「色褪せない、親子が互いに理解し合う景色。」大人の見る絵本 生れてはみたけれど すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
色褪せない、親子が互いに理解し合う景色。
◯作品全体
小津作品のサイレント映画はこれが初めて。
小津作品の良さの一つとして会話劇の生っぽさがあったから、字幕を使うサイレント映画は少し物足りなさを感じた。
ただ、目線や仕草、姿勢で見せる感情表現はさすがだった。兄弟が父やいじめっ子の亀吉を見つめる時の泳いだ視線とか、ポケットに手を入れたり、足をふらつかせる芝居。立ち位置や姿勢をコロコロ変えて遊ぶ小学生軍団の既視感。かつての自分にも心当たりがあって、いまや100年近くも前になった本作だが、いろいろなところに現代と近い生っぽさがある。
個人的に一番印象に残ったのは、寝てしまった子を見つめる父の丸い背中。
ペコペコと頭を下げたり、おどけて見せたりする父にもなかった、小さくなった姿。「親父」という仮面や「社会人」という仮面を脱いだ父を、このシーンで初めて映す。弱みを吐いたり、妻との会話で仮面を脱がせるのが常套手段な気がするけど、仕草でそれを見せるのがさすがだ。
父と子、それぞれがそれぞれの社会でのヒエラルキーを持ち、偉くあろうと努力しているのだが、強さこそが第一の子どものヒエラルキーと、上下関係が第一の大人のヒエラルキーが衝突する。そこではどうしても「親」とか「学校での立場」とか、自分が付けた仮面越しに相手を見てしまうのだが、仮面をはがして相手を見れば、それぞれの立場を理解できる。その時間こそが「寝顔を見る」「一緒にご飯を食べる」というような親子の時間なのだと感じた。それは100年経っても変わらない、理解のきっかけだ。
子どもと大人、それぞれにあるヒエラルキーと、それぞれにある分断。生まれてはみたけれど、イマイチ理解できないその構造。それを父への失望と優しさで理解していくようなサイレント映画だったが、そこには今なお色褪せない、登場人物たちの姿があった。
〇カメラワークとか
・バックショットを撮るとき、人物を画面下に配置して、空を大きく見せるカットがいくつかあった。今でも使われてるカメラ位置。ダイナミックさが素晴らしい。
〇その他
・今の大田区あたりが舞台なんだろうけど、建物の無さが素直に驚き。舗装されてない道路とかすぐ真横を通る電車とか、逆に新鮮。