「珍作、そして名作。」王になった男 ジャワカレー澤田さんの映画レビュー(感想・評価)
珍作、そして名作。
韓国時代劇は、どれもシナリオが似たり寄ったりです。
というのも韓国史は日本史と違って、庶民の生活に関する記録がないから書けるのはどうしても王宮の中の出来事だけになってしまいます。だからどの作品も、結局は王宮での権力闘争の話ばかり。当時の人の考え方も儒教一辺倒に凝り固まっているから、時代ごとの変化にも乏しい。儒教は革新や進化を嫌います。織田信長のような急速な合理化を実行した人物が非常に少ないのが韓国史の特徴ですから、それをドラマにしても実にマンネリを起こしやすいジャンルというわけです。
しかしこのことは、韓国人自身が一番よく知っているわけで。
だからそんなガチガチ儒教世界に風穴を開けてやろう、と思い立って作った映画がこの作品なのでしょう。多分。
主人公の道化師は、あくまでも現代人の感覚を持った男です。当時の朝鮮王朝の政治や儀礼、食事、夜の床の間、はたまた大便はどこでするのかということまで、常に現代人の感覚で質問し、観察し、体験します。宦官の小便は立ってするのか座ってするのかという素朴な疑問まで飛び出すくらいです。ははは、そういやそうだ。
そして次第に彼は現代人の感覚から、李氏朝鮮の政治の在り方は明らかに間違っていると確信します。
「事大の礼が民より大事なのか」
これは儒教の教えに挑戦する台詞です。儒教に平等思想や人命優先の思想はありまあせん。つまりこの道化師は、朝鮮王朝の精神的柱である儒教を叩き壊したわけです。
その行動に具体的な説得力を持たせたのは、ビョンホンの演技でした。
一人二役というのがこの映画の最大の売りですが、ビョンホンは恐らくこの映画のために莫大な労力をつぎ込んだのでしょう。光海君と道化師とは、明らかに顔が違っています。メイクで顔のどこかを変えてある、という意味ではありません。顔自体はもちろんまったく同じですが、彼は王の時の顔と道化師の時の顔をまるでアシュラマンのごとく(笑)使い分けています。これがどういう意味かは、ぜひ劇場に行ってお確かめください。
大変素晴らしい映画です。韓国時代劇の中では珍作かもしれませんが、名作です。