チャルラータのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
19世紀後半の英国統治下のインド。
政治新聞を発行する夫(ショイレン・ムカージー)。
妻チャルラータ(ショイレン・ムカージー)は有閑夫人。
妻の文才を伸ばすようにと、夫は若い従弟ショーミットロ・チャタージ)を彼女の相手に付けるが・・・
といったところからはじまる物語。
基本的にはメロドラマだが、コミカル要素も含んでおり、映画的な厚みが増した。
ブランコのシーンなど瞠目すべきカットで、このような驚くようなカットがしばしば登場するのが魅力。
チャルラータを中心とした場面は興味深いが、政治絡みのシーンは当時のインドのことが判らず、やや退屈。
仕事口を頼んできたチャルラータの兄(シャモル・ゴサル)夫妻が事態を酷い方向へと運んでいくのは常套的な筋運びだが、その常套性も現代の映画を見慣れた目からすると面白い。
メロドラマ的な部分は、今春鑑賞したダグラス・サークの諸作を思い出したが、サークの方がメロウ。
やはり、サタジット・レイは、真面目であるが、どことなく楽天家っぽい。
インド映画の先入観を覆すまがいなき傑作
2回観ました。1回目は悠久のインド時間についていけず意識を無くしましたが、2回目はしっかり時間旅行が出来ました。
内容はタゴール原作のプラトニックな不倫ものなのですが、優雅で格調高く、サタジット・レイのすごさを初めて知りました。
冒頭の台詞のほぼない室内移動で、主人公チャルの退屈な日常を見事に表現しています。刺繍と文学、双眼鏡で外を見るぐらい。夫は政治と新聞社経営にしか興味がなく、昼間はチャルの横を通り過ぎても気付きもしない。チャルのことは愛玩動物程度にしか見ていないのです。でも夫も決して悪人ではないのですよ。
そこへ夫の従兄弟のアマル登場!歌と文学にたけ、仕事をするのは好きじゃないが、ひょうきんで陽キャラな若者。文学をきっかけにチャルは惹かれていくようですが、ここで直接的な描写はなく、複雑な女性心理の移ろいみたいな感じに映ります。なのでチャルが突然泣きだす場面では、アマルだけでなく、観ている私も驚きを禁じ得ませんでした。
やがてアマルは去り、夫は二人の関係をいぶかるのですが、ラストの描写には希望的な温かみを感じました。
本作 音楽もサタジット・レイが担当しているとのこと。繰り返し使用されるベンガル調の「チャルラータのテーマ」が素晴らしい(何となく「日曜はダメよ」に似た旋律)。また、アマルの「異国からきたお嬢さん」は伸びやかで惚れ惚れする歌唱です。
ご無沙汰ジット・レイ
サタジット・レイの映画は随分前に6本ほど見ているが、久方ぶりの再会である。原作のタゴールは詩人のイメージが強かったので、こんな通俗的な小説を書いていたとは意外だった。
チャルラータがなぜ高等遊民のようなアマルに惹かれたのかがよくわからなかった。居候なのに何もせずぶらぶらしているだけで、かと言って遠慮する気配もない。チャルラータの想いは一方的に燃え上がっているだけで、アマルの方はさほどでもないようだ。チャルラータの感情の吐露は唐突で、相手は当惑するばかり。こうなると可哀想なのは夫で、妻の心変わりに怒るでもなく、ただひたすらむせび泣くという…。
ラストは和解と捉えることもできるのかもしれないが、新たな地獄の始まりにも見える。
ベンガル文字は美しい。ペンで綴られていくのを見ているだけで、ほれぼれする。
レイ以外のインド映画も最近いくつか見てきて、共通するのは女性の置かれた危うい地位という問題だ。
噂に違わぬ優美な傑作‼︎
1964年。サタジット・レイ監督。超深度の奥行きのある美しい画面で...
1964年。サタジット・レイ監督。超深度の奥行きのある美しい画面で描かれる、不倫未満の激しい思い。出だしの軽快な音楽と人物の動きの同調さ加減は小津安二郎かとおもうほど心地よいなあ、とおもっていると、画面の奥行きに圧倒されてぐいぐいひっぱられる。軽やかな関係が次第に真剣な想いになっていき、怒りにまで達する激しいものになっていく過程がすごい。19世紀末の女性の立場を考えれば、書くことをめぐる女性主人公の逡巡もわかるが、相手の男性への反発とも嫉妬とも愛情とも取れる負けん気を発揮して文芸賞に応募する(そしてなんなく掲載されてしまう)際の、思考中のドアップの額のあたりから二重に写される脳内映像がすばらしい。こんなにすごかった映画を実は一度見ていたのを忘れていたらしいのだが、今回は修復したということだから、インパクトがまったくちがったのだろうということで納得したい。とにかくすごいものを見た。
純文学の匂いがこの映像にはする。
向田邦子的
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