キートンの栃面棒のレビュー・感想・評価
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まさかこれを生身でやったのか???
派手な映像技術に慣れきった昨今、改めてサイレント映画を観るとなんと面白いことか。
断片的なシーン走っていたが「セブン・チャンス」を通してみたのは初めてだ。
CGも合成技術もない時代に、まさかこれを生身でやったのか?というような正気でないとしか思えないシーンが続く。話の内容はたいした筋じゃないのだが、クレーンに吊り下げられたり、本物の汽車の前を轢かれる寸前で横切る映像などまさしくそれだ。
そこまでさせる「映画」というものの魔力を改めて考えさせられる。デイミアン・チャゼル監督が「バビロン」で描いたサイレント映画時代の狂気は決して誇張ではなかったのだ。
サイレント映画は台詞もモノローグも映像技術ないだけにひたすら動きに特化して伝える必要がある、果たして現代の役者でここまで動きで魅せられる役者がいるだろうか。
繊細かつ大胆な傑作活劇
女が大挙し岩が転がりキートンが全速力で逃げる。それだけでもうアクション映画としては及第点なのに、キートンは見せ方やプロセスにもしっかりこだわる。
たとえばキートンが教会で花嫁候補を待つシーン。カメラは壇上から座席全体を一望する位置にセットされ、その向かって右側の座席にキートンがちょこんと腰かける。左から後方にかけて広がる決定的な空白は、それが何物かによって満たされる未来を予感させる。そして予感の通り、花嫁候補の女が一人また一人と教会に入ってきて、空いている席を埋めていく。ほどなく画面は女で埋め尽くされる。しかし教会の入り口にはまだまだ女が集まってくる。いよいよ混沌が最高潮に達したとき、場にわだかまったフラストレーションの矛先が一斉にキートンに向けられる。そして壮大な追走劇が幕を開ける。静から動へのこのなめらかで鮮やかな発展。キートンには映画的力学なるものが手に取るようにわかっていたのだと思う。
他にも瞠目すべき箇所がいくつもある。キートンが7人の女に次々フラれていくシーンは、そのどれもがギミックとバラエティに富んでいる。無声映画において、セリフ=字幕の挿入はそれ自体が画面運動の連続性を断ち切るスポイラーになる。ゆえにキートンの告白もそれに対する女たちの返答も極力言葉を排して行われる。中でもキートンが2階にいる女に「好きです」と書かれた紙を投げたのに対し、散り散りの紙吹雪という形で「NO」が返ってくるくだりは見事だった。
またキートンが車に乗り込むシーンで、キートンと車の位置はそのままに背景だけがディゾルヴで切り替わることで場所の移動が示されるというのも面白い。車での複数回の移動という、プロット上は必要不可欠だが映像的には魅力のないシークエンスをバッサリ斬り落とす勇気もすごいし、そこをウィットに富んだ演出で穴埋めできる技量もすごい。
あるいは序盤こそ弱々しげな青年に過ぎないキートンが終盤になるとジャッキー・チェンも泡を吹いてひっくり返りそうな空前絶後のアクションを披露してくれるというギャップも見所だ。キートンが全力疾走してるときのあの爽快感というか、風の抵抗を微塵も受けてなさそうな感じは本当に何なんだろう。いつ見ても清々しい。
邦題が最悪。セブンチャンスだろう!
この映画を初めて見た時、あまりにも印象が強くて夢を見た。恐ろしい夢で、原発が爆発したので、放射能から逃げると言った内容だ。チェルノブイリの事故の後だったと思う。
キートンは理屈抜きで凄い人だと思う。映画だから、トリックはあるが、自分のアクションで緊迫感を作る。スタントを使わない演者の元祖と言えるかもしれない。勿論、チャップリンやロイドも自演をしてはいるが。僕はアクションでは、キートンが一番好きだ。僕が知っている範囲での話だけど。
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