「権力に取り憑かれた男の栄光と自業自得の政治ドラマ」オール・ザ・キングスメン(1949) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
権力に取り憑かれた男の栄光と自業自得の政治ドラマ
「ハスラー」のロバート・ロッセン監督が41歳の時に手掛けたアカデミー賞受賞の政治映画。南部の田舎に住む誠実だった男が、州知事まで上り詰めるも権力の乱用によって身を滅ぼすまでを、彼の側近として見ていた元新聞記者の回想のナレーションで表現する。この話法は「市民ケーン」を彷彿とさせるもので、特異な人物を客観的に考察するドキュメンタリータッチと、そこに渦巻く権力と欲望に取り憑かれた人間の醜さが赤裸々に描かれています。原作は1947年に発表されピューリッツァー賞を受賞したロバート・ペン・ウォーレンの小説で、主人公のモデルとなったのは、ルイジアナ州知事ヒューイ・ロングという人物。それを大分脚色し製作も兼ねてひとり三役のロッセン監督の映画化への本気度が伝わる力作であり、それにも関わらず自国の政治腐敗の内容から当時のGHQが日本公開を止めた曰く付きの問題作でもある。日本に民主主義をプロパガンダするGHQにとって、都合の悪い映画だった訳です。
このアメリカ民主主義の弱点と脆弱な選挙制度を告発するストーリーで異色と言えるのは、相思相愛の元教師の妻ルーシーと共に実の両親を亡くした貧しいトム少年を養子に迎え、温かい家庭を築いていた主人公ウィリー・スタークという誠実さと汚職摘発の正義感ある男が、知事選のスポイラー候補に祭り上げられて利用されていた現実を知って、善人から完全に悪人に転化してしまうところです。郡財務官の選挙に敗れ、向学心から独学で法学士の資格を取るスタークは、州予算の不正使用を告発して政治の世界に嵌っていき、老朽化した小学校の倒壊で多くの小学生の犠牲者が出た事件が彼を更に後押しする。この知事選の選挙運動員として敵陣営から送られてくるセイディ・バーグが、その後もスタークに付き添い秘書兼愛人になる展開が後半の複雑な人間模様を演出します。世の中の酸いも甘いも知ったリアリストではなかった理想主義者スタークが、夢から醒めたように権力の裏側の仕組みを身に付け、政治資金の調達から農村の改善を訴えるポピュリズムを習得していく。ひ弱な善より実行力のある悪が善に近ずくスタークの考えは、州知事に就任してから多くの公共事業を強行して州の発展に寄与するモンタージュで表現されています。
このシチズン・スタークを回顧するスタッフのジャック・バーデンの社会的背景が、後半の劇的な結末に至る創作の面白さ。それは父親が知事だったスタントン家の兄アダムと親友で、妹アンとは恋愛関係にあったバーデンも上流階級の一員という、スタークと対峙した階級の出自であること。アダムとアンの伯父のスタントン判事に州司法長官の口約束をするところがストーリーの流れのキーポイントになっています。しかも権力を鷲掴みしようと血気盛んなスタークの男性的な魅力に嵌るアンの動揺と煌めきを加えたことで、ジャック・バーデンの凡庸さを裏付ける。この明確な人物構図の設定が物語として見事に組み込まれています。
ウィリー・スタークの静と動の表情を演じ分けたブロデリック・クロフォードの一世一代の名演が強烈に印象に残りました。僅かに「オスカー」「リトルロマンス」で観ていても記憶にない程地味な役者ながら、この演技でアカデミー賞を得たことは納得です。個性の対比で割りを食らうジャック・バーデン役のジョン・アイアランドも、「荒野の決闘」「赤い河」「OK牧場の決斗」などの西部劇で観ていますが、これは無表情に演ずる演出意図の理由から理解すべきでしょう。クロフォードと対を成す強烈な個性を発露したのが、秘書セイディ・バーク役のマーセデス・マッケンブリッジです。これは「ジャイアンツ」のラズ・ベネディクトの好演が印象にあって、女性の怖さを演じたら右に出る人がいないのではないかと思わせる女優さん。気の強さからジャックを平手打ちするショットが凄い。経歴に「エクソシスト」の悪魔の声役だったとあり、これも納得です。アカデミー助演女優賞に相応しい存在感でした。上流階級の令嬢アンを演じたジョアン・ドルーも西部劇「赤い河」「黄色いリボン」と観て来て、この恋人がいながらウィリー・スタークの魅力の虜になる女性の、当のジャックからは全く理解できない衝動的行動を取る難役を演じ切っています。演出上ではジャックに抱き寄せられると上半身を大きく揺らして苦悶するショットが意図的に表現されていて、決して言葉で説明しない、出来ない心理表現になっていました。綺麗な女性だから許せるように観てしまう自分がいます。ウィリーの妻ルーシーのアン・シーモアの堅実な演技もいい。これは劇中では説明が無いがルーシーは年上女房であろうし、実際にシーモアはクロフォードより2歳年上も含めてキャスティングされたのではないかと想像します。権力を掌握したウィリー・スタークを見詰める醒めた視線、養子トムに捧げる慈愛の視線と、妻と母の立場を地味に醸し出しています。そのトムを演じたジョン・デレクの名前で思い出すのが、1980年代に活躍した4番目のパートナーのボー・デレク。後に脚本家兼監督業にも進出した映画人で、撮影もこなした映画好きでも作品の出来が今一なのが記録に残っています。23歳で15歳のトムを演じて違和感のない幼い容貌は、その後1930年代に活躍した二枚目男優のような甘さから活躍の機会を失ったと思われます。ウィリーの用心棒でこれも印象に残るウォルター・バーグも、ギャング映画のチンピラ役に適した容貌と動きを見せていて、台詞の少なさで不気味さを出していました。これらロッセン監督の演技配分とバランスは、見事に計算されています。
赤狩りにより活動を制限された不遇の映画監督のロバート・ロッセンは、個人的に「ハスラー」の名作一本で尊敬しています。この政治映画のキャスティングの良さと演出の手際の良さからオスカーの監督賞も得て当然なのに、共産党員の過去を指摘され妨害されたとありました。救いは製作者としてオスカーを得ていたことに尽きます。撮影はロッセンの「コルドラへの道」、そして「地上より永遠に」「俺たちに明日はない」のバーネット・ガフィで、「市民ケーン」を意識したカメラワークが見られます。硬派な政治映画ながら、「市民ケーン」と比較して鑑賞したい力作の、各俳優陣の充実した演技のバランスから、目が離せないストーリー展開の面白さまで、観るべき点の多く明確なアメリカ映画でした。最後の結末は、目の肥えた映画愛好家なら予想通りのものですが、そこにロッセン監督の実力が証明されていると言えるでしょう。