「狂信的な人間の怖さ」ウィッカーマン(1997) talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
狂信的な人間の怖さ
そもそも「ウィッカーマン wicker man=木の巨人)」とは、古代ガリアで信仰されていたドルイド教における供犠(神仏に動物や食物を捧げる宗教的・呪術的な儀式)・人身御供の一種で、巨大な人型の檻の中に犠牲に捧げる家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀の英語名称である―と、Wikipediaの解説には書かれています。
その元々の意味からも、本作の「ウィッカーマン」は、「生け贄(いけにえ)」を意味するものなのでしょう。
しかし、そこは宗教的な確信によるものとは言いながらも。
その実、この島は、もともと不毛の地だった様子。
品種改良を重ねたリンゴは育つかにも見えたものの、土地柄自体が不毛だったことから、結局は、それも不成功裏に終わってしまったということなのだと、評論子は思いました。
(島では名産のはずのリンゴが食卓に上(のぼ)らない。食事の食材も缶詰のものばかり。)
現況を打破して、起死回生のための窮余の一策とはいいつも、その確信(妄信?狂信?)の非科学性には、観終わって、身の竦(すく)むような思いもあります。
「生け贄(いけにえ)」を捧げても豊作は望めないことは、科学的には明らかなのですけれども。
しかし、その「生け贄」が豊作を約束すると信じざるを得ない島民の困窮(閉塞感?)、ないしはその困窮に圧迫された彼・彼女らの心情に胸に痛さを禁じられないという要素もないではないのですけれども。
本作は、評論子が入っている映画サークルの「映画を語る会」でお題作品として取り上げられた別作品『赤い影』と並ぶブリティッシュ・スリラーの秀作との評を読んで、鑑賞することにしたものでした。
総じて、白昼堂々、自身の信念についての内面的な確信に基づく「無表情」・「狂信さ」の恐ろしさを描いたサスペンス・スリラーものとしては、佳作としての評価に、充二分に値する作品だったと、評論子は思います。