「画は綺麗だが、噺は上っ面を舐めただけ」マリー・アントワネットに別れをつげて マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
画は綺麗だが、噺は上っ面を舐めただけ
舞台は1789年7月14日のフランス・ヴェルサイユ。折しもフランス革命の発端となった民衆によるバスティーユ牢獄襲撃事件当日の朝を迎える。
王妃マリー・アントワネットの朗読係・シドニーが主人公で、彼女の視線で激震が走るヴェルサイユの3日間を描く。
シドニーにとって王妃は特別な存在だ。畏敬とともに憧れと恋心を持っている。
このあたりは、出勤に遅れないよう上司から借りている高価な時計で目覚める慌ただしいオープニング、そして一転して王妃の前でかしこまる彼女の内なる高揚ぶりから十分に窺える。
ダイアン・クルーガーる、優雅で気品があるが、思いのままの言動で回りを右往左往させるダイアン・クルーガーによるマリー・アントワネットは文句なしだ。
王妃の世話をするカンパン夫人の心配をよそに、王妃との会話を楽しむシドニーのあどけなさも出ている。
セット、衣装から小物に至るまでよくできていて、豪奢な宮殿内の様子を美しく再現している。
ただ、王妃の寵愛を一身に受けるポリニャック夫人の描写と、シドニーの夫人に対する嫉妬心の描写はともに物足りなさを感じる。
そして、宮殿が不穏な空気に包まれてからは、シドニーを手持ちカメラで背後から追う描写があまりに多く、映画のテンポがどこかへ置き去りにされてしまう。テンポを変えたのならいいが、そうは感じない。おまけに不協和音を使った音楽が安っぽい。絵も音も小手先だけで切迫したものを感じない。
同年代の同僚はメイドやお針子で、王妃に謁見できるのは自分だけという特権意識のようなものがシドニーにあったに違いない。その意識が分不相応の嫉妬を産み、彼女の人生を狂わせる。そうした噺への肉付けが不足している。観客が察するだけでは切なさが出ない類のものだ。見た目の方にだけ気が配われた感がある。
シドニーが同僚に言う。
「刺繍係になったら王妃に会えなくなる」
資料室の老人がシドニーに言う。
「君の王妃への熱い思いは知っている。愛が強すぎ我ままに寛大だ」
シドニーが最後に残す言葉。
「今日から私は誰でもなくなる」
けっきょく、これらの台詞だけで事足り、人生の上っ面を舐めただけの映画で終わってしまった。
p.s. 日比谷のシャンテがデジタル化してから映像が綺麗になり、ヨーロッパの歴史ものを観るのが楽しみになった。