越後奥三面 山に生かされた日々のレビュー・感想・評価
全7件を表示
我々日本人は古代から自然崇拝の儀式を行い、生活の安全などを祈っていたのだ。
平日の昼間でも多くの人が鑑賞に来ていた。山に住んでいた人々の営み。狩り、川魚、木の実。今はダムの底に沈んでしまい人々は山から移動させられた。
本作品の制作・演出・ナレーションの姫田忠義の語りでこの映画が進んでいく。この語り掛けるような話しぶりがなかなかよい。男、女で共同して労働する生活の実態がことこまかく描写されているので、興味深く見た。
★中でも節目で必ず行われる宗教・神道行事。我々日本人は古代からこうやって自然崇拝の儀式を行い、自分たちの生活の安全などを祈っていたのだ。
住もうとは思わぬが残って欲しいという我儘
ダム建設で湖底に沈むまで、新潟県北東部の朝日連峰麓に昭和末まであった奥三面(おくみおもて)村の人々の暮らしを、そこに住んでまるまる記録したドキュメンタリーです。
この地は雪深い為に、冬季には付近の村との交通が完全に途絶してしまうので、数十戸の村の人々は自然を生かして、或いは自然からの恵みを大切に一年を送ります。稲作は勿論ですが、豊富な山菜や木の実・キノコ、ごっそり捕れる川魚、山で撃った熊などが村の人々を支えます。特に、山のゼンマイは村の現金収入の半分を占める大切な野草で、この収穫時期には子供も学校を休んで山に入ります。小中校もこの季節には10日間の「ゼンマイ休み」になるんですって。農繁期に学校が休校になる土地が昔はあったと聞いた事がありますが、まさか「ゼンマイ休校」とは思いも寄りませんでした。
また、村にはその由来もよく分からない不思議な風習が季節ごとに様々あります。考え様によっては面倒臭いのかも知れませんが、雪深い土地で暮らしていると、こうして新たな季節を迎える事が嬉しくもあるのでしょうね。
若い人はやはり都会の便利さに魅力を感じて村を出て行くのでしょうが、こんな土地で子供時代を過ごした事は、後の生き方に強い影響を及ぼしているに違いありません。日本一緑の少ない大阪の下町で生まれ育った僕が「羨ましい」などと安易には言えませんが、ここに住みたいと願う人がおられる間は残して上げて欲しかったなぁと思うのでした。
山に生かされた日々はタイトル通りの内容でした
昭和が終わる頃、つまり80年代のはじまり。
岐阜に住んでるわたしがまだTOKIOの東京に憧れYMOに夢中だった中学生の頃、東北の見ず知らずの山奥では縄文さながらの素晴らしい山の文化を継承して暮らしてる人たちがいたんだ。
奥三面。
おくさんめんと読んでたけど、おくみおもてと読む。
このタイトルは民俗学に興味を持ったここ最近知った記録映画作家の姫田さんの作品名で、マタギのような映像の一部を見て頭から離れなかった。
映画をいつか観たいとおもいつつも、自主上映でなかなか観れない。
それが今年、デジタルリマスターで映画館での上映となった。
40年も前の話だが、この時代にリバイバル上映する意味はとても奥深い。
ナレーションが、記録映像を見ながら語りかける自然な感じがいい。
昨今の映画もテレビも字幕スーパーで音声を拾うけど、まったく字幕なしで淡々と東北訛りの古老が話してる、その臨場感が生々しくて聴き取れないけど伝わってくる。
大自然の、しかも寒くて雪深い印象の山奥で、さぞかし不自由な暮らしは大変だろうな、という先入観があった中学生の頃。
本当は、何も生み出せない都市が地方の豊かさを搾取して成り立ってるだけで、過疎化してるような田舎ほど本当は豊かだったんだよね。
山の幸、山の恵みがあるからこそ、狼も、熊やカモシカや野ウサギなどたくさんの生き物がその恩恵を受け取って生きてる。
山は命を生み出し育む場所であり、山岳信仰では死んだらそこに還る場所でもある。
今ではわたしも岐阜周辺に未だに残ってる民俗や祭りを丹念に追ってるので、これぞ人間らしい暮らしで特別なことでもなんでもなく、山の神や虫送りなど様々な民間行事など共通する部分を多く発見することが出来た。
何しろ、時代が半世紀近く前だし、かなりマニアックで貴重なものを見せていただいてる感じに圧倒される。
作為のないドキュメンタリーで、目の前に起きてる様々なこと。
映像をつくる側と、普段の暮らしをしている奥三面の人々。
最初は長閑で、民俗満載の記録なだけとも受け取れたけど、一年を通した季節の行事や暮らしの流れを追いながら4年通った撮影期間で、もしかしたらダムに沈むという非現実的な話がだんだん現実的な話となり、山の生活に対する想いがより一層愛着を感じ、それゆえ複雑な心境となっていくのが、見てるわたしも胸がキュンキュンしてくる。
焼き畑や山菜採り、熊狩りにも同行。
大木を伐って、真冬の山の中で数人であっという間に丸木舟を作って川を下るまで雪の中を引き摺るシーンは魂が震えるほどすごいものを感じたが、撮影スタッフですら思いがけない出来事だったんじゃないかな。
あのマタギの衣装も、そんな思いに駆られて古い衣装を引っ張り出してきて山に入るラストシーンあたり。
もうわたしの心もクライマックスになりました。
映画の内容も、時代も場所も違うけど、岐阜の徳山ダムに沈んだ徳山村のドキュメンタリー「水になった村」とかなりオーバーラップした。
それから、リバイバル上映で新しく作られたであろうパンフレットが秀逸。
字幕なしで雰囲気で見てた内容も詳しく書かれてたり、写真や手描きイラスト入りで民俗学の資料としても貴重な内容。
ぜひ映画とセットで!
