心だけでは感動は全く生まれない
古臭い・古臭い・何ともしがたい嫌な雰囲気を全編に漂わせている作品だった。
本来映画などの芸術作品を人が観る目的の一つには、観客である私達がその自己の人生では体験出来ない事柄である映画が描いている他者の人生体験を観たり、或いは原作本を読んだりする事で、他者の人生の一部を芸術作品から投影して疑似体験する事で、自己の経験した事の無い世界を一時でも理解出来るように、自己のイマジネーションの枠を広げる作業をする為に私は芸術作品を観ているのだと考えるのだ。
観る時は好き嫌いで選択しているので、本当はこんな大袈裟な理屈は微塵も考え無いですが、敢えて目的を考えると、人間は好奇心が強い動物で色々な体験を求めているのだと思うのです。
それ故に、あくまでも本来は体験し得ない自分の人生とは何ら関係の無い事柄であっても、その片鱗を理解しようと試み、追体験するために興味のある主題がテーマの作品を選んで、人は映画を観ていると私は思う。
しかし、人は自己の人生で日々体験している事柄の中から想像を膨らませ、その延長線上でしか物事を考える事が出来ないので、体験していない他者の気持ちを本当に理解する事は本来出来ないのだ。しかし、唯一理解出来る点が有るとしれば、それは人間の本質的な部分の共通点を映画が描く事で、人間的理解が生れると言う事なのだ。この作品には、そのような他者に共感を得るだけの普遍的な人間的共通性が素直に描かれていたのかと言うと疑問が残るのだ。主人公のバルバラが西に暮らす恋人との生活を望む為だけに、逃亡するお話では、只の古臭いメロドラマの枠を脱していない。何故このように東西に分断していた時代の事をメロドラマとして、2010代の現在今更描こうとしているのか正直、私には制作者の意図が理解出来ない映画であった。
それは、社会主義国に暮した経験が無い私には、その生活の本当の不自由さが身に沁みて理解出来ない為に、この作品が描こうとしている自由な生活の大切さや、その有り難味を心底感謝する事も無く、当たり前の様に自由に日々を生活している私には、この作品に描かれる気持には共感が出来なかったのだろうか?この話に深みを全く感じられなかった。
バルバラを演じていた彼女は芝居が巧いだけにその彼女にもっと芝居的な見せ場を作る為の工夫を加えていれば、作品自体にもキャラクター像の厚みが出て、映画全体のクオリティーの良さが増して、作品が生きてくる事が出来たと思うのだ。
反体制の人物を監視する側と監視される側の人間像をとても巧に描き出していた私の大好きな作品にあの有名な「善き人のためのソナタ」2006年制作がある。
彼女を、それとなく監視し、警察側に密告する側の立場である職場の上司である医師との恋心もありきたりで、単純だ。彼女の部屋に置いて有った古いピアノを弾くシーンも挿入しても、本作品は、「善き人のためのソナタ」の素晴らしさには遠く及ばない。遠く引き離された男女の恋心を描くだけでは何とも観客の心は捉えきれないと思うのだった。