透明人間(1954)のレビュー・感想・評価
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特撮は一人で撮れはしません 多くのスタッフが必要なのです そのチームを鍛え上げていく それもまた特撮をリードしていく人間の役割でもあるのです
1954年公開 東宝、白黒作品
冒頭のスタッフロールに「特殊技術 東宝技術部」とでます
あれ?円谷英二の名前は?と思ったら監督のひとつ手前で大きく「撮影、特殊技術指導 円谷英二」とでます
円谷英二が大映で特撮を担当した「透明人間あらわる」から5年が経っていました
その作品は1949年9月公開でした
それから2年半後の1952年2月にGHQの公職追放が解除され、円谷英二は東宝に復帰を果たしていました
東宝争議も沈静化してようやく仕事ができる雰囲気にもなっていたようです
東宝を退職して復社するまでの4年間は、「円谷特殊技術研究所」を設立して活動していました
といっても東京祖師谷の自宅の庭に建てたプレハブの事務所です
映画会社各社の特撮パートを請け負うという仕事です
まだ戦後すぐの混乱期ですから大規模な特撮の仕事なぞあるものでなし、あってもノンクレジットのごく短いものばかりです
本格的な特撮映画は大映で撮ったその「透明人間あらわる」だけです
円谷英二は大映への入社を予定してしていたようですが結局断念しています
理由は円谷がその作品の特撮の出来映えに満足がいかなかったからだとされていますが、これはなにか裏に事情があった言い方のように思えます
というのもそれほど悪い特撮ではなかったからです
この時点では公職追放が解除されて東宝に復社できる目処もなく、経済的にも困窮していましたから大映への入社はなんとしてもしたかったはずです
推測としては大映の方から入社を断られたのかも知れません
特撮の円谷と日本中に知れ渡っているビッグネームですから大映も是が非でも欲しい人材のはずです
結局、公職追放の人物を採用するのはGHQへの遠慮があったのだと思います
横槍がどこかからあったのかも知れません
いや、もしかしたら本作のスタッフロールで円谷英二の名前がデカデカとでているのを観て東宝が仰天して、円谷英二に正式な復社は無理でも嘱託としてならば雇用できると連絡をとったのかも知れません
それで大映への入社を頼んでおきながら自分から断らざるを得なくなり、あのような断り方をするしかなかったのかも知れません
その両方であるのかもしれません
ともかく翌1950年には嘱託としてながらも東宝に復帰します
社員としては復帰させられないながらも嘱託として東宝所属にしないと大映に円谷を取られてしまうという判断だと思います
円谷にしても同じ嘱託ならば大映よりも古巣の東宝の方が良いに決まってます
東宝で嘱託の給与をもらい特撮の研究をしながら時期を待つのです
1952年2月には円谷は晴れて東宝に正式に復社を果たします
公職追放さえ解除されれば、東宝も気兼ねなく社員として正式に円谷を呼び戻せたのです
なんと言っても円谷英二は、「ハワイ・マレー沖海戦」などの大成功に対して1944年8月12日の東宝創立記念日に功労者表彰を贈ったほどの重要人物なのですから
東宝に復社して最初の仕事は、1953年10月の「太平洋の鷲」です
これは「ハワイ・マレー沖海戦」の続編とも言える内容かもしれません
その次は1954年2月公開の「さらばラバウル」です
そして三番目が同年11月3日公開の「ゴジラ」だったのです
では本作は?
その「ゴジラ」の次で、同年12月29日だったのです
その間、たった2ヶ月弱です
怪獣映画のように大規模な特撮ではないので撮れたのかも知れません
スタッフロールの「撮影、特殊技術指導 円谷英二」の「指導」というところに着目したいと思います
東宝技術部の面々を5年前に一度手がけた透明人間ものをもう一度使って鍛えようということだったと思います
そうして次の円谷英二は作品は1955年4月公開の「ゴジラの逆襲」になるのです
以降怒涛のように特撮映画が撮られていくのです
特撮は一人で撮れはしません
多くのスタッフが必要なのです
そのチームを鍛え上げていく
それもまた特撮をリードしていく人間の役割でもあるのです
さて、本作の内容は?
はっきり言ってつまりません
残念ながら成功作とはとても言えません
5 年前の大映で撮った「透明人間あらわる」の方がずっと面白いです
透明人間が戦時中軍部が開発した特殊兵器だったという独自の設定ですがお話にはあまりつながりません
透明人間は包帯グルグル巻きのミイラにトレンチコートとサングラスと帽子という姿形であるという固定観念を、ピエロなら人前にでれるぞというアイデアはまあまあ面白い
でもお話は結局下世話なレベルで終始して終わります
ただ終盤のガスタンクの炎上シーンはなかなか良い特撮です
あと「透明人間あらわる」ではサイドカーでお茶を濁していましたが、今作では二輪のスクーターを無人で走らせて見せています
もっとも小さな補助輪が見えているのはご愛嬌です
日本の特撮映画の歴史の中での意義や価値?
本作は円谷英二が特撮映画の量産体制を作るのだと意識した映画だということではないでしょうか?
透明人間特攻隊の生き残り
Netflixで鑑賞。
後の変身人間シリーズの原型となった特撮スリラー。
オリジナル版と大きく異なる点とは、本作の透明人間は悪人ではなく、正義のために戦う存在、と云うところです。透明人間を名乗るギャングに、自らの存在を汚されたことに怒り、新聞記者の小松と共にギャングの正体に迫っていきました。
南條が働いていたキャバレーのオーナーがギャングの黒幕だったり、南條のアパートの住人が事件に関わって殺害されたりと人間関係が狭く、多少強引で都合のいいストーリー展開ではありましたが、南條と盲目の少女まりの交流や悲劇的なラストシーンなど、魅力的な物語に引き込まれました。
透明にされた体はもう元には戻らない。特攻兵器にされた南條の悲しみと苦しみは如何ばかりだったでしょう…。病気がちの母親に会おうにも、自分の姿は相手には見えない。戦争のために、文字通り己を抹消されてしまいました。
戦争がもたらした非人道的な面を象徴しているようで、戦後間も無い1954年に製作されたからこその説得力と重みがありました。二度と南條のような人間を生み出してはならない。反戦の強いメッセージに胸が締めつけられました。
1954年と云えば、特撮怪獣映画「ゴジラ」が公開された年でもあります。本作は同作公開の翌月に公開されており、この2作品が後の特撮映画の主題に反戦の願いや科学の暴走への警鐘、人類の愚かさの糾弾が盛り込まれて製作されていくことの基礎をつくり上げたのではないかなと思いました。
「ゴジラ」の特撮を担当した円谷英二が、本作の特殊技術と本編撮影を担っていました。元々円谷はカメラマンで、本作が最後の本編撮影となりました。円谷は本作の前にも大映の「透明人間現わる」で特殊技術を担当していました。
その時の経験を活かし、本来の職場である東宝でリベンジしたと云うことでしょうか?―オマージュと見られるシーンがいくつかありましたし、光学合成を使用した透明人間の演出は今でも色褪せないクォリティーだなと思いました。
※以降の鑑賞記録
2022/01/14:DVD
※修正(2023/03/19)
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