マーサ、あるいはマーシー・メイのレビュー・感想・評価
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カルト団
ことし(2021)のはじめタニアロバーツの訃報があったときミラクルマスターのワンシーンを思い出した。
外国映画では、野山やキャンプ地に湖池があったばあい、すっぱだかで泳ぐシーンが挿入される。──ことがあるが、タニアロバーツのは出色で、ミラクルマスターがどんな映画だったか思い出せないのに、そのシーンだけはおぼえていた。
コナンザグレートみたいな神話ファンタジーなので、もともと弊衣なんだがイタチが服を奪ったせいで、一糸まとわぬタニアロバーツが眼前にまろび出てくる。──のだった。
一般にスキニーディッピングといえばホラー映画である。
映画に裸を無理なく挿入したいばあい、設定しやすいシチュエーションだと思う。ALTER内でも再生回数の高い「Backstroke」はskinny dippingをうまく使っていた。
男性の観衆にサービスシーンを提供する目的と、映画内の男性を誘惑する目的──両者を同時に満たす所以でI Spit on~系の復讐劇にもskinny dippingがつきもの──である。
だが、外国人は(とうぜんのことだが)湖池やその他水辺と見れば、なにがなんでも裸でおよぐわけではない。
本作には裸で泳いでいたマーサ(エリザベスオルセン)をたしなめるシーンがある。カルト団で青春を過ごした彼女は、ふつうの感覚を失っている。
姉のルーシー(サラポールソン)は「なにをかんがえてるの、裸でなんか泳ぐもんじゃないわ」──わりときつい調子で言ったのだった。その通りである。
映画のskinny dipping場面に惹かれるわたしは、犬も歩けば棒に当たるがごとく、開放的なアメリカ人が湖池に行き着けば即ち裸で泳ぐもんだ──と思っていたんだが・・・んなわけねえだろ。って話である。
ワンスアポンアタイムインハリウッドをごらんになればわかるとおり、カルト(教)団の主たる収入源といえば盗品と盗品売買と街娼である。
ワンス~のマンソンファミリーは古い撮影用の牧場を占拠していたので、観光客向けのホーストレッキングをして表向きの収入もあった。が、主要財源は別荘や留守宅からの金品強奪であっただろう。
ワンス~では忍びこんだ邸でしたたかな抵抗、どころかとんでもない返り討ちに遭ってしまう様子が描かれていた。
Margaret Qualleyが今すごくブレイクしているが、(ワンス~で)かのじょはなんとなく街をふらついていたのではなく、謂わば立ちんぼをやっていた。──わけである。
カルト教祖は女性信者を手込めにするだけでなく、てなづけて、教団を富ませる器用な外交員に仕立てる。
この構造は、さいきん(2021/07)判決が出たセックスカルト「ネクセウム」も同じだった。団広報のアリソンマックが、かつてエマワトソンに入信をもちかけていたことが大きな話題になっていた。
映画はそんなカルトから脱却をはかろうとする女性の話。
マーサはカルトにいたせいで、じぶんの性をどうやって取り扱ったらいいか、わからなくなっている。裸でおよいだり、その気もなく男に性をアピールするのは、カルトから抜ける際に起きる禁断症状のようなもの。──揺れうごくマーサの気持ちをとらえてサンダンスで絶賛され、人格の分断にさいなまれるマーサをエリザベスオルセンが好演していた。
(ねんのために言っとくがエリザベスオルセンが裸でまろび出る──わけではない。)
カルト集団はロクなのがいない・・・
エリザベス・オルセン目当てで観ました! 孤独だったりで心の拠り所を求めてこういう集団に入ってしまう人を責めることはできません、心の拠り所を求めてる人達を利用しているカルト集団のリーダーやそいつを崇拝している奴らに腹が立ちます、男が食事を食べてる間は女性は待っていてその後に食べるというシーンがありましたが、何なんですかあれは? 男だから何か偉いんでしょうか? カルト集団じゃなくてもありますよね、昔からの地主の人達の集まりとかで男達が飲み食いしている間に女性達は料理を運ぶ合間に台所でのり巻きを食べるだけみたいな・・・「一緒に座ろうよ」の一言がそんなに難しいか? くだらないしきたり守らなきゃバチが当たるのか? 女性達に申し訳なく感じます、古臭い考えというかバカというか・・・そもそも女性がいなきゃお前は生まれもしなかったんだぞって言ってやりたいです、話がそれちゃいましたが、他の映画のレビューで少し品のないこと書いてる僕が言う資格はないかな(笑)?
