「「幻の馬」と称されたダービー馬、トキノミノルをモデルとした映画」幻の馬(1955) クロイワツクツクさんの映画レビュー(感想・評価)
「幻の馬」と称されたダービー馬、トキノミノルをモデルとした映画
私自身の馬とのかかわりは、子供のころに、家の前を農耕馬が車を引いて通っていたことを覚えている。その農家では、時折サラブレッドなども預かることがあるのか、大きなサラブレッドが家の前を引かれて歩いていくこともあった。馬に乗ったこと、と言えば、小学校にポニーが来たことがあって、それに跨ったことがあるくらいだが、このように田舎だったので馬は特別珍しい存在ではなかった。
ただ、競馬場等もなく、場外馬券売り場なども存在しない土地柄、競馬とは無縁だった。そんな私が初めて覚えた競走馬の名前が、ハイセイコーという競走馬だった。当時の異様な人気は、子供の頃は不可解だった。友達が買っていた漫画雑誌の表紙にさえなっていたのだ。
最近になって、ウマ娘という、競走馬を擬人化したゲームが話題になって、オグリキャップやメジロマックイーンといった、昔の競走馬の名前が、ネット上で話題になったりしていた。ウマ娘については、劇場版ウマ娘のレビューも書いたので、ここでは多くを触れないが、ウマ娘から、ふと、ハイセイコーを思い出し、ネットで検索などしてみたりした。ハイセイコーがカメオ出演する映画もあったりして、競走馬を扱った映画にちょっと興味を引かれた。
その中の一つが、『幻の馬』という映画だった。トキノミノルという、ダービーまで無敗で勝利し続けたものの、ダービー後に足の怪我が元で、死んでしまったという実在の競走馬をモデルにした映画だった。ネット上に、レースシーンを切り取った動画があって、古い映画にしては大分凝ったカメラワークだったので、気になって全部見てみたくなった。
動画サイトでは見られるようなところも無く、検索して引っかかったのは、DVDだけだった。少々迷ったが、映画館へ行って飲み物を頼むのと大差ない価格だったので購入してみた。
冒頭の、雪の中子供たちが馬が引く橇に乗って行くシーンは牧歌的で美しく、その後も桜並木の中を歩くシーンなど、美しい描写が多い。
青森県八戸市で撮影されたようだが、もう今は当時の面影もないかもしれない。SLが時折通り過ぎ、電話をかけるシーンも無く、連絡はもっぱら電報、という時代だ。打毬(だきゅう)という、馬術競技の「ポロ」のような伝統行事のシーンもあるが、八戸では青森県の無形民俗文化財の指定を受けて今も続いているらしい。
ストーリーが進んで、皐月賞やダービーと言った、競馬のクラシックレースになると、舞台は東京へ移動する。東京でも、当時の街中の様子や、野球場などの、今ではもう見られなくなった東京の風景が、当時のファッションをまとった人々が闊歩する様子がカラー映像で残っているというのも、結構貴重なものだろう。
気になったのは、カメラがパン(撮影方向が水平移動)すると、画面の端がぐにゃりとゆがみながら移動するところか。時代的に、レンズが今ほどは良くなかったのだろう。
この映画は、トキノミノルの馬主で、大映の社長だった永田雅一が製作したもので、監督は島耕二。風の又三郎(1940年)、次郎物語(1941年)、銀座カンカン娘(1949年)、風立ちぬ(1954年)といった監督作品がある。
この作品で、実質的に主役と言えるのは、トキノミノルをモデルとした馬、タケルの名付け親になった、牧場主の次男坊の、白石次郎(岩垂幸彦)で、その姉、白石雪江に、若尾文子。雪江の弟で次郎の兄、後に騎手になって、タケルに騎乗する、白石一郎(遊佐晃彦)は、ちょっとセリフ回しが次郎と比較しても拙いな、と思ったら、役者ではなく、馬に乗れるから、ということで抜擢された新人騎手だったようだ。その先輩騎手役も、実際の騎手らしく、セリフが固いのはしょうがないか。ただ、馬に騎乗しながらのセリフにはあまり違和感を感じなかったのは、面白かった。他に、知っている役者としては、新聞記者役で中条静夫の名があるのだが、あまり印象に残っていない。
雪江と、白石家よりは、規模の大きそうな牧場主の息子で、獣医の大西時男(北原義郎)とは、若干のロマンスが描かれるが、そこはこの映画では申し訳程度。北原義郎は、時代劇での悪役などが私には印象に残っている。若尾文子は、和服のイメージの淑やかな女優という印象だったが、この映画では、ほぼブラウスとスカート姿で、時折農場の作業をする姿もある。厩で寝込んだ次郎がゆすっても起きないので、どうするのかと思ったら肩に担いで連れて行ったのにはちょっと驚いた。
見る前に想像していたほど、トキノミノルという競走馬のことをなぞっているわけでもなく、ダービーのレースシーンは迫力があるが、レースシーンはさほど多くは無い。レースシーン自体は空撮あり、騎手目線の映像ありで、当時どうやって撮影したのかと思えるくらいの迫力あるシーンとなっている。物語に火災が大きく関わっているが(なぜそういう設定にしたのかは私にはよくわからない)、このシーンも結構迫力があるというか、危険な撮影だっただろう。
多くをタケルという競走馬と、次郎少年との触れ合いで進んで、全体的に子供のころに見た、子供向けの文学作品の映画化、といった雰囲気だった(実際、1955年の文部省選定映画となっている)。それに、雪江役の若尾文子が花を添える、といったとこか。往年のスター女優とはいえ、若い頃の若尾文子はほとんど知らなかったので、上品で可愛らしく、それでいて芯の強そうな牧場主の娘役はとても印象に残った。
昭和の時代を知らないような世代には、ストーリーよりも、今現在の日本との違いの方に意識が引きずられてしまうかもしれない。私はこの映画の撮影された時代を懐かしむほどではないが、映画に出ている人を知らないわけでもない、という世代なので、古い映画とはいえ、それなりに楽しめた。傑作とまでは言わないが、レースシーンと、若い頃の若尾文子だけではない、何とも言えない雰囲気の良さを感じる映画だった。