「出会いがあった頃」劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
出会いがあった頃
子供の頃の仲良し男女6人組のうちの少女1人が事故死してから5人が疎遠になっていたが、高校生に成長した頃に少女がなぜか幽霊としてリーダーの男の前に現れる。そしてリーダーにしか見えないが、5人が死んだ少女に対して悪い言葉を吐いてしまった事などを悔いたりしながら、再び集まる。少女も幽霊としていたりする。グループ内で片思いが2組あり、どちらも女性のほうが男性のほうを気にかけている。リーダーを思う女性は、死んだ少女に複雑な思いを抱いてしまった事に悔みながらも、リーダーには思いを続けている。思いを寄せられている男性2人とも死んだ少女が好きだったところからの複雑さ。こうした喪失感と思い出と、だんだん大人になって行くうちに違って来てしまうところとの揺らぎ。アニメ会社とフジテレビで深夜にテレビ放送され、実写版もフジテレビで放映し、(先日、フジテレビの日曜朝の鼎談に出ていた村上虹郎がリーダー役だったらしい)そして、それらは知らないが、日本映画専門チャンネルで放映されていたのが、劇場版のそれだった。リーダーのこれも亡くなっている母の願いで、亡くなった少女が現世に幽霊として現れた願いは、残りのメンバーの仲が戻る事。だったようだ。そして願いが叶ったら少女が消えて行く。
東日本大震災直前直後に製作、テレビ放映されていたようだ。劇場版は大ヒットしたのだと言う。うかつだった。子供の頃の仲良しと大人になってから。その間の高校生や専門学校や大学あたりの頃と。微妙にそれぞれ変わってきたり。しかし、そうした失いかける心を、当時別れてしまった純粋な死んだ少女が起点になって、純粋を取り戻すような気持ちで製作されたのか?でもあの頃の自分は、それぞれは。あらすじを書いただけのようになってしまったが、録画したのを観ながら、ウィキペディアやサイトで背景をなんとなく把握している。監督や設定の人と脚本のアラフォーの3人が男女同年齢のようで、脚本家の女性は、ほとんどが登校拒否になっていた人のようだ。それで大勢に感動を与える脚本が書けていて、仲間のような同年代とテレビアニメや映画で一緒に出来るというのは、学校の友達のような関係も社会でも取り戻せるような感じも受けた。「一線を越えてしまう」性描写も無い。ハダカも無い。本当はこうした精神性を求めている若者たちが多いのが、劇場版の大ヒットで察せられる。そうした精神性は永遠を求めるからロングランの作品らしい。しかしそれを汚して開き直ってしまう人達に同調してしまう所に疑問を持つ事が必要だ。そうした所は発端がフジテレビ深夜枠の関係だと言うのは皮肉な気もする。でもこの映画に関していえば十二分に償いになっている。良い映画だ。そして私のこの文章は作品の足を引っ張る。