Sean Durkin
2011年のサンダンス映画祭で監督賞を受賞した、ショーン・ダーキン監督・脚本の作品。
これだから、映画っていうのは難しい。
率直に言って、この作品好き嫌いがあると思います。自分も好きな方ではないけど、嫌いではないという感じです。全くと言っていいほど答えの出ない映画、視聴者に多くの解釈の余地を残し、オープンエンドで幕を閉じる映画です。
主人公のマーサがカルト集団から抜け出しながらも、その時の記憶に苛まれ、メンタルが崩壊して行く様子を、フラッシュバックとともにインターカット形式で作り上げられた作品。テーマは一概には言えませんが、「アイデンティティの崩壊、損失」と言えるかもしれません。
観客も主人公と同じように、何が何だか分からなくなって、何が現実なのか、何が現在なのか、何が自分なのかということを迷走し、失って行くような感覚になる映画です。
ホラー映画のように怖がらせるのが目的でもなく、
スリラーサスペンスのように、ハラハラドキドキさせるのが目的でもなく、
ドラマのように、感動させるのが目的ではないんです。
サイコロジカル的に、脳を混乱させそれを紐解こうとする人間の好奇心を利用し、その中でアイロニーを含んだメッセージを答えではなく議題として投げかけられたような感覚です。
でも、嫌いじゃない作品。
観終わった後に、スッキリするような感覚は全くありませんが、映画の中に足を入れ、ズブズブと溺れて行くような感覚になったのは間違いありません。つまり、映画体験はできました。かなりもやもやする方法でですけど。
そこには、フレーミングの力がありました。サイコロジカルスリラーとして、観客に主観的に謎解きをさせる、その謎を与えていたのがフレーミングでした。
フレーミングには教科書のようなものがあります。それは、ルールオブサードだったり、180度ルールだったりしますが、それはあくまでも教科書です。簡単にいうとその教科書どうりに撮影すれば、普通のフレーミングになりますよ。ということ。
普通というのももちろん大切です。普通があるから普通より上がある。ずーっと違和感のあるフレーミングだったら、観客を混乱させて終わりです。
この作品は、その教科書のルールをあえて破り、そこにサブコンシャス的なメッセージを含ませることで、観客に間接的に疑問を持たせるような仕掛けがしてありました。このような手法はほとんどの映画で使われているのですが、この映画ではそれがきつめの度合いまで振り切っていました。
むしろサブコンシャス的ではないほど明らかに変なフレーミング。しかしそれが何を示しているかというのは、その一瞬では理解できません。むしろ映画が終わっても理解できません。理解することが正解ではなく、そのフレーミングから感じた違和感が、主人公が感じる心の不安定さにつながり、そこに無意識に感情を投影することで、観客自身も頭の中が渦巻くように不安定さを感じ、それを解消しようとするエネルギーが、この映画面白い、につながるのです。
言葉で書くこと自体が難しいので、ちょっと何言ってるか分からないかもしれませんが、すみません(笑)
とにかく、興味深い作品でした。ダーレン・アロノフスキー的な?
心が壊れてしまったら
・2年間新興宗教というか反社会的な集団と生活してから抜け出したマーサが周囲との生活に苦しむ姿を描いた作品
・教祖みたいな存在のパトリックと無理矢理セックスするのが最初の儀式
・パトリックのじょうしきがつうじない存在感と血管が浮き出るほど細い腕がヤバイ
・フリーセックスは結構だが必ずと入っていいほど揉め事が起こるな
・というか強盗に入って殺人まで犯してるんだからフツーに捕まるだろ
・マーサ役の女優の不安そうな表情がよい
・過去と現在をシームレスに行き交いする演出も洗脳と自覚を曖昧にしてるようでよい効果だと思った
・ラストは正体不明の車が背後から迫ってきて怯えるマーサの画で終わって、あ~、終わり方そうかあ。ってなった
静かに深く、心を侵食していく
カルト集団から脱走し、疎遠だった姉夫婦の元に身を寄せたマーサ。しかし、“マーシー・メイ”と呼ばれていたカルト集団時の記憶に苦しめられる…。
カルト集団と言っても日本人なら誰もが思い浮かべる“あれ”のようなイメージは無い。
人里離れた山の中の開けた土地に家屋があり、そこで野菜などを作りながらの生活。怪しそうな祈祷も教えもナシ、一見平和そうなコミューンにも見える。
が、こういうのが、人の心を侵食していく。静かに深く。
非常に淡々とした演出・展開。
カルト集団時の記憶も劇的に変わったりせず、日常生活の中からスッと挿入される。
マーサも一方的な被害者のように描かれておらず、だからこそ時折常軌を逸した行動に姉夫婦の苦悩もひしひし伝わる。
エリザベス・オルセンの映画デビュー作にしてブレイク作。
とてもあのセレブ姉妹の妹とは思えないほどの難しい役所を演じきっている。
カルト集団のリーダー、ジョン・ホークスも存在感あり。死について語るシーンは特筆。
ラスト、マーサの行く末は…?
某宗教団体事件でニュースで報道されなかった、抜け出しても苦しめられ続ける人たちはいた筈。
カルトは怖い
最初はタイトルの意味がよくわからなかったが、映画を見ていくうちにすごくはまったタイトルであることがわかってきた。絶妙なカットで、マーサとマーシーメイの境界の微妙さ、その病根となった傷の深さがあぶり出され、思わず引き込まれてしまった。ただし内容からして致し方ない感はあるものの、希望が見いだせない。もう少し前向きな形のエンディングでも良かったのでは?
マーサ、あるいはマーシー・メイは
最低!!!!!!!!!!!
