遺体 明日への十日間のレビュー・感想・評価
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死体ではなくご遺体
遺体安置所の10日間を切り取ったノンフィクション。お棺が無い、火葬が間に合わない、いちいちそうだよなーと自分の考えの至らなさを痛感する内容だった。でも、これでもだいぶキレイに演出されてるんだと思う。
豪華なメンバーだけど西田敏行以外はリアルだった。市役所職員も医師も歯科医も警察もみんな被災者でこんな大災害は初めてなはず。だとしたら佐藤浩市や柳葉敏郎のように自分の感情は二の次で職務を全うする人もいれば、筒井道隆や志田未来、勝地涼みたいな戸惑い、狼狽える人がいたっておかしくない。悲惨な現場を見て気持ちが折れてしまった市役所職員の方も。そりゃそうだ。
西田敏行はやはり西田敏行。この映画では一市民という感じはしないけど主役として置くならやはり西田敏行のキャラは必要不可欠だった。
それから國村隼の読経シーン。当然色んな宗教・宗派の人がいたと思うけどそんなことたぶん関係ないんだろうな。ぶっちゃけ、宗教家が遺体安置所でできることなんてない。ただ死者を悼み、祈りを捧げるだけ。それなのに救われるのが宗教の力だし、その祈りの力が宗派を超えることもあるんだとあのシーンで思った。
地震や津波の直接的な映像はない(余震はある)。運ばれてくるご遺体も比較的綺麗でそこはちょっとリアリティない。まあ誰にでも観やすくするなら仕方がないかな。
当時は観られなかった
エンタテイメント
手慣れた作り。
ここは観客がグッときて泣くとこ!と狙ったポイントではちゃんとうるうるした。感動させるべく上手に作ってあるので感動した。
(被害に遭った人々の人生が大きく変わり今も沢山の人が様々な思いを底に沈めながら生きているのに、客の感情を操ることに躊躇いが無い。死者にも生者にも尊敬を欠いていると感じうんざりした。)
また実話ベースだし、物言わぬ人に信仰を尋ねることもできないのだから仕方がないのだけれど、このような時って仏教式対応オンリーで良いんだろうか。
弔う儀式は亡くなった人のために行うのではなく生きる人々の平安のためにあるのだと考えれば、日本で最多の支持者を持つ(30%ほど)仏教式が最大公約数的で安全度が高いのだろうが、不安が残る。特定宗教を拠り所にせず、亡くなった方をただ人として尊重できればそれが一番良いように思うのだけれど。
忘れてはいけない
現場では何があったのか支援物資や足りない人や物、それを生かされた人達がやらなければならないこと。
それを教えてくれる映画です。
自分の意見など
そしてボランティアとは聞こえはいいが震災近くに住んでいる人達もいくら被災している地域では無いかもしれないがボランティアをしていただいている上で被災者の為に尽くしているにも関わらずボランティアは自分で食事を調達しなければならないのは改善する必要がある。
行政では足りない部分を補ってもらっているからこそ人々は助け合わなければならない。
今では色々な方法で1人でも多くの命を助ける努力を国が行なっているがまだまだ改善すべき点はある。
最前線で支援を行った人や被災者方に耳を傾けて国や県、また各管轄が知識や知恵を出し合い今ある物で最善を尽くす、そうすればいずれ災害が起きても最小限に止めることができる。
【東日本大震災発生後、遺体安置所の様を描いた作品。そして、ルポルタージュの実写化の危うさを知った作品。】
■私は、東北に所縁がある。
故に、今作は震災後2年経たないうちに公開されたので、とても見れないと思い足を運ばなかった。
東日本大震災をテーマにした映画を観始めたのは、2020年の「Fukushima 50」と「風の電話」からである。
今作は、釜石市の民生委員だった男を主人公にしている。
