嫁ぐ日のレビュー・感想・評価
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老いた創作者の切なさとプライド―『嫁ぐ日』が描く戦後文化人の肖像―
この作品は、確かに息子の嫁として来ていた女性・咲江(津島恵子)が再婚する物語であり、「嫁ぐ日」というタイトルに間違いはありません。しかし、私にはそれ以上に、この家の主人・木島進作(齋藤達雄)の劇作家としての人生がどうなるのか、という点が主題のように感じられました。
進作は戦前に流行作家として活躍していた脚本家でしたが、戦後はほとんど執筆しておらず、「劇作家だった」というプライドだけが残っている人物です。そんな進作のために、嫁の咲江が俳優座に出向き、戯曲の執筆を進作には内緒で俳優座の演出部・水野(宮口精二)に依頼します。結果的に、水野の方から進作に作品執筆の依頼が届くことになります。
執筆依頼の場面では、進作が自身の演劇論を語り、丁寧な応対をしながらも、どこか前時代的な理論を展開していました。そこから執筆が始まるのですが、一度筆が止まった作家は、なかなか書き進めることができません。家族も物音ひとつに気を使い、進作の創作活動を応援する様子が滑稽で、どこか可笑しさを感じました。
それでも何とか戯曲は完成します。久々に書き上げた作品に対し、進作は「今までの自分をすべて出せた」と自負し、傑作が生まれたという満足感を抱きます。俳優座に戯曲を手渡した後は、原稿を渡せた達成感から、咲江とともに祝杯をあげました。
一方、咲江の再婚については、家族の間でも心配する声がありました。亡き夫・君次郎への思いを断ち切ることができるのか、また新しい縁談が咲江にとって本当に幸せなものなのか、進作や民江も気にかけている様子が描かれていました。
そんな中、咲江は君次郎への思いを整理するために箱根へ旅行に出かけます。そこへ弟の秦三郎(田浦正巳)が旅館に訪ねてくるくだりがあります。この場面は、咲江の心情や家族との絆が垣間見える印象的な場面でした。もしここで何か展開があれば、咲江の物語としての比重がもう少し増したかもしれません。
しかし、結婚相手となる酒井(細川俊夫)との描写はほとんどなく、咲江が嫁いでしまう場面はあまりにもあっさりとしています。咲江の再婚という人生の大きな転機に対して、もう少し丁寧な描写があってもよかったのではないかと感じました。
進作は自作の上演が決定していないにもかかわらず、俳優座に呼ばれて原稿料を受け取ります。意外に感じた進作は、「上演期間が決まったら連絡をください」と伝えます。その帰り道、女優の西山(東山千栄子)と出会い、進作の脚本が上演されないことを知ってショックを受けます。
「使い物にならないなら、こんなものをもらうわけにはいかない」と原稿料を突き返す進作に対し、制作の担当者が「この中には先生のためだといって劇団員からカンパした金が入っているんです」と告げます。進作は「僕の脚本をください」と言って原稿を持ち帰りました。その後ろ姿がとても悲しく映りました。
「昔は結構書いてた人だったんだろうにね」
「落ち目だなぁ」
「待ちたまえ。今言ったのは…君たちの大先輩だぞ」
時代の流れに取り残されてしまった老兵の切なさが、非常によく描かれていたと思います。これは当時の状況を描いた作品ですが、あの俳優座でさえ、この頃の勢いはもうありません。文学座も民芸も同様です。映画や舞台の世界は、その時代の「今」を巧みに捉えて表現しなければならない、大変な世界だと改めて感じました。
その帰り道、屋台で酒を飲んでいた進作は、箱根から戻った咲江と秦三郎に偶然出会います。
「咲江、幸せになってくれよ。青春は二度とこないからね」
咲江が嫁ぐ日の朝、秦三郎とのやりとりの中で、
「姉さん、きれいだ」
という言葉が印象的でした。咲江は気づいていないようですが、秦三郎の咲江への思いが十分に伝わる場面でした。
また、咲江は嫁ぐ日にも進作の戯曲の上演を気にしていました。しかし、進作の書斎には返却された戯曲原稿が置かれており、それに気づいた咲江は、そっと襖を閉めました。
結婚式の帰り、進作は妻・民江(英百合子)と海岸を散歩しながら歩きます。そこで、脚本が採用されなかったことを告げます。
「脚本ダメだったよ。一生懸命書いたんだが、やっぱり力が足りなかったんだな。しかしね、わしは落ち着いた気持ちだ。負け惜しみではないよ。とにかく仕事をした自信だよ。これからまた次を書くよ。いくらでも書く」
「あなた」
「さぁ、行こう」
おそらく脚本の新藤兼人氏も、監督の吉村公三郎氏も、小津安二郎監督をかなり意識されていたのではないかと感じました。小津調の映画は鎌倉周辺が舞台であることが多く、今回の大磯も近く、環境的にも似ていると思います。娘が嫁いでいくという点も、今回は少し特殊なケースではありますが、共通点を感じました。
また、途中で進作が見ていた映画の看板には、小津監督の『早春』が確認できました。そして何より、東山千栄子さんの登場です。『東京物語』では笠智衆さんの妻役で、途中で亡くなってしまうのですが、今回は普段の東山さんはこういう方なのだろうなと想像できるほど、可愛らしくチャーミングな方でした。
タイトルも、咲江に焦点を当てた『嫁ぐ日』よりも、進作の作家人生を主題としたもののほうがふさわしかったように思います。戯曲のタイトルだった『黒船異聞』でも良かったのではないでしょうか。
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