あばれ大名
劇場公開日:1959年2月11日
解説
「濡れ燕 くれない権八」の鈴木兵吉のオリジナル・シナリオを、同じく「濡れ燕 くれない権八」の内出好吉が監督した娯楽時代劇。撮影は「唄祭りかんざし纏」の松井鴻。
1959年製作/90分/日本
原題または英題:The Sword of the Initerant Actor
劇場公開日:1959年2月11日
ストーリー
家康が天下を掌握して間もない頃のことである。加賀百万石の藩主・前田利家は、外様大名取りつぶしの風説におびえ、家康の顔色を小心翼々としてうかがっていた。だが甥の前田慶次郎は、徳川の権力に屈せぬ気骨ある男だ。利家は慶次郎の言動が家康の怒りに触れることを恐れ、侍女・浅茅を身辺の監視役に当てていた。が、浅茅は女、慶次郎に心を奪われていった。--家康大阪城入りの日。各地より歓迎のためやって来た諸国の大名に交って、一万石の微碌取りの慶次郎も姿を見せていた。その無礼講の宴席上、康次郎は狸親爺と云われる家康の面前で、狸おどりを踊り、更に、碌高返上を言明して立ち去った。この折恥をかかされた大名・加藤嘉明は、刺客を送った。慶次郎は彼らを手玉にとり、生き残りを数珠つなぎにして加藤邸に送り返した。この加藤の短気な行動に、本多佐渡守はほくそ笑んだ。本多は家康より、加藤嘉明の松山四十万石、前田利家の加賀百万石の取潰しを命ぜられ、その恩賞として百万石を貰うというお墨付を持っていたのだ。本多は加藤の重臣・青江を殺させ、慶次郎の仕業と見せかけた。他方、加藤の名をかたって慶次郎にも決闘状を送った。加藤は利家の邸に慶次郡ありというにせの報を信じ、兵を起こして前田邸に打って出た。利家も止むを得ず兵を集めた。ここが本多の狙うところ、両家に謀反ありとして二人を捕えた。慶次郎は本多の計略を知り、浅茅らに本多邸の内部を探らせた。利家・嘉明切腹の当日、慶次郎は浅茅が手に入れたお墨付を懐中に大阪城に乗りこんだ。仔細を聞いた家康は、本多の悪どさに驚き、慶次郎の申し出を受け入れた。危い所で難を逃れた嘉明、実は地下牢に入れられていた青江、二人の慶次郎を見つめる目には涙があった。