福島ご出身の西田敏行さんは、遺体安置所に次々に運び込まれる津波に呑み込まれた泥だらけの遺体を前に、茫然とする人達の前で懸命に遺体及び遺族に対し丁寧に接する男を見事に演じている。
一番、グッと来てしまったのは多くの遺体を前に読経する僧侶を演じた國村隼さんが、読経の途中で、何度も涙を堪えるが故に読経が続かなくなる姿である。
涙が出そうになる。
だが、私は、ある事実を岩手県庁に勤めている大学の友人からこの映画が公開されて、だいぶ経つ頃に教えられたのである。
もう、良いだろうと思って観たのだが・・。
<今作は、邦画の名だたる且つ気概ある俳優さん達が集結した映画である。
2013年公開の映画に出るだけで辛かっただろうと思うのだが、皆さん流石の演技である。
只、映画と事実は別物である、と言う事は十二分に分ってはいるのだが、多くの名シーンを持ってしても、のめり込む事が出来なかった作品である。>
災害時に実際に起こったこと
フライング
震災後にもっとも早くリリースされたメジャーな映画がこれだった──と思う。
亡骸を丁寧にあつかうことを励行しているひとの話だった。なんとなく要領を得なかった。被災者ではないゆえ、無責任な発言になってしまうが、厖大な災害時には感傷よりも効率が必要になる気がした。のである。
亡骸を丁寧にあつかう──それは殊勝なことだが、どちらかといえば、独自性の高いこだわり──だと思えた。もちろん涙腺へ誘っている気配は露骨にあった。率直に言ってインチキ臭かった。
先般(2020年7月)映画のモデルとなった人物が少女たいする強制性交で逮捕された。
かれのこうばしいひととなりを述べた住民たちの話もあがっていた。屍体愛好癖で仮設安置場所をうろうろしていたかもしれない男が、いいように誤解され大資本のメインストリーム映画のヒーローになった──わけである。
もちろん、それを予見したわけでない。ただそうなってみると映画にあった違和感がストンと腑に落ちた。
その顛末を知るとき、プロダクションが悲劇を探していたことが分かる。
監督は踊る大捜査線シリーズを手がけた商業監督であって、こうなってみると指名はいい迷惑だったろうが、映画はお涙頂戴とはいえ、その職人手腕に支えられ、悪くない。
しかし。なぜこの人物が脚光したのかといえば、悲劇を探していたからだ。あらんかぎりの悲劇が横たわっていたあの震災の後で、よりにもよって変態に脚光してしまった。
──悲劇は探すものではない、とはそういうことだ。
悲劇が見つからなければ、悲劇はいらない。あるなら、へたに脚色しなくていい。
映画は単体で評価していいものだと思う。
それが嘘でも、ねつ造でも、あるいはキャストやスタッフが犯罪にかかわっていても、楽しんでかまわないと思う。またそれらを知らなくてもいい。
ただエンタメを鵜呑みにしない批評精神はあっていい。
慰安婦や抗日を信じるならわれわれはたんなる色情狂である。
それを考えたとき、まっとうなうらづけのある題材を見つけてくるプロデューサーのしごとも、映画の構成要素だと思った。
個人的には、東日本大震災の映画は早すぎると思う。Fukushima50も早すぎる。進行中の話を感動に仕立てるな──というたんじゅんな理屈であり、これなんか完全なフライングだった。フライングだったからこそ誤謬が発覚したのだ。
遺体明日への十日間
2,3年前まで 敢えて観たいと思いませんでした!たまたま娘がDVD持っていて あっ、持っていたんだという感じ、9年目 まさにあの時の忘れかけていた五感で感じた色々な事が蘇って来ました、
この映画、製作された時期でしか、分からない小さな事細かい感情が描かれています、当時行方が分からない親戚や友人を探して安置所、何十ヶ所も探し歩いた時の感覚が蘇って来ました、今見るともっとリアルな表現でも と言うところもあるが、この作品が作られた時期はこれで良かったのかなーとおもいました。安置所の床の日が経つにつれて綺麗になって行く様子良く描かれていました。
