エベレスト大滑降
劇場公開日:1970年7月18日
解説
世界最高峰のエベレストの大斜面から直滑降するプロ・スキーヤー、三浦雄一郎の勇気と、彼を支えた三十三名のスキー隊員の決死行を記録したドキュメンタリー・ドラマ。撮影総監督は「富士山頂(1970)」「ある兵士の賭け」の金宇満司。
1970年製作/119分/日本
配給:松竹映配
劇場公開日:1970年7月18日
ストーリー
日本エベレスト・スキー探険隊は、八つの班から成り立っていたが、それは各自の対象をエベレスト山域でやり遂げるために、隊の冒険に参加するという、通常の登山隊の逆の形をとっていた。隊は三月六日、ラムサンダーを出発した。その時、雑然としていた隊も、二週間後、エベレスト山域の入口に入るころには、統一行動のとれる冒険者の集団に変貌していた。それは、各々の班が独自に追求する対象に注ぐ熱意が、他の班の尊敬を自然に獲得し合った結果だった。ここに、予期せぬ悲劇が起った。氷塊の突然の大陥落によって、シェルパ六名が遭難死をとげた。この事故で、シェルパの中には去っていった者もあった。だが、一人また一人、彼らは家族を説得してベース・キャンプに帰ってきた。ここに、スキー隊は再生した。そして五月六日。三浦は東南峻上からの第一次滑降に成功し、ローツェ・フェイス・ルート上に立った。その斜面は足許からほとんど垂直に落ちているように見える。三浦の心は澄明であった。ガスの晴れるのを待って、三〇〇〇米の滑降が開始された。スタート地点にいた者は、わずか十秒とたたぬうちに、三浦が落石のように視界から消え去るのを見た。それはスキーではない、滑降ではなかった。奈落に身を投げるようなものであった。二〇〇〇米ほど滑って、鋼のように硬い氷壁につっこんだ。三浦は、さらに蒼氷の上を百五〇米も滑った。三浦は必死に止ろうと闘った。そして、彼の身体は、露岩に激突し、その上を十米も飛んで下の氷の面に頭から突込んだ。三浦も、そして全隊員も、三浦の死をその瞬間に固く信じた。十二分後、曽我隊員は単身、急角度のフェイスを走るように登って、三浦を確保した。全隊員と全シェルパが三浦を涙で迎えた。成功、不成功を尋ねるものは一人もいなかった。前人未踏の冒険を三浦はやった。そして生きて仲間のところへ帰ってきた。その感動は誰にも表現出来ぬ程大きかった。