グレート・ディベーター 栄光の教室のレビュー・感想・評価
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【”正義無き法は法に非ず。テキサスでは罪なき黒人がリンチで殺されている。”今作は1935年テキサスの黒人学校のディベート部の学生が人種差別に対し言葉を武器に闘う姿を描いた実話の映画化作品である。】
■1935年、テキサス州マーシェル。黒人学校ワイリーカレッジの黒人教師のトルソン(デンゼル・ワシントン)は、有色人種が差別される社会に対抗するのは教育のみと信じ、ディベートクラスを立ち上げる。
彼は、ヘンリー・ロウ(ネイト・パーカー)、サマンサ・ブック(ジャーニー・スモレット)、そして僅か14歳の父(フォレスト・ウィテカー)が大学卒のジェームズ・ファーマー・ジュニア(デンゼル・ウィッテカー)を選抜し、ディベート大会に向けて特訓を開始する。
だが、黒人蔑視の風潮が残る町では白人社会からの風当たりは強く、更にはトルソンは小作農たちの労働組合結成を促したとして、厳しい立場になってしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・エンドロールを観ると、登場人物は全て実在の人物で学校卒業後、重要な人物になっている事がテロップで流れる。
だが、この映画を観ているとトルソン、ヘンリー・ロウ、サマンサ・ブック、ジェームズ・ファーマー・ジュニアが優秀な頭脳と、勇気を持っている人物としてキチンと描かれているので、納得である。
・彼らは、黒人蔑視の中、テキサス州でのディベート大会で勝ち上がる。そして、トルソンは200年の歴史を誇る米国の名門中の名門校の一つ、ハーバード大にディベート対決を申し入れ、了承されるのである。
■だが、トルソンは敢えて自分はハーバードへ行かずに、生徒達だけでディベート会場へ向かわせるのである。
そして、大観衆とラジオ放送でディベートの状況が流される中、エースのヘンリー・ロウは補欠だったジェームズ・ファーマー・ジュニアを自分の代わりに代表にし、サマンサ・ブックとのコンビで、ハーバード大のディベート部と対戦させるのである。
<ディベートの緊張感溢れる大会シーンは見応えがある。
そして、14歳のジェームズ・ファーマー・ジュニアが言い放った”正義無き法は法に非ず。テキサスでは罪なき黒人がリンチで殺され、小作農は搾取されている。”という言葉により、黒人学校ワイリーカレッジは、ハーバード大に勝利するのである。黒人の観衆だけではなく、満場から称えられる黒人学校ワイリーカレッジのディベートチームの誇らしき顔。そして、密かに会場に来ていたトルソンの満足そうな顔や、ジェームズ・ファーマー・ジュニアの厳しき父を含めた家族が立ち上がって喜ぶシーンはムネアツである。
今作は、黒人が自分達の権利を言葉を武器に、人種差別思想と戦う姿を描いた作品なのである。>
存在感のある歴史
1935年テキサス州マーシャルでの実話に基づいた話らしい。 この討論というのは米国社会では、特に高校生の間ではクラブもあるぐらいだから、かなり、広範囲にわたるアクティビティーであるらしい。しかし、この映画は長く続いた大恐慌の時代なのである。それも、テキサス。
実は30年ぐらい前、小学六年生の教科書の国語を担当していたとき、『討論』の授業をクラスでして、校長、教頭たちに見せなければならなかった。はっきり言って査定で、私の教授法を評価しにき
たのだ。あの薄い教科書の2ページだけが討論について書いてあった。実は指導要綱だけでは討論を周りに説得させる設定をすることは無理だったろう。同僚の他の先生はこれを教えないと言った。私はパブリック・スピーキングや討論のクラスをとり、実際に壇上に立ったことがあったから、クラスを模擬討論にしてみせた。
ここ映画の討論の中で大切なのは引用である。
キリスト教の教会の偉大な教父のSt. Augustine of Hippo:不公平な法律は法律ではない "An unjust law is no law at all", (他にもあったが忘れてしまった)。この言葉の引用がハーバード大学での討論会で優勝できた理由なのだ。ジェームス・ファーマー(デンゼル・ウィテカー)はテキサス州から遠征に行った時、途中でみたリンチを経験にして最終弁論にした。ロゴス(論理)・パトス(感情)・エートス(人間性)のアリストテレスの修辞法はもっとも説得力があったわけだ。今だったら ロバート・ケネディやキング牧師の言葉を引用することができるが、1935年だから。著名人の数多くを私はよく知らない。
ジェームス・ファーマーは公民権運動家(co-found the Congress of Racial Equality)だが、この人とジェームスが同じだとは知らなかった。ワイリー大学(メソジスト、エピスコパル教会)の先生、メルビン ・トルソンMelvin B. Tolson (Denzel Washington) は討論のコーチだけでなく、詩人で人種を分断させない労働組合の先駆者だったんだね。最後の字幕がなるほどと納得させた。 ジム・クロウ法律の中、初めて北部のマサチュセツ州ボストンに降り立ち、ハーバードの学生の出迎えを待っている時、見たもの全て、そして、出迎えたハーバードの学生の態度からは今まで経験した白人の態度とはまるっきり違っていて、広い世界に飛び出たという気持ちになったろう。牧師の息子として育った黒人の特権階級の14歳のジェームスは何もしなくても、黒人であることがリンチされる理由になることも学び、これを最終弁論に持っていった。黒人と白人の討論会ではなく、ワイリー大学とハーバード大学(実際はUSC)の学生の討論会で、ジェームスの最終弁論でハーバード側の二人の学生は負けを感じ取った。
サマンサ・ブロック(ジャーニー・スモレット、実在の人物、Henrietta Bell Wells)だが、彼女も後世に名を残した公民権運動家で弁護士だそうだが、全く知らなかった。この時代に、彼女の存在は大きい。ハーバードの学生を見ればわかるが、白人の中にも女性を見かけなかった。
これらの人々の力によって、社会が変わっていった。社会の変化はゆっくりすぎるかもしれないが、誰も現状維持にとどまっていることは望まなかった。
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