「精巧でリアルなフィギュアで、一人遊びをする三谷監督」清須会議 CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)
精巧でリアルなフィギュアで、一人遊びをする三谷監督
20年以上、脚本家・三谷幸喜のファンだが、その三谷監督の最新作、監督6作目の「清須会議」だ。『The有頂天ホテル』以降、迷走を続ける三谷監督だが、『ステキな金縛り』がやや持ち直した感があったので、期待して初日に観に行った。
が……、結論から言えば、かつて無いほどの凡作だった。
「笑いを期待したから失敗」なんて事は無い。そもそも、近年の三谷舞台は喜劇とは限らない。むしろ、全く笑えない作品も多い。もちろん、「清須会議」を爆笑喜劇だと思って観に行ってなどいない。
清洲会議といえば、いくらでも料理の出来る題材だ。そこに着眼したのは面白い。脚本家三谷幸喜の得意とする展開も十分に期待できる。にも拘らず、まったく面白みがない。
否、もし脚本も監督も三谷幸喜でなければ、星3点くらいあげても良いのかもしれない。しかし、脚本・監督として三谷幸喜が関わっているなら、いくら何でも、この出来はもったいない。
何をテーマに評価しても批判できてしまうくらいに感じているが、例えば、秀吉、勝家、お市の関係性を取り上げてみるだけでも、まったくカタルシスを感じさせない構成に呆れるばかりだ。
○秀吉が固執するほど、勝家は天下に固執していない
○そもそも、秀吉はそれほどお市に惚れてない
○臭くて粗野で気が利かない勝家だが、お市が身の毛もよだつほど毛嫌いしているわけではない
○お市の子供を殺した事について、秀吉は反省も後悔もそれほどしていない
○お市の事を狙う秀吉が、寧との関係悪化に気が気でないという描写も無い
こんな設定では、この3人の奇妙な三角関係について、どんなドラマを視聴者が受け取れば良いと言うのだろうか。
「秀吉は天下を取れた」「勝家はお市と結ばれた」「お市は、勝家に嫁ぐ事で秀吉に対する復讐は遂げた」という結果を見れば、3人とも目的を達成している。「あぁ、良かったね」としか言いようが無い。もちろん、「ハッピーエンドでみんなが幸せ!」という作品を造りたいなら、そういう関係性でも構わないが、この作品はそんなものではない。
「肝心の評定に盛り上がりが無い」という指摘も含め、あらゆる面で面白くも何ともない作品になってしまっている。
監督は、撮影前に「十二人の怒れる男」を見直したと告白しているが、とてもじゃないが、同作のどこを意識したのかサッパリ理解できない。大河ドラマ好きを自称している三谷監督は、過去の数多の安土桃山時代の大河ドラマの、何をインスパイアして映像作家となったのだろうか。群像劇としても、密室劇としても、サスペンスとしても、あるいは人間ドラマとしても、時代劇としても、英雄伝記としても、何一つ良さを見出せない。
この作品の中で唯一の見所は、登場人物のキャラクター造形だ。キャスティングの勝利とも言えるし、それを演じた役者達の力とも言える。衣装や小道具も良かったし、それを実現させた演出も良かった。
しかし、それは映画監督としての三谷幸喜の評価を高める事にはならない。
要するに、この作品は、精巧でリアルなフィギュアを作った三谷監督が、「戦国評定ごっこ」をして遊んでいるような作品なのだ。そうやって見れば、偶然だろうが、ポスターやチラシにずらっと登場人物の顔写真が並んでいるのも、それを暗に示している気がしてきた。
筆者が子供の頃、ゴム人形の仮面ライダーやウルトラマンなどの「ソフトビニール人形」を並べて、「待てショッカー!ライダーキック!!」「キキーーーー!」などと台詞を言いながら、一人で遊んでいたものだ。
女の子がリカちゃん人形やバービー人形で遊ぶのと同じ。大人になっても、ジオラマに小さなフィギュアを並べて遊ぶ人がいると思う。
子供だろうが大人だろうが、一応、自分なりにストーリーを作って、一人で台詞を言いながら遊ぶのは、楽しいだろう。
「清須会議」の三谷監督も、出来るだけリアルに再現化したフィギュアである役者達を自在に動かして、さぞ気持ちいいだろう。しかし、悪いがそこにある肝心の脚本は、まったく面白みがなく、ストーリーに深みも無い。
「喜劇ではない」と言いながら、コメディ要素をソコソコ入れている。キャラクターに思い入れがあるせいか、それぞれの登場人物に笑いの要素を入れてしまい、そこも散漫で空回りしてる。
これまでの三谷作品は、「一つひとつの素材を整理し、脚本を修正すれば、それなりに面白い作品になるのではないか……」という点は感じられた。しかし、「清須会議」のレベルなら、わざわざ凡作の脚本をいじらなくても、脚本から別の人間が作り、別の監督が撮ればいいと思わされる。
脚本家として、間違いなくある才能のある三谷幸喜ではあるが、(舞台についても言いたいこともあるが少なくとも)監督としては迷走を続けている。
どんな才能のある監督も迷走する事はあり得る。しかし、今の三谷監督には、その迷走の出口が見えない。
自分が自信を持てる新作脚本を、他の監督に任せてみるか、あるいは自分が監督するとしても共同脚本を試みてみるか、いずれにしても、このままでは次作以降に期待が持てない。
甚だ残念な作品だった。