大岡政談 魔像篇

劇場公開日:

解説

林不忘の原作を、「旗本と幡随院 男の対決」の高岩肇が脚色し、「若桜千両槍」の河野寿一が監督した娯楽時代劇。撮影は「御存じ いれずみ判官」の松井鴻。

1960年製作/86分/日本
配給:東映
劇場公開日:1960年5月22日

ストーリー

八代将軍吉宗の世。老中筆頭近藤相模守が何者かに殺された。相模守は、江戸市中に大量の偽小判が流れている事実をさぐるための途中殺されたのだ。相模守と縁あった園絵を妻にもち、私淑していた神尾喬之助は義憤を感じ、越前守に訴えたが取り下げられた。老中筆頭の座には脇坂山城守がついた。大目付牧野、若年寄米倉、それに喬之助を恋仇とする近江之介らがその輩下だった。喬之助は失脚を図られたが、城中で一人を切り姿をかくした。園絵は近江之介の魔手を逃れるため舌を噛み切って死んだ。家に帰った喬之助はこれを知って怒り、近江之介ら一味十人の首を挙げることを誓った。喬之助の出没で迷惑を蒙っているのが、彼と瓜二つの浪人茨右近だ。六番組を追う喬之助と出会い、一度は匁を交したが、やがて意気投合し、喬之助は右近の家にかくまわれることになった。もう一人、近江之介らの動静をうかがう老人があった。魚心堂と称し、喬之助側に現われることもたびたびだった。一夜、近江之介を襲おうと血気にはやる喬之助を魚心堂が押しとどめた。山城守のふるまいは目に余るものがあり、偽小判の流出は後を断たない。しかし、越前守の活躍は、偽小判鋳造団をつきとめていた。山城守の大老就任が内定、その祝いをかねて琉球踊りの宴が張られた。最高潮の場で衣裳をかなぐり捨てた男、喬之助だった。もう一人は右近だ。越前守が偽小判鋳造と相模守殺害の首謀者として指したのは山城守だった。山城介は自匁し、近江之介は斬られた。魚心堂は越前守だった。

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