「【”フェアプレーの精神”帝政ドイツにあった名門校に赴いた若き英語教師コンラート・コッホがサッカーの真なる意義を生徒に伝える姿に泪する作品。サッカーとは貧富、国を超えるスポーツなのである。】」コッホ先生と僕らの革命 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”フェアプレーの精神”帝政ドイツにあった名門校に赴いた若き英語教師コンラート・コッホがサッカーの真なる意義を生徒に伝える姿に泪する作品。サッカーとは貧富、国を超えるスポーツなのである。】
ー ご存じの通り現代サッカー界でドイツは世界最強国の一つである。だが、私は今作を鑑賞するまでは、その根底を築いた人物を知らなかった・・。-
■「ドイツ・サッカーの父」と呼ばれる実在人物が主人公だそうである。全く知らず・・。
イギリス発祥のサッカー(フット・ボール)が、反英感情の高まるドイツで受け入れられていく過程は、サッカー好きには堪らない作品である。
■1874年、帝政ドイツにある名門校に若き英語教師コンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)が赴任。
学園の封建的風土や生徒らの偏見・差別意識に直面した彼は、授業にサッカーを取り入れる。
一部を除いて、生徒らは夢中になり、フェアプレー精神を学んでいくが、教師らはコッホを危険視していく。
◆感想
■今作でキーになる生徒は二人いる。
一人は、級長で学園を支えているリヒャルト・ハートゥングである。彼は父の威光を笠にして弱きプロレタリアートであるヨストを苛めている。
もう一人は、ヨストである。苛めに会いながらも、コンラート・コッホが導入した”フット・ボール”の授業で、その才能を開花させていくのである。
・今作が物凄く心に響くのは、リヒャルト・ハートゥングが苛めをしつつ、自分が恋心を抱いた女中との関係性である。
ー 彼女は、ハートゥングの父により馘首されるが、それによりリヒャルト・ハートゥングは旧ドイツの身分制に疑問を抱いて行くのである。ー
・小柄なヨストとその母親の存在は、この作品には欠かせない。苛められていたヨストのドリブルテクニックとシュートテクニックは、大袈裟に言えばメッシである。
・そして、コンラート・コッホの自由なる精神性を受け入れた生徒たちが学校外でサッカーを楽しむシーン。
ー サッカーが貧富の差が無いスポーツである事を、示している。実際にブラジルでは貧困そうから成り上がった名選手多数である。-
<今作は、個人的な感想であるが物凄く心に沁みた作品である。
苛められて居たヨストからのセンタリングを苛めていたリヒャルト・ハートゥングがヘッドで決めたシーンなどは涙が溢れました。
今作の様な作品があるからこそ、映画鑑賞は止められないのである。>
■追記
ドイツを舞台にした映画は、矢張りドイツ語で観たいよね。
ダニエル・ブリュールはそういう意味でも貴重な俳優だと思います。