今、新たにコロナウィルスの脅威の中薄れてゆく震災の記憶再度蘇えさせる映画です!。
忘れられない映画
原作ファン
映像化したという努力は良しとして、
そこに西田敏行とか佐藤浩市、柳葉敏郎とか、
名だたる役者揃えちゃったら、
もう完全に「ドラマ」。しかも「君塚ドラマ」。
「聖人:西田敏行」の「ドラマ」でしかなかった。
その割に、主役の西田敏行なんか、
しばらくしないと何やってる人か分からない。
震災の説明のテロップとか付けるなら、
役名の肩書きとかも登場したところで付けないと、
(どこに住んでる誰とか、市役所何課の誰とか)
何するべきの人かさっぱり。
描いてる場面も震災後の10日間なので、
伝えるメッセージも薄いモノしかない。
そもそも西田と國村隼を並べちゃマズイだろ。
こんなとこにヤ○ザがいるぅぅぅ!、てなっちゃう。
役者では、方言の徹底さは無かったが、
志田未来と勝地涼は良かったかな。
ただ勝地が心変わりするきっかけとか脈絡とか、
全然分からんかったけどね。
過度な演出を控え真摯につくられた映画
体育館に仮設した遺体安置所の2ヶ月間を画く。フィクションでノンフィクションを描く難しさをどうしても考えた。役所の人たちが真っ白の上着を着ていたのがなにか象徴的だった。切羽詰まった現場の空気、怒号がどこともなくあちこちで。言葉にできない想いをお辞儀をすることで表す姿が日本人ぽい。刻一刻と変化する状況と構築してゆく全体的なシステム。声に詰まる住職のお経。元葬儀社、役場、医者、歯医者、消防士、警察官、捜索人、それぞれの立場の人たちがそれぞれの仕事を全うする。
だいぶ原作よりも様子がソフトに描かれているように思う。 でも、そう...
●頭が下がります。
原作の方が良かった
あの時、起こっていた事実の一つ
2011年3月11日、14時46分に発生した東日本大震災。およそ2万人の人が犠牲になった。
本作は、その東日本大震災で被災した岩手県釜石市の遺体安置所の数日間を、ジャーナリストが取材したままにドラマとして再現した作品である。
釜石市だけで死者・行方不明者は1000人以上になる。そうした遺体が運ばれてくる遺体安置所。カメラはそこからほとんど離れず数日間を描く。
東日本大震災で100人以上が犠牲になった市町村は、岩手県・宮城県・福島県の3県で22市町村ある。あの時、あの数カ月間、22市町村それ以上の各地で、本作に描かれていたような遺体安置所の姿があったはずだ。
遺体安置所だけではない。沿岸部の被災現場、遺体捜索の現場、原発、避難所、病院、福祉施設、市役所、ありとあらゆるところで、非常に厳しい状況があった。もっといえば、被災した一つひとつの家庭にもあった。
僕らがこの映画から、あるいは大きな震災から何を感じるべきか。少なくとも、あの時に起きた事を忘れないでいる事だと思っている。それは、東日本大震災に関わらず、日々の出来事をちゃんと意識していく事の大切さに繋がるはずだ。
なお、本作が震災から2年という段階で作られた事に対する批評は様々だ。釜石の地元の人に限らず、多くの被災地で本作を見た人から「今見たくなかった」という声を直接に聞いた。しかし、一方で、震災からたった2年で、被災地以外では震災のことが忘れられそうになっているなか、当時の現実を映像化した事への評価もあった。
個人的にはもう少し時間を置いても良かったかもしれないと思いつつ、東京で震災への関心が低くなっている事を実感するたび、やはりこういう作品を送り続けていく事の大切さも感じるのである。
ニュースでは伝わらない部分・・
真実とは何か。。
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