まり子自叙伝 花咲く星座

劇場公開日:

解説

先頃芸術座で上演された菊田一夫作『まり子自叙伝』の映画化。「暗黒街の顔役」の共同執筆者・関沢新一が脚色し、「社長太平記」の松林宗恵が監督した。撮影は「サザエさんの結婚」の鈴木斌。

1959年製作/90分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1959年4月5日

ストーリー

まり子が小学校六年のとき、母が亡くなった。第二次大戦の始まるころのことだ。母の死後父の会社も戦時統制で思わしくなくなり、まり子は女学校へ入れて貰うため知合いの産婆の家に引きとられた。が、産婆の旦那さんが反対して女学校へは行けなかった。まり子は小学校の谷口先生と相談して、レコードの歌を歌う人になる決心をした。自信なんてなかったけれど、自分の道を決めるのは自分の決心一つや、という先生の言葉に励まされたからだ。まり子の初舞台には大阪花月劇場で、兄の寿雄が楽団に入りドラムを叩いてくれた。空襲が激しくなり、一家は大阪をあとに父の故郷九州に向った。まり子が歌い、兄がドラムを叩き、父が司会をする小劇団を編成し、町から村へと流して歩いた。そんな苦労を重ね、終戦の年には大阪朝日劇場に出演することができた。--まり子にも、忘れられない人がいた。その名は竹村信雄、二人の最初の出会いは大阪でまり子が子守りをしていたときだ。中学生の竹村が落した定期入を彼女が拾って後を追ったのがきっかけだった。再会は九州で彼女が巡業の一座に加わり、空襲で防空壕に飛びこんだときだ。竹村は「まりちゃんが大劇場に出たら大きな花束を持っていく」と言って別れた。--まり子は上京した。そして浅草の小劇場で歌っているところを新聞記者に発見され、やがてビクターレコードに吹込み出来るようにまでなった。さらに東京宝塚劇場からミュージカル「極楽島物語」出演の迎えがきた。初日、竹村は楽屋に来てくれた。が、彼がまり子に紹介したのは新妻だった。まり子は悲しくなり、舞台に出たくないと言った。だが父は言うのだ。「人間はどんなことがあっても自分に与えられたつとめだけは果さねばならない」。まり子は立ち上った。涙をいっぱいためながら精一杯の笑顔を浮べて。

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映画レビュー

3.0まり子自叙伝花咲く星座

2024年10月19日
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貧しい少女時代を過ごした、歌の上手い娘、まり子が 歌手を志して、雨にも負けず、風にも負けず、 ついに歌手デビューするまでを描いた ミュージカル風のサクセスストーリーです。 冒頭から、懐かしい旧宝塚劇場の全景が写り、 心は既にわくわくし、映画の中にす~っと入っていきました、 オープニングは、まり子が、日劇の舞台で 生い立ちを歌で綴りながら、映画の進行をしていきます、 ♪~蒲田で生まれ~♪~大阪に行って~♪~ 場面は、貧しい少女時代にバックフィーチャーし、 母親との死別から、産婆に預けられた不遇時代、 父と兄と宮城千鶴子一座を組んでのドサまわりと 苦境時代のエピソードを織り込みながら、 展開していきます。 まり子のくったくのない笑顔と天性の明るさが スクリーンいっぱいに広がり、 歌って踊る、彼女の魅力がはちきれんばかりに 溢れていました。 劇中劇で披露される、まり子の大劇場のデビュー作の 作、演出は菊田一夫で、懐かしい菊田一夫の顔も見られました、 また、舞台を演出する姿も映し出され、 彼の演出姿を始めて見ました。 懐かしい日劇の大階段の舞台で踊るまり子のバックダンサー達は 大、大、大先輩の日劇ダンシングチームの人達で 目を凝らして、見入ってしまった。 池部良がまり子とコミカルなダンスも披露して びっくりです。 製作の山本紫朗は、日劇の舞台の製作もしており、 かつて、宮城さんを、 日劇の「春の踊り」のゲストに出演させています。 私事ですが、宮城さんとは、この「春の踊り」でも 一緒に出演し、また名古屋の名鉄ホールで 伴淳三郎さんと宮城さんの芝居でもご一緒しました。 共演人の錚々たるメンバーに狂喜し、 まり子さんの懐かしい舞台姿に心酔し 日劇の舞台に、感涙し、 あまりに、思い入れの多い映画に 鑑賞後は、しばらく感傷に浸ってしまいました。 ★★★

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さち