女の叫び(1978)のレビュー・感想・評価
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現実の事件を通して女優が苦闘する、ギリシア悲劇『メディア』のバックステージ演劇映画の真剣さ
社会における女性の使命について、今日、特にアメリカでクローズアップされてきているが、映画で描けるものとはなんだろう。自立した女性の意気盛んな行動を追ったのもいいだろう。男なんて関係ないと、男性顔負けに活躍する女性映画も観ている分には面白い。メロドラマのか弱きヒロイン像に縛られていた従来の女性映画のパターン化した淑女と悪女から、男性優位社会を批判したもの、性差に囚われない人間の生き甲斐をテーマにしたものと変化してきて、それなりに存在価値を示している。しかし、今度のジュールス・ダッシン監督の古風な女性の叫び、その痛烈に語りかけるものが、安易に女性映画を面白がっていた私にとって素直に衝撃的であった。それはエウリピデスのギリシア古典悲劇『メディア』を現代の家庭劇として復活させたダッシン監督の作意が、時代を超えて女性の業に真正面から挑み、女性の思考と行動について真剣に考察した迫力の為である。
演劇『メディア』の主人公を演じる女優マヤは、夫に裏切られて、その復讐の為に我が子を殺害したメディアの“怒り”を表現する。それが演出家のコスタには気に喰わない。私生活にゆとりもあり、既に社会的な名声もあるマヤをメリナ・メルクーリが扮しているが、このマヤはメルクーリ自身であろう。置かれた時代も環境も極端に違って、恵まれたマヤがメディアの本当の苦しみに同化して、演じることが出来るであろうか。ここにおけるマヤの悩みは、女優の仕事に専念する真摯さ故である。ベルイマンの「ペルソナ」のフィルムを上映しながら、女性の表情について暗中模索するマヤのじゃれ事のような勉強。その演劇の世界の中の女優の闘いの前に、実際に起こった現代のメディア事件が浮上する。アメリカ人ブレンダ・コリンズは、幼少期から貧しく不幸な人生を送り教養も無い。初めて知った男ロイ・コリンズと結婚し3人の子供を儲け、夫の赴任地ギリシアに移住してきた。しかし、ブレンダはギリシア語を話せず孤立し、夫にギリシア人女性の愛人が出来ると自身の存在を否定されたようで自尊心が踏みにじられ、憎悪の塊になって行った。このブレンダとマヤが出会う最初の場面が、この映画のひとつのクライマックスである。マヤの女優の職業からくる興味、同じ女性としての関心、そして人間の罪について。マヤのメルクーリとブレンダのエレン・バースティンの視線の交差が凄い。
映画は、野外劇場の演劇『メディア』のリハーサルを主体に、女優マヤの私生活やスタッフたちのバックステージを描くが、ブレンダ事件を現代のメディア劇として扱うマスコミの様子も扱っている。この演劇の中のメディア、演ずるマヤ、メディアに似た事件を起こしたブレンダと、虚実合わさった三人の女性に観る、愛と憎悪の演劇と現実の対比。複雑に絡み合っているが、見応えは充分にあった。ダッシン監督の誠実な映画創作と、メリナ・メルクーリとエレン・バースティンの熱演が素晴らしい。
1980年 2月8日 岩波ホール
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