「中村監督のさまよえる男根映画」みなさん、さようなら tomboyさんの映画レビュー(感想・評価)
中村監督のさまよえる男根映画
この映画を作った人は女性に強いコンプレックスを抱いていて、どこかに出かける事も無く楽して暮らしたい、だがしかし、思うがままに女性にモテたい、それを周囲に温かい目で見守ってもらいたい、理解してもらいたい、という妄想を「団地の中」という特異空間を男の欲望の楽園に、そこで活動する主人公をファルスに見立て原作から脚本を書いた。
つまり「団地の中」楽園では、いや「団地の中」楽園だけでは自分は無敵であるという主人公像に原作者の欲望や妄想が魔術のように降りかかっている。団地を出てしまえば魔術が効かなくなると言う見るも無残な結末を突如としてそれまでのレトリックをまるで回収できないまま物語をなかば強引に終わらせる。
少年期の心的外傷は、欲望とファルスを思うがままに発揮するためだけの理解しがたい言い訳に過ぎず、いわば作者の手前都合によってのみ許されるくだらないきっかけに過ぎない。
男の風上にも置けない、あえて口汚い言葉を使えば男娼だかオカマだかオンナ・コドモだか知らないがそんな男とは呼べない奴がホンを書いて、またそんな男とは呼べないような奴が作品を見て喜んでいるんだろう。と勝手な妄想(笑)
団地生活を選んだ肉親・親の思考を否定するものではないが、団地生活からの脱出や向上を望まない団地2世の人種が大勢出てくるところにまず嫌気がさす。
原作者や映画を製作した側は都営や県営の低所得者向けの集住にハッピーに住まい、生活保護で暮らすモデル人材をこれからも増やしたいのだろうか。
わたしは団地生活の経験が無い。人の息遣いや生活音が壁越しや天井越しに感じられるような生活を幼少のころより経験したことが無かったので、団地住まいに嫌悪こそ感じられど、ノスタルジーなど全く感じられないから作者にも作中の団地住まいの者たちへも共感できるものはひとつもない。
作中の主人公はご都合主義的な欲望は他の人一倍あり、それが安易に叶ってしまうという作者の欲望と妄想に則した滅茶苦茶な駄文。
欲望ただそれだけを持ち、活動は最小限で享楽を受けるだけのほんとうに馬鹿げた、まっとうな人生観なんてクソ喰らえのモラル破壊なクソ売文。
映画作品も原作に輪をかけて酷いものだった。
監督が、「おれのためにこいつらはここまでやった、おれはここまでやらせた。どうだ見て見ろ、面白いだろ?おれはすごいだろ?」と言っている風にしか見えなかった。製作陣の共同セクハラじゃないのかアレ?
ちょっとこういう監督は早々に退場してもらいたいと思うのはわたしだけだろうか。
出演陣から、撮影は四日間だけであり、監督の言われたとおりにただ演じた、となんとも素っ気ないコメントが出されてわたしは正直かなり失望した。
この監督は、非日常性の中に面白みを見出す作風がお好みのようで、多くのファンからというより一握りの性格破綻者やアウトサイダーをターゲットに共感を得るような作品が多い。むかしから原作ありきの作品ばかりで注目されてきているから、原作なしの、ふつうの作品を丁寧に作りこんでいくことは難しいのだろう。
それでも作品自体が性差なく共感を得られればまだ良いのだが、女性からの共感を得られにくい無駄な描写が多すぎる。それがこの作品では前半部分にかけて延々と流れるのだから、監督自身のマスターベーションは金輪際勘弁してほしい。出来の悪いロマンポルノじゃねえんだからさ。金子修介さんに叱られるぜ。
作品を彩る矛盾ある描写も時代錯誤な男尊女卑思想も、作者と監督の欲望とその象徴であるファルスたる主人公役の俳優が混濁し暴走した結果なのであろう。
ありとあらゆるエンターテイメントは、確かに新しさを発揮するという可能性が非常に狭められている。いや、なにをやっても焼き直しと言われるのがオチなのかも知れない。
しかし、くだんの作品の中にも時代背景とセット・小道具類のミスマッチがそこかしこにあった。丁寧に作りこまれているようにはとてもじゃないが観れない。
目新しいものへの可能性が閉ざされているからと言って、不健康さを売り物にしたり、ことさらにアウトサイダーを礼讃し、時代感覚を見誤ったいい加減な設定で映画作品を乱発するようなことは控 えてもらいたい。
それよりも先に、やるならやる、作品を作るなら作るでリアリティーのある作風を丁寧に作りこんでいくことが大切なのではないかなと感じてやまない。