猛獣師の子
解説
「チャンプ(1931)」「宝島(1934)」と同じくウォーレス・ビアリーがジャッキー・クーパーと顔合わせする映画で、ハーヴェイ・ゲイツとマルコム・スチュアート・ボイランが合作し、「復活(1934)」のレオナード・プラスキンス、「チャンプ(1931)」のワンダ・タショック及びオチス・ギャレットが協力脚色し、「噫無情」「白衣の騎士」のリチャード・ボレスラウスキーが監督に当たり、「晩春」「影無き男(1934)」のジェームズ・ウォン・ホウが撮影した。助演は「旅からす子供連れ」のスパンキー・マクファーランド、「世界一の金持ち娘」のヘンリー・スティーブンソン、「黒地獄」のセーラ・ヘイドン、映画初出演の舞台女優レオナ・マリクル、「死の本塁打」のウィラード・ロバートソンその他。
1935年製作/アメリカ
原題または英題:O'Shaunnessy's Boy
ストーリー
ウィンディと呼ばれるマイケル・オショーネシーは、ダン・ヘースチングスのサーカスでピカ一の猛獣師だった。彼はお人好しの愛蘭人だったが、酒癖が悪いので、妻のコーラと争いが絶えなかった。しかし彼は心から幼い一子スタビイを愛していた。コーラの姉の老嬢マーサは、妹をサーカスの猛獣師、しかも大酒家の妻にしておく事を嫌っていたが、ついにコーラを唆してスタビイを連れてウィンディの許を逃げ出させた。ウィンディに取っては、妻を失った上に、可愛いスタビイを奪われた事は、致命的の心の痛手だった。そのために彼は曲芸中に失策して虎にかまれ、右腕を切断するほどの重傷を負った。その後十年近く彼はサーカスを離れてスタビイの行方を尋ねて流浪の旅におもむいた。ある日ヘースチングのサーカスに巡り会った彼は、そこで彼の妻コーラがヴォードヴィルで演技中誤って墜死した事、スタンビイはマーサの世話で陸軍幼年学校に入っている事、を知った。折柄学校の暑中休暇で、ウィンディは3ヶ月間スタビイを手許に招く事を許された。常々伯母マーサから、鬼のような人間だ、と聞かされている父親ウィンディと3ヶ月一緒に暮らさねばならない事はスタビイには何より辛い事だった。ウィンディの手を尽くしての親切にもスタビイは頑固に反抗した。けれども、ウィンディの止むに止まれぬ父性愛はやがてスタビイの胸に響くときが来た。父の純な愛をひとたび知ったスタビイは、もはやウィンディの許を去ろうとはしなかった。かくて、ウィンディは残された左腕だけで再び猛獣師のピカ一となった。
スタッフ・キャスト
- 監督
- リチャード・ボレスラウスキー
- 脚色
- レオナルド・プラスキンス
- ワンダ・タショク
- オチス・ギャレット
- 原作
- ハーベイ・ゲイツ
- マルコム・スチュアート・ボイラン
- 撮影
- ジェームズ・ウォン・ホウ