桃(タオ)さんのしあわせのレビュー・感想・評価
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優しい(いい人過ぎる?)アンディ・ラウ
登場人物がみんないい人で、特に主人公のアンディ・ラウと桃さんがいい人すぎる。多忙なアンディ・ラウが、使用人である桃さんに対してあんなに親切に面倒を見るのはちょっと嘘っぽい感じもするが、それも嫌味ではなく、ほのぼのとした気分で見られる。
最後は、十中八九、桃さんは亡くなってしまうのだろうと言うことが想像できてしまい、案の定、私の好きなどんでん返しはなかった。終始淡々と進んでいく展開は安心して見られるが、面白さに欠ける点も否めない。
手持ちカメラで撮影しているようなカメラワークと覗き込むような構図はドキュメンタリータッチっぽい効果は出ているものの、個人的には見ていて疲れるので、あまり好きではない。
最後のお葬式の場面で、いつも300ドルを借りていた(だまし取っていた)男性が、花束を持って現れた演出は、気に入っているシーンの一つだ。
<印象に残ったセリフ>
-映画の試写会場のロビーで、後ろにタバコを吸っている男性にー
桃(広東語で):吸い過ぎるとガンになるわ
(相手が広東語がわからないので、今度は北京語で)
桃:(北京語で):タバコを吸うと肺ガンになるわ
→タバコをやめて欲しいのに、ストレートに言わないで、このような遠回しに言った桃さんの人柄を表している。
孤独で哀れな空気のような女
桃さんは13才のとき、家族を日本との戦争でなくした。
それから60年、経済的に成功した梁家に召使いとして仕えた。
幼くして働き始め、お婆さんになるまで働くなんて・・・
当時の香港では、それが当たり前だったのだろうか?
私には想像しにくい、厳しい時代に彼女は生きていた。
60年も他人の家で過ごすというのは、どんな気持ちだろうか?
彼女は幸せだったのか?
ロジャーにとって桃さんは、幼い頃から母親の役割をしてくれた
空気のように、いて当たり前の存在だった。
桃さんが脳卒中で倒れてから・・・
ロジャーは、自分がこんな深い喪失感に襲われるとは、考えてもみなかっただろう。
実の母親以上にそばにいてくれた、この人の命に陰りが訪れている。
彼の幼い頃の写真や、おんぶ紐を彼女は嬉しそうに見せてくれた。
桃さんは血の繋がりのない自分を、愛して育ててくれていた。
そんなことに、今ごろ気がつく自分が情けなくなる。
それから、二人は血を超えた親密な関係を築いていく。
自分の親の介護なんて、なるべく考えないようにしている。
とても自分に務まりそうもないし。
桃さんは子供たちを尊い存在として愛していた。
よそ様から見たら、孤独な可愛そうな女性に過ぎない。
でも、生身の彼女は他の母親と変わりなく、愛することができた。
幸せな時間もあったのだきっと。
ありがとう=しあわせ。
しあわせと一口に言っても各々で感じ方は違ってくるのだろうが、
今作の桃さんが得難く味わうそのしあわせは、また格別な計らい。
60年もの長きに渡り尽した一家の息子に丁重に介護されるという
優しさに満ちた物語。とはいえ養老院のリアルは日本の現場とも
差支えなく共通項があり、できればこんな所は…と思いたくなる。
使用人の立場を心得る桃さんが投げかける仲間への訓示は深く、
何よりも温かい。A・ラウの名演に心酔し息子に迎えたくなる佳作。
要ハンカチ!始めから最後まで号泣。でも爽やかです!
