藤猛物語 ヤマト魂

劇場公開日:

解説

中川幹朗の原案から、浅間虹児がシナリオを執筆し、「一万三千人の容疑者」の関川秀雄が監督した、藤猛の半生記。撮影は田村実。

1968年製作/81分/日本
配給:日活
劇場公開日:1968年2月13日

ストーリー

昭和三十七年二月、プロ・レスラー力道山はリキジムを創設するとともに、日本のプロ・ボクシングの中では人材の少ない重量級ボクサーを育てようと、国内の人材スカウトに奔走した。そんなとき、横浜にアメリカ海兵隊あがりの日系人で、滅法パンチの強い暴れん坊がいる、という風評がたった。外国船を迎え入れ、国際色豊かな横浜には、愚連隊、不良外国人、麻薬密売者などがひしめいていた。ある日、盲目の流しのギターひき吉岡と混血少年ジローの二人がチンピラにからまれていた時、いあわせたポールこと、タケシ藤井は二人を助けた。吉岡はかってのプロボクサーで、試合中に失明してしまったのだが、ジローもまた、ボクサーになろうとしていた。ポールと二人は、たちまち親しい友人同士になった。ジローはポールのパンチに魅せられ、吉岡の反対を押し切ってジムに通った。そんなジローにポールは、混血でも日本人の血が流れているのだから、苦しくとも大和魂で頑張ろう、と力づけるのだった。やがて、ポールはリキジムに単身乗り込み、そこで生来の激しい破壊力を持つパンチに、みがきをかけはじめた。ポールは間もなく、B級ライセンス・テストを獲得、日本ボクシング・コミッショナーも永住を条件に交付を認めた。昭和三十九年四月十四日、ポールはリング名を藤猛と改め、ジュニア・ウェルター級のリングに初登場、相手を二回でKOした。この花々しいデビューの後、ポールは次々と強敵を破り、ついに、昭和四十二年四月三十日、世界チャンピオン、ロポポロとのタイトル・マッチを行なうことになった。一方、ジローは拳をいため、ボクサーを断念した。苦悩の毎日を送るジローをみた吉岡は、みるにみかねて、手術代ほしさに麻薬一味の手先となって逮捕された。頼る者もいなくなったジローは、いつか自暴自棄に陥ったが、そんなジローに吉岡は、ボクシングがだめなら歌でチャンピオンになれ、と拘置所の中から励ますのだった。やがてジローは異色の新人歌手としてデビューした。ポールがロポポロを倒し、チャンピオン・ベルトをしめた姿を見て、ジローはわがことのように喜ぶのだった。

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