極北に進むソヴェート
解説
1929年の夏、砕氷船ゲオルギイ・セドフ号が北極探検を決行した際に撮影したソビエトの記録映画である。(無声)
1929年製作/ソ連
原題または英題:The Northern Course
ストーリー
1914年、ロシアの探検家ゲオルギイ・セドフは北極の神秘と真髄を究め得ずして空しく極地に不帰の客となった。後年、ソビエト連邦政府の提唱する産業立国は、科学的施設に基き、あらゆる生産の増収を期待したが、殊に最も力をそそぐ農作物に就いて研究の結果、極北の気象と農場とが密接なる関係に置かれてあることを発見した。ここに於いて、極北数ヶ所に気象無線電信局の設置、及びそれに附帯される北方航路開発の二大事業が要望さるるに至り、政府は最新の設備を有する砕氷船セドフ号を建造し、シュミット博士を隊長に、気象学のウィーゼ博士や優秀なる無線電信技師数名、その他意気軒昂なる労農科学者を糾合して北極探検隊を組織した。かくて「ソビエト連邦北極圏内にある陸上に連邦旗を掲げ、世界最北の地点に無線電信局を設置すべし」との使命を帯びた一行は1929年7月21日、アルハンゲリスク港を出帆、一路氷界遠征の航程に就いた。途上、一行は数等の北極熊を銃殺捕獲し、また珍奇なる海象をも得、海底よりは水産研究の目的のためにボーリングを以て種々なる魚族を漁獲し、或る時はウィーゼ博士により、極地にも温かき気流の存在することを発見されたり等幾多の研究資料は興味ふかく集められた。砕氷数ヶ月、巨大なる氷魂と闘い、時には進路を拓くためこれを爆破炸裂せしめる等、壮烈なる場景を見つつ北上、かつてセドフにより足跡を印せられし場所から更に北進して遂いに北緯八十二度十四分の地点にまで達することが出来た。が、この時既に襲い来た極寒は危くセドフ号を結氷中に閉じ込めようとしたのでやむなく一行は船首をめぐらすべく余儀なくされた。この探検の一方、セント・ヨゼフ島に於いて別隊となった建設隊は同島中のセドフ号に無線電信局を打ち建てた。かくて七名の当任無雷技師を残した探検隊は帰路に就けるセドフ号上の人となって一先づ本国へ針路をとった。そしてまさに結氷期に入ろうとする氷海を脱してセドフ号がアルハンゲリスク港に帰着し得た頃、極北に新設された無線電信局アール・ピー・エッキスは第一声を放送して故国に懐かしい便りを寄せた。かくて此の壮途を終了した一行はモスクワなる極北委員会議席上に委細を報告し、ソビエト全大衆から多大なる感謝を以てその功績を讃えられたのである。