生きている者総てにとって決して避けて通る事が出来ない老いとその先に有る死の世界。
このどんな人間にもやがて訪れる老いの問題を扱った作品は多数有るけれども、家族の認知症の問題や、その介護に苦しむ人々の姿を描いたドラマ作品や、或いは介護ドキュメンタリーなどが主な題材であるけれども、この作品が特に他の作品と変わっていて更に感動的なのは、主人公のロジャーの家に家政婦として勤続60年の桃さんが、或る日脳梗塞で倒れてしまう事で、現在の雇い主であるロジャーが彼女の看病をする事になる事からこの物語が始まる、2人の友情の物語である点が爽やかで感動的だった。しかもこれは実話が基にあるのだから、尚驚かされるのだ。
彼女の現在の雇い主であるロジャーは彼女が勤め始めた雇い主の孫息子に当たるのだ。
当然ロジャーの生れる前から家族と一緒に暮して来た桃さんは、血縁関係は無くても家族と同じ時間を共有して来ているのだが、しかし、昔から勤めあげて来た古いタイプの彼女の前には家族と同じ時間を過ごしては来ているが、この両者の間には、雇用主と使用人と言う歴然とした壁が大きくあるのだが、彼女が倒れた事で、ロジャーと桃さんとの間に新しい人間同志の友情関係と言うべきか、新しい家族関係と呼んだ方が正しいような、優しさに溢れた関係性が生れてゆくのだ。
言ってみるなら、そうアメリカ映画の「ドライビング・MISS・デイジー」の逆バージョンとも言うべき作品なのだ。
ファーストシーンで、ロジャーの好物である魚料理を熱心に調理する桃さん。
リビングルームでは、出された食事には礼も言わずに黙々と食するロジャー。彼の健康を気遣う桃さんが彼の好物のメニューを最近作らないと文句だけは言う。
そして桃さんは、質素な食事を一人台所で食するのだ。
ロジャーはこんな2人の関係が彼女と自分との関係の当たり前の姿だと思っていた訳だが、或る日、病に倒れた彼女の不在に因って、自分達家族がいかに彼女の世話になり、彼女の働きにより、安楽に暮して来られたのかに気が付いて、彼女の看病を始めるロジャーの姿が初々しく、そしてまた格好良く、彼の桃さんに注がれるその眼差しが暖かいものに変化してゆくプロセスを観ていると、もう私は涙が止まらないのだ。
この2人を演じているアンディとディニーは最高の芝居を見せてくれます。
この2人の名演技を抜きにはこの作品は成立しないと思う。
そして、ロジャーは今迄聞いた事も無い、昔の桃さんの話を聞き、自分の忘れていた子供時代の想い出の数々を思い出す。改めて、桃さんがこのロジャーの家の為に一生を捧げて生きて来た事を知る素晴らしいシーンだ。
彼女は、生涯独身生活を貫いているので彼女の本当の家族はもう誰も生存していない、天涯孤独の身の上で、やがてロジャーとの間には本当の親子以上の親密な関係が生れる姿を観るのは、とても気持ちが洗われるようだった。実の親子でも、介護ウツや、介護疲れや、介護放棄など、家族の崩壊を招き兼ねない一大事なのだが、ロジャーの家族が桃さんを軸にしてまた更に強い絆で結ばれていく姿も有るのだ。こんなに心温まる、優しさに溢れる作品を観られた私は幸せだ。そして私も家族を大切にして、自分の廻りにいる人々に優しく生きて生きたいものだ。ありがとう!桃さん!ロジャー!
血の繋がりはなくても最高の家族
詳しく内容を書きましたので、あらすじを知りたくない方は、読まないで下さい。
これは李恩霖(Roger Lee)という映画Producerの経験した実話で、そのことを知った映画監督の許鞍華が映画化したもの。
ベネチアとかあちこちで賞を総なめにしてるが、まさに香港映画らしい香港映画。また、私が今年見た香港映画数十本の中ではベスト。香港版DVDで観ました。
今香港では、30万人を超すフィリピンやインドネシアからの家政婦が働いている。これは女性の社会進出が欧米並みで、子供や高齢者の面倒を見るため。このため全く普通の庶民の家で外人家政婦を雇っている。
しかし昔は外人ではなく中華系の住み込み家政婦さんが沢山いた。これはそういう昔ながらの家政婦さんの話。
香港では今、高齢者は自宅でみるという古い習慣が崩れつつある。しかしながらまだ高齢者施設はまだまだ不十分。ここら辺もこの映画はうまく取り上げている。また「老い」「しあわせな人生とは?」も重要なテーマ。
そして香港映画では、血のつながりのない同士の間の家族同様の愛情がよく描かれるが、この映画もこれを重要なテーマにしている。
この映画の前半で、Roger(劉德華)が桃姐(葉德嫻)の入っている老人ホームの他の入居者に「桃姐の契仔か?」と訊かれ「うん」と答える。その時のRogerと桃姐の二人のうれしそうな顔。契仔とは血のつながりはないが、親子同然の関係。(日本語字幕では義理の息子と訳しているが、ニュアンスが伝わらないのでは?)
