恐妻党総裁に栄光あれ

劇場公開日:

解説

川内康範の原作を、原作者自身が脚色し、「サザエさんの赤ちゃん誕生」の青柳信雄が監督した喜劇。「若い素肌」の小泉福造が撮影した。

1960年製作/84分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1960年5月10日

ストーリー

戦後、憲法によって男女同権が確立されて以来、日本には恐妻時代が訪れた。憲法学者藤原弘之進が、やがて男性が権利拡張運動を起す時代がやってこようと予言して死んでから数十年。ある日首相官邸で、弘之進の遺児藤原弘次郎博士を中心に与野党首脳部が集り、報道陣をシャット・アウトして秘密会議が開かれた。弘次郎博士を総裁に恐妻党を結成し、「亭主安全保障法案」を成立させる相談である。報道陣はこの会議の秘密を探ろうと躍起となった。東都タイムスの若山はこれが再軍備のための憲法改正問題に関係があるとにらんだ。そこで竹内文相の秘書早川鮎子にさぐりを入れ、重要秘密書類のコピーをとることに成功した。東都タイムスで男性達の陰謀を知った女房族は、藤原夫人鳥子を会長に女権防衛会を結成し、猛烈な巻きかえし作戦に出た。世の亭主たちは各々の家庭のベッドから追放されるという憂きめにあった。かくてわきかえる世論の注目をあびながら、「亭主安全保障法案」の国会票決の日がきた。結果は百八十二対百九十六で否決。今はこれまでと恐妻党首脳部は岩田首相はじめ二、三の人々を残して首都から集団脱走した。恐妻党は山中にたてこもって「恐妻碑」を建て気勢をあげた。亭主捜査本部をもうけレーダーを使って彼らを発見した女房族は、恐妻党に降服勧告状をつきつけた。かくて宣戦は布告され、女性軍は総攻撃の挙に出た。恐妻党は首脳部六人を残して潰滅した。藤原博士をのぞく五人もやがて女性軍に白旗をかかげてしまった。乱戦の最中に東部タイムスの若山は、鮎子に強引に求婚した。その二人の前で、恐妻党の孤塁を守って戦っていた藤原博士も、ついに鳥子夫人と和解して抱きあった。「ああ博士までも」と、自分の亭主としての苦難の前途を思いやる若山の手を、鮎子はしっかり握りしめた。

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