始めに罪あり
劇場公開日:1957年2月19日
解説
ギイ・ド・モーパッサンの原作“田舎娘のはなし”からドイツのフランツ・カップが脚色・監督したドイツ・ユーゴスラヴィア合作映画。撮影ブルノ・シュテファン、音楽ボヤン・アダミッチ。主演はユーゴスラヴィアの花形女優、我国には初めてのルート・ニーハウス(一九三五年生れ)を始めヴィクトル・シュタール、ペーター・カルステン、ラヤ・ラキなど。
1956年製作/ドイツ・ユーゴスラビア合作
原題または英題:Am Anfang war es Sunde
配給:松竹
劇場公開日:1957年2月19日
ストーリー
健康で快濶な娘ロザリヤ(ルート・ニーハウス)は村の裕福な農家ヤコブ(ヴィクトル・シュタール)の屋敷に奉公している。ヤコブは妻のアンナと結婚して十年になるが子供がないので、それだけが不満。屋敷にはまた逞しい作男マルコ(ペーター・カルステン)がいる。彼はかねてロザリヤを誘惑しようと思っていた。ある春の宵、遂にロザリヤはマルコにいどまれ、以来二人は主人の目を忍ぶ間柄となる。だが浮気者のマルコは次第にロザリヤを避け始め、村に来た豊満なジプシー娘を新しい女にし、女とともに村から消える。が、すでにロザリヤはマルコの子を宿していた。思い悩んだ末、彼女は母の許へ帰り、男の児を生んだ。子供は彼女に新しい生甲斐を与えた。一方、ヤコブの家ではアンナが急死したため再びロザリヤを迎え家事を切回させることになった。働き者のロザリヤはヤコブの家に活気を取戻させた。ヤコブも一たん諦めた“跡取り”の希望をロザリヤの上に見出し、遂に彼女に結婚を申込んだ。ロザリヤは母の家に残してきた子供のことを考え仲々承知しなかったが、ヤコブの願いに遂に承諾、主婦として幸せな生活に入った。そんなある日、彼女は道傍でバッタリ、マルコに出会った。が、羊飼いの老人に諭されたマルコは黙って立ち去った。ところが、そのうち、ヤコブは“妻の妊娠”がどうやら望めないことを知った。最大の希望を失った彼の生活は急激に荒みだした。妻への不満は次第にうっ積、ある夜、泥酔したヤコブは「子供ができないのはお前のせいだ」と激しくロザリヤを罵り打った。ヤコブの見幕にロザリヤは恐怖をおぼえ、思わず自分には子供があると叫んだ。ヤコブは暫くその意味を汲取れなかったが、やがて妻の話を聞くに及び、にわかに活々とし始め、「俺たちに子供ができた」と力強く雇人たちに告げに行った。
スタッフ・キャスト
- 監督
- フランツ・カップ
- 脚色
- フランツ・カップ
- 原作
- ギイ・ド・モーパッサン
- 撮影
- ブルノ・シュテファン
- 音楽
- ボヤン・アダミッチ