なお桃姐の発音は、広東語ではtou2 zhe1のことが多いが、ここではRogerたちはtou2 zhe2と呼んでいる。これはzhe1だといかにも使用人ぽいから声調をわざと変化させているのだとのこと。
桃姐は10代から60年以上、梁家の住み込み家政婦。梁家の皆は桃姐を家族同様に扱っている。梁家は、特にすごい金持ちというわけではないが、まあまあの生活レベルらしい。桃姐も若いときは結婚のチャンスもいろいろあったようだが(後半のRogerとの会話でわかる)結局結婚せず既に70歳を過ぎた。
今、梁家はみんな海外移住したが、長男のRogerだけは香港で映画Producer。桃姐はそのRogerの世話をしている。桃姐はRogerが生まれた時からずっと可愛がってきた。後でわかるエピソードからは、少し甘やかし気味だったことがわかるが。
冒頭あたりのシーンで二人とも口数少ない。Rogerが「しばらく牛タン食べてない」って我儘を言う。Rogerは心臓を悪くしバルーン(波仔)手術をしており、桃姐は怒って「なにいってんの。またバルーンやりたいの?」「しばらく食べてなきゃ、そのまま食べなきゃいいじゃない。」と厳しく言う。
ここらへんで、雇い主と家政婦でありながら、この二人が家族同然であることがわかる。でもRogerが可愛いので後で牛タン料理を作っておいてやる。多分Rogerの身体を考えて塩分控えめとかなんだろう。
なお桃姐は料理の名人。素材どころか、しょうゆの味にもこだわる。
Rogerが大陸に出張中に桃姐は中風で倒れ、「私はもう家政婦やめる。で老人ホームに入りたい。中風は繰り返すって言うし。」
Rogerは「桃姐の面倒をみる家政婦を別に雇うから、家にいなさいよ。」というが桃姐の決心は変わらない。
で彼らの住んでいるのは、香港では有名な美孚の団地。Rogerが探して入ってみたのが地下鉄で3つ離れた深水捗の護老院(老人ホーム)。これは、なるべく近くで見つけたいってことかな?(これはよくわかりません。)
ところがその護老院の経営者がなんとRogerの悪友(黄秋生)だったことがわかり、そこに入ることに。
そしてRogerは時間がある限り桃姐を見舞う。映画Producerでとても忙しいのに。
しかしその護老院の設備・環境とかは、お世辞にもいいとはいえない。しかし桃姐は、我慢する。そのうち、他の入居者とも打ち解けて仲良くなってくる。
いい加減なお調子者の堅叔おじいちゃん(秦沛)はいつもうるさい。
謹厳な元校長先生(梁天)はスノーボールを大事にしている。
金姨おばあちゃん(許碧姬)は、自分のことを大切にしてくれる娘(江美儀)を無視して、親不孝な息子のことばかり。それで娘はいつも怒っている。
まだ若い梅姑おばさんは人工透析を受ける為に入所し、逆に年老いた母親が見舞いに来る。
護老院の主任(秦海璐)もいい人。たまに北京語がでることから、最近大陸から香港に来たことが解る。しかし桃姐が「ご家族は?」ときいた時は、何も答えない。色々あったんだろうと想像がつく。
みんな、人間なら当たり前だが、いろんなことを抱えている。
桃姐はリハビリも頑張りかなり回復し、Rogerと外出も出来るようになる。
団地に里帰りし、昔の写真やRogerをおぶったねんねこを、Rogerと二人で見るシーンの暖かさは、たまらない。最高のシーンの一つ。
Rogerのお母さんもわざわざ香港に桃姐を見舞いに戻って来るが、このシーンが笑ってしまう。桃姐はお母さんが来てくれたことに大喜びする。お母さんは「私が入院したとき、あんなにあなたはよくしてくれたんだから。」
しかしお母さんがせっかく高級品のツバメの巣を沢山持ってきてくれたのに、桃姐はお母さんの調理が不十分で、しょうがを入れ忘れていることを指摘する。桃姐は全く遠慮なく、こういうことを言う。
また高級品のツバメの巣や花束、靴下はお土産として有難く受け取るが、お見舞いのお金は頑として受け取らない。
桃姐は誇りをしっかり持っていて、人にはとてもやさしく心遣いをし、他人からの心遣いもしっかり受け止めるが、甘ったれないし、媚びも売らない。
Rogerの高校時代の仲間(台詞からどうも高校のときのバンド仲間らしい)がRogerの家に集まったとき、皆で桃姐に電話する。この時の会話からも、いかに桃姐がお姉さんとしてやさしく彼らを可愛がっていたかも解る。この時の電話では、皆が「桃姐、見舞いに行くからね。」「来なくていいが、食べ終わったら、ちゃんと片付けといてね。」(笑)
旧正月、Rogerは一家の所に行く。桃姐に一緒に来るように誘うが、桃姐はいかず護老院で年越し。(その時主任に「ご家族は?」って訊くんだが、そのときの秦海璐、いい。)一家はみんなで国際電話を桃姐に掛けるが、本当に家族そのもの。
また香港に家族が集まりお祝いの会をする時も、桃姐は家族の中心のように扱われる。
Rogerは自分の製作した映画のプレミアに桃姐を連れて行き、スターたちにも紹介。このあたりのRogerと桃姐、親子?姉弟?大親友?
