劇場公開日 2005年1月15日

「信頼と裏切り、そして純粋で誠の愛」北の零年 髭ジョンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0信頼と裏切り、そして純粋で誠の愛

2014年10月15日
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鑑賞方法:DVD/BD

幸せ

時代は明治初期、自分たちの国作りのために皆が心一つになって北の大地を開拓する人々の史実を元に描いた感動巨編である。
久しぶりに心を大きく動かされたいい映画だった。できれば劇場で観たかった。

止むを得ぬ裏切りや嘘、人間の狡さや弱さが伏線として上手に描かれていたが、その分吉永小百合演ずる志乃の強い信頼と情愛がドラマ全体を通して切々と訴えてきて胸を打った。

仲間と妻子を裏切った渡辺謙演じる志乃の夫小松原英明は5年前に家老の命で旅立つ時に娘に向かって「夢というものは信じなければただの夢だ。だが、信じていればその夢はきっと真になる。父はな、ここにいる皆の夢を叶えるために行ってくるのだ」と言い残して去って行くのだった。
妻も娘もその言葉を信じて様々な苦難に耐えて長い歳月を待つのだが、やっと5年後に再開した夫であり父である英明は旅立つ前のそれではなかった。英明は開拓民を取り締まる役人となってやって来たのだ。しかも他の女と再婚していたのだった。
そして英明は再会した妻志乃に向かって平気で言うのだった。
「夢から覚めてしまったのだ…我らが国を作るなど、ただの夢だった。戯れ言でした」

そしてエンディング近くになって志乃が呟く言葉に我々観る者は救われる。
「生きている限り…夢見る力がある限り……きっと何かが私たちを助けてくれる」

この映画にはたくさんの見せ場が用意されている。二つほど取り上げてみたい。

志乃の娘多恵の許婚雄之介が雪降る死に際に「花を観たい」と言う。それを聞いた志乃は自分のと貰った花柄の着物を切り裂いて落葉樹の枝枝に飾り、故郷淡路の花に観たてているシーンがある。積もる雪景色を背景に風になびく着物の切れ切れは幻想的で美しく、それを観たまだ年端も行かぬ雄之介は多恵に感謝して息を引き取る。映画中盤の見せ場で、深い哀しみ故に観る者にエクスタシーを感じさせる。
なるほど、このシーンは行定勲監督の苦心や思い入れを感じさせるのだけれど、何となく違和感を覚えたものである。少し無理があり不自然さは否めない。
しかし、それでもこのシーンの素晴らしさは、そんな瑣末的なことで少しも揺らぐことはない。

やはり一番の見せ場はラストシーンである。
会津藩士の残党アシリカ役の豊川悦司が正しく清廉の士として相応しく、とても格好よかった。
ラストの見せ場である納屋から数十頭の馬の群れが轟音とともに駆け出して行くシーンは圧巻である。
そしてその後に暗い納屋から悠然と現れる追われ人アシリカが刀を抜きながら「我が命、この地で散らす」言い放すと、右手に持った刀を斜めに構えながら英明ら多勢の軍勢に向かって駆け出して行く。アシリカの覇気に銃を構えた軍勢はうろたえ怯むが、突然銃声が鳴り響く。アシリカを必死で助けようと彼の前に身を投げた志乃が撃たれたのだ。刀を捨てあわてて駆け寄るアシリカは倒れた志乃を抱き起こす。肩を撃たれた志乃はアシリカに「死なないで…生きて…生きてください」と切々と言う。志乃とアシリカの見つめ合う強い眼差しは身を捩るほどの愛を感じて感動する。この一連のシーンは何度も観たくなる。豊川悦司の深い演技に魅了された。

この映画にはたくさんの見せ場があって観る者を飽きさせない。エンターテイメントの映画である。

それにしてもこの映画が「パレード」や「きょうのできごと」と同じ監督だったとは思えなかった。
才能と可能性のある監督だと改めて思ったものである。

髭ジョン