残しておきたい貴重な映像
山での生活がここまで克明に記録されている映像は貴重。
自然と人と神々が共存している生活。
そのバランスを崩したものはなんだろう、と現代の生活と対比し見ながらいろいろ考えた。
これは多くの子供たちにも見せたい。
やっぱ、山はいいなあ。俺は山しかねえなあ。山、山、山、俺には山しかねえなあ。
なんと有益な記録映画だろう。あまり予備知識なしで観た。40年前にダムの下に消えた、新潟県の三面。三面川と言えば村上市に流れる川なのでその上流ということか。言葉は東北の訛に近い。海の民同志が多少離れていても生活や文化がつながっているように、山の民も同様なのだろう。この頃のオッちゃんや婆さんは当然もう鬼籍に入っているのだろうけど、画面の中では活き活きとしている。言い換えれば、土地に根付いた生活をしている。山奥という環境での暮らしが自分の生きる場所だという誇りさえにじむ。宮本常一の好きそうな土地だ。本職のナレーターではないのがたどたどしいが、慣れてくれば、フィールドワークの発表を聴いている授業のようにも思えてくる。
しかし日本は(というか地球上全てではあるけれど)、どこもかしこも、戦後からこの頃を一つの区切りとして、それまでずっとずっと受け継いできた土地土地の暮らしを捨ててしまった。便利は暮らしの方がいいと皆そっちを選んだからだ。こうした暮らしを不便と切り捨てて都会に集まったからだ。それを悪だとは思えないし、薄情だともいえない。その結果の発展によって、今の便利な世の中を享受させてもらっているのだから。ただ、この映像を見ながら、知らない土地の人びとなのにヤケに郷愁をそそられるのは事実だ。
この映画の中の暮らしには、長い年月をかけて積み重ねられた知恵と工夫がたくさんある。もちろん機械に頼ることも少なく、人手はあればあるだけいい。となると、そりゃあ家族も多いだろうし、子供だってたくさんいただろう。こういう山や、ここを下った海や、その間の宿場町や、ここかしこに人は暮らしを営んでいた。昔はどんな田舎だろうが人はけっこう住んでいたのだ。いま、旅をしてみる(僕はここ4、5年で全都道府県を旅した)と、そんな暮らしの跡がある。というか、地方にはそんな暮らしの跡しかない。でも、これが時代の流れ。カッコつけて、何とかできないか、と言ったところでできるものでない。だって、江戸時代の生活に戻れないでしょう?そしたら、この昭和の生活にだって戻れないのよ。古き良き時代、それを見届ける気分で、鎮魂歌のようなこの映画を胸に刻もう。そうそう、パンフレット、めちゃくちゃいいですよ。宮本常一好きなら、買いです。
たった40年前のこと
朝日連峰の山々からの恵みを余すことなく全てを生活の糧とし、「塩」以外の殆どのものは自給自足。
果たして、現代の自分達には奥三面で暮らすことはできるだろうか。肯定することはできないだろう。
究極のエコ重視の生活だ。
如何に農作物を育てるか、小動物をどう捕獲するか、熊をどう仕留めるか、全て先人達からの教えに従い、暮らしを継続させることって、凄いことだ。
四季折々の鮮やかな風景がもう存在しないとは。
全7件を表示