しかし梅姑おばさんは病気が重くなり転院。金姨おばあちゃんも死んでしまう。この時の娘(江美儀)の悲しみの演技は凄い。
Rogerとお母さんは別に持っていたアパートの部屋を桃姐専用に使おうとか考えていたが、だんだんと桃姐の老いは進み、認知症も始まる。
それに付き添うRogerの寂しそうな顔。
臨終が近いのにRogerは大陸に出張しなければならない。Rogerはもう意識のない桃姐の髪を整え、靴下を直してあげてから出かけて行く。
葬儀はRogerたち家族で行うが、その後もRogerは家に帰ると桃姐が待っていてくれるような気がしてしょうがない。
実は、香港版DVDのオマケにはカットされたシーンが付いていて、葬儀の後、Rogerが桃姐の遺影を抱きしめるシーンがある。これは、涙腺直撃です。
この映画を見せてくれた神様に感謝!
桃さんは果たしてしあわせだったのでしょうか?
孤児の生まれで養父母も日本軍に殺され、13才の時に金持ちの家に買われた桃さん。
家政婦とかメイドとか言う翻訳ですが、「下女」と言う言葉が最も適切です。「奴隷」と言っても良いでしょう。買われてから60年以上も同じ家に仕えてこき使われた人生。同い年の元お嬢様はスープひとつ満足に作れない老嬢です。
恋愛も許されず、勿論子供を産む事も許されず、ひたすらご主人様に仕えた人生。
リハビリの体操をしながら花嫁、花婿の姿を何とも言えない表情で見送る桃さん。
1997年に香港が中国に返還された時、財産をもったままアメリカに逃げたかつてのご主人一家。ただ一人、香港に残ったおぼっちゃまである映画の財務プロデューサーの世話をする桃さん。自分の立場を受け入れ何の疑問も挟まずに一言のねぎらいも無いおぼっちゃまの為に献身的に働く桃さん。
その桃さんが脳卒中で半身不随になってしまいます。おぼっちゃまは洗濯機の使い方もお湯の沸かし方も知りません。そこで桃さんの有り難みにやっと気付いて介護のまねごとをします。ただし安い老人ホームを友人のつてで値切って入れてたまの休みに桃さんを誘うのも香港のチープなレストラン、茶餐庁です。それでも立ったまま食事をさせられて洗濯機置き場に寝泊まりさせられていた桃さんはおぼっちゃまを有り難いとさえ思います。孤独な身の上で家族を持つ事が出来なかった彼女はいじらしいほどの喜びを感じるのです。老人ホームの仲間たちも不幸で孤独な人ばかり。その人たちに比べればおぼっちゃまと交流できる自分は幸せだと感じる健気な桃さん。
雇い主根性丸出しの元お嬢様がいくら金を渡そうと思っても桃さんは拒否します。それでも元お嬢様がくれた飛行機のファーストクラスでもらった靴下は最後の最後まで大事にします。
人はすべからく他人に対して罪な行為をしてしまいます。一人の女性の人生を当たり前の様に台無しにしてしまった金持ち一家。いくら罪滅ぼしをしようと思っても桃さんの命はもう長くはありません。
彼は気付くのが遅すぎたのです。
この映画は単なる心暖まる美談ではありません。人が人である為に何をなすべきかを問いかけていると思いました。
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