「籠の中の『乙女』ではなく『犬』」籠の中の乙女 エビフライヤーさんの映画レビュー(感想・評価)
籠の中の『乙女』ではなく『犬』
ヨルゴス・ランティモス監督が長編3作目で描いた不条理コメディと聞き、公開初日に鑑賞。『哀れなるものたち』のときは、席を埋めているのがほぼ女性客だったのに対し、今回の『籠の中の乙女』はかなり男性客多め。予告編が流れている間、男性客が多い理由は、妙に耽美っぽい邦題とポスターにあるのではないか?と邪推してしまった。(日本版ポスターはご存知の通り「水着姿で目隠しをされた少女が犬のように四つん這いになっている」もの)
ちなみに、この映画の英題は『Dogtooth』。海外版ポスターは「犬歯から血を流してる少女の顔面ドアップ」で、耽美要素はどこにもない。邦題が映画の本質を捉えておらず、大衆受けを狙いずぎて的外れになっているのはよくあることだけれど、今回はなんとなく配給会社の“あざとさ”が垣間見えて気持ち悪い。籠の中に囚われてるのは少女だけではなく、性欲旺盛な少年もちゃんと出てるので、順当に『籠の中の子供たち』とかでもよかったのでは?
映画本編の内容は、ある裕福なギリシャ人夫婦が3人の兄妹たちを家の中から一歩も出さず育てようとするが、部外者を招き入れたことで厳しく管理されていた子供たちの生活が乱れはじめ、歪な形で保たれていた“完璧な家庭像”が一気に崩壊へ向かうというもの。夫婦は共謀して「家の外がどんなに危険か」を教え込み、まるでペットように子どもたちの思考と生活を支配しコントロールしようとする。子どもたちは親の言うことを純粋に信じているが、閉鎖空間で過酷な教育を受けているためか心のどこかが歪んでしまっている。兄妹喧嘩で相手を刺して流血沙汰を起こしたり、親の指示で近親相姦までしてしまう。
鑑賞後に気付いたけれど、この家族はお互いを名前で呼び合っていない。ハンマーを持った猫に膝を殴られた兄は、妹を指差して「彼女がやった」と言っていた。私が覚えている範囲で名前が出てきたのは、兄の性欲処理係として雇われている部下・クリスティーヌと、ドッグトレーナーに預けている飼い犬だけだと思う。そして、その飼い犬は主人であるはずの父親から名前を連呼されてもまったく無反応だった。その一方で、家の子どもたちと母親は「外敵に備えるため」という名目で、父親から四つん這いの恰好で犬の鳴き真似をさせられている。名前のある犬よりも、ご主人様に忠実な名前のない人間たち。なんて怖い映画だろうか。
最後に、猫好きのひとはこの映画を観ないほうがいいかもしれない。私は『イノセンツ』で子どもがサイキック能力を使って猫を殺すシーンが辛すぎて目をつぶったが、今作でも似たようなシーンを直視できなかった。私の脳内にある「猫が惨殺される映画リスト」に本作は登録済み。