「Sean Durkin」マーサ、あるいはマーシー・メイ Editing Tell Usさんの映画レビュー(感想・評価)
Sean Durkin
2011年のサンダンス映画祭で監督賞を受賞した、ショーン・ダーキン監督・脚本の作品。
これだから、映画っていうのは難しい。
率直に言って、この作品好き嫌いがあると思います。自分も好きな方ではないけど、嫌いではないという感じです。全くと言っていいほど答えの出ない映画、視聴者に多くの解釈の余地を残し、オープンエンドで幕を閉じる映画です。
主人公のマーサがカルト集団から抜け出しながらも、その時の記憶に苛まれ、メンタルが崩壊して行く様子を、フラッシュバックとともにインターカット形式で作り上げられた作品。テーマは一概には言えませんが、「アイデンティティの崩壊、損失」と言えるかもしれません。
観客も主人公と同じように、何が何だか分からなくなって、何が現実なのか、何が現在なのか、何が自分なのかということを迷走し、失って行くような感覚になる映画です。
ホラー映画のように怖がらせるのが目的でもなく、
スリラーサスペンスのように、ハラハラドキドキさせるのが目的でもなく、
ドラマのように、感動させるのが目的ではないんです。
サイコロジカル的に、脳を混乱させそれを紐解こうとする人間の好奇心を利用し、その中でアイロニーを含んだメッセージを答えではなく議題として投げかけられたような感覚です。
でも、嫌いじゃない作品。
観終わった後に、スッキリするような感覚は全くありませんが、映画の中に足を入れ、ズブズブと溺れて行くような感覚になったのは間違いありません。つまり、映画体験はできました。かなりもやもやする方法でですけど。
そこには、フレーミングの力がありました。サイコロジカルスリラーとして、観客に主観的に謎解きをさせる、その謎を与えていたのがフレーミングでした。
フレーミングには教科書のようなものがあります。それは、ルールオブサードだったり、180度ルールだったりしますが、それはあくまでも教科書です。簡単にいうとその教科書どうりに撮影すれば、普通のフレーミングになりますよ。ということ。
普通というのももちろん大切です。普通があるから普通より上がある。ずーっと違和感のあるフレーミングだったら、観客を混乱させて終わりです。
この作品は、その教科書のルールをあえて破り、そこにサブコンシャス的なメッセージを含ませることで、観客に間接的に疑問を持たせるような仕掛けがしてありました。このような手法はほとんどの映画で使われているのですが、この映画ではそれがきつめの度合いまで振り切っていました。
むしろサブコンシャス的ではないほど明らかに変なフレーミング。しかしそれが何を示しているかというのは、その一瞬では理解できません。むしろ映画が終わっても理解できません。理解することが正解ではなく、そのフレーミングから感じた違和感が、主人公が感じる心の不安定さにつながり、そこに無意識に感情を投影することで、観客自身も頭の中が渦巻くように不安定さを感じ、それを解消しようとするエネルギーが、この映画面白い、につながるのです。
言葉で書くこと自体が難しいので、ちょっと何言ってるか分からないかもしれませんが、すみません(笑)
とにかく、興味深い作品でした。ダーレン・アロノフスキー的な?