「失われた日本に捧げられた新しい神話」隠し砦の三悪人 neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)
失われた日本に捧げられた新しい神話
『隠し砦の三悪人』は「見せる」と「語る」黒澤明のうち、彼の作った30作品の中でもっとも「見せる」に重点を置いた作品である。
「理性」に訴えかけてくるその他の作品と異なり、この作品だけが唯一「感情」にも訴えかけてくる点が特異である。
しかしあえてここで、この作品で何を黒澤が語りたかったかということに着目してレビューを書いていきたい。
この映画の雛形となっている『虎の尾を踏む男達』が戦前の神話だとしたら、『隠し砦の三悪人』は戦後の神話である。
『虎の尾を踏む男達』では「忠誠心」というものが全面に出ていたが、本作では「選択と責任」が軸になっている。
雪姫は単なる姫様ではない。戦後の象徴天皇と重なる存在であり、政治権力を持たず、しかし文化的精神的な「高貴さ」「在ることそのもの」の象徴、国を背負う存在として描かれている。
つまり、彼女は日本神話の延長線上にある国体の擬人化である。
秋月家の滅亡と新たな共同体の再編成、旧来の力の崩壊と、新たな秩序・文化の再生。
これは、敗戦による国家の崩壊と戦後日本の再出発を寓話的に表現している。
喪失→放浪→再生という弁証法的展開は、古典的神話のパターンに則っている。
黒澤は無意識のうちに、戦後日本に必要な神話の骨格を再編成していたのである。
ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』でアメリカ建国神話の再構築を試みたのと同様、黒澤もまた『隠し砦の三悪人』で日本文化の神話的再設計を志向していた。
つまり、両者は国民的アイデンティティのリセットを映画によって試みたのだ。
損得勘定に生きる農民、又七と太平は、敗戦後の庶民像を代弁している。
二人は理想でも忠義でもなく、生存と打算の中で右往左往するが、最終的には理性のある共同体に再統合される。
これは日本社会の「国民統合」プロセスそのものを寓話化している。
黒澤がどこまで自覚的に「神話再編成」を意識していたかは不明だが、作品全体に「秩序と無秩序のはざまを揺れ動く人物たちの姿」が描かれている。
それ自体が戦後日本の再統合できていない不安定な状態を表し、無意識の時代精神が投影されている。
『隠し砦の三悪人』は日本人が求めていた敗戦後の日本の進むべき道、在り方を揺るがずに提示した作品ではないだろうか。
娯楽性と寓話性を両立させた黒澤明の特殊な知の成果である本作は、現在の価値判断能力を失い、先が見えなくなっている日本人にこそ見てほしい。
4K UHD Blu-rayで鑑賞
95点