弱い女の子をもてあそんだ最悪な映画
誰だって家庭環境に恵まれない子は弱くなるかもしれないけど
強く生きるパターンの方が映画にはあるべき
カルトとか教団とか以前に、強い者弱い者の描き方が
性的にしか表せていない最低の表現
現代社会から逸脱する事への意味、価値を描く
最低な人間の描写
怒りさえ感じる
カルト集団の不気味さ感じました‥。
これってカルト集団の不気味さをみせたかったの?それともマーサが壊れているさまを描きたかったの?自分はこういう状況に陥ったことがないから集団心理のなせるわざにイマイチ理解しがたいところがあるけど、のめり込んじゃうと善悪の区別もつかなくなるみたいだし、現実と夢の区別もわからなくなっていくんだろうな〜。
この作品のマーサは自分がおかしいと気付いているだけちょっと救われているのかもしれない‥。
現実と回想の切り替えかたがうまかったです。
けど、
ラストシーンの意図することがわからないんですけどね‥俺。
「曖昧さ」が鍵を握る
「マーサ、あるいはマーシー・メイ」はすべてが非常に曖昧な映画だ。ストーリー、キャラクター、映像。美しくも不気味な世界観が何とも言えない余韻を残す。
まず初めに挙げるべきは主演のエリザベス・オルセンだろう。「フル・ハウス」のオルセン姉妹の妹だが、今回が初の劇場映画らしい。しかしそうだとは思えないほど見事な演技を披露する。映画の序盤から見せる、ひたすら不安そうな表情は見ているこちらの焦燥感も煽る。何か質問されたりしても低い声でブツブツとつぶやき、自らの過去を明かそうとしない。時折、大丈夫そうな様子を見せるものだから余計に不安定な印象を与える。
彼女はこの本来の「マーサ」とカルト集団に洗脳され切った「マーシー・メイ」との切り替えが非常に上手だ。露骨な二重人格的描写に陥ること無く、いつの間にか「常軌を逸した」状態に変わってしまう。劇中では自らの体験を一切語らないのにも関わらず、彼女は体に刻み込まれた恐怖を全身で表現できる。まさに“引き込まれる”演技だ。
そんな彼女の(良い意味で)微妙な演技と調子を合わせるかのように、映像も曖昧な時間感覚を作り出す。特筆すべきは見事な編集だろう。姉夫婦の家に居候するマーサの現在と彼女の回想がシームレスにつながれているから、どこからどこまでが時間的な区切りなのか見分けがつかなくなる。この「曖昧な」編集が観客に不安感を植え付ける。一度マーサは姉のルーシーに「夢と現実の区別がつかなくなることがあるか」と聞くのだが、私たちが陥るのはまさにその状態だ。編集により、主人公のマーサとの感情の共有に成功しているのである。
もう一つはマーサだけにピントを合わせることで空間的な「曖昧さ」を演出している点だろう。彼女以外の存在がすべてぼやけて映し出され、精神的に追いつめられていくマーサの精神状態を直接的に表している。特にカメラの端に誰とも分からない人影が一瞬映る時の不気味さは何とも言えない。実際、この効果はエンディングに近づくにつれて重要な役割を果たすようになる。
このように、この映画の最も評価すべき点は「マーサの不安定な心」のみを描き続けることで、一つの映画として成立した点だ。空中に漂っているような感覚を持続させて、観客の焦燥感をひたすら駆り立てる。だからこそ、その「宙ぶらりん」であることが欠点にもなっている。
最も大きな点は彼女の恐怖の根源であるカルト集団、特にリーダーのパトリックの描写だろう。彼を演じるジョン・ホークスは今回も素晴らしい演技を見せてくれるが、パトリックというキャラクター自体に深みは無い。なぜ彼がそこまで恐れられ崇められる存在なのか。そもそもこの生活を始めた理由は何なのか。こういった部分が一切明かされないため、彼の精神的な影響力が見えてこないのだ。とはいえ、ジョン・ホークスはその骨張った容姿と無駄に力強いその眼差しで、見るものを凍り付かせ、話さなくても異様さを体から放つ。不気味なカリスマ性を持った人間を、「なぜ」という疑問抜きで演じ切ったのだ。(彼が披露する「マーシーの歌」も忘れがたい)
「曖昧」であることにこだわりすぎて、少々説得力に欠ける部分はある。だがディテールの描写に手を抜いていないから、見えていない部分にも生活感が感じられて、リアリティを失っていない。だからこそ幻想的なストーリーが身近なものとして、観客にも恐ろしいものに思えるのだろう。一つ一つのパーツが完璧に組み合わさった秀作である。
(13年3月25日鑑賞)
面白かった
一体なんだろうと思いながら物語の内容がだんだん明確になっていく構成がとても面白かった。そのためネタバレすると魅力が半減するかもしれない。リアリズムに徹していて、アイディアがとてもいい。演技も素晴らしかったし、編集もかっこよかった。低予算でできることを精いっぱい頑張っている感じがした。
雑な言葉で申し訳ないけど、普通と異常の境目ってなんだろうと考えさせられる。結局貨幣経済からの脱却にはロマンがあるけど、相当難しそうだ。
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