容疑者、ホアキン・フェニックスのレビュー・感想・評価
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ホアキン正気か?大丈夫か?
「俺、明日からラッパーになる」
2008年にそんな宣言を突然して周囲&ファンを驚かせたホアキン。
それまで培ってきた演技派俳優としてのキャリアを投げ打っての宣言。
容貌もかなり変化し、デップリと太り髪もボサボサでまるでホームレス。
その風体で、もの凄く変なラップを歌う。
ホアキン正気か?大丈夫か?な状態である。
2010年、ラッパーを目指すホアキンを追ったドキュメンタリーとして本作を発表。
が、その直後、「ラッパー宣言はウソでした」と宣言。
ウソをついたら皆がどういう反応するか見るためのフェイクドキュメンタリーでしたというオチ。
本作のフェイクドキュメンタリーとしての出来だが、
何のために作ったんだ?どうしたかったんだ?なんで2年も費やしたんだ?と問いただしたくなる内容で…。
当時の批評家・観客も、フェイクだろうが何だろうが、どーでもいいよ、もう。的な反応。
どちらにしても「ホアキン正気か?大丈夫か?」な状態である。
これはもう、皆から「正気か?」と嘲笑われる状態に、身を置きたかったとしか考えられない。
そう思わせてしまう事自体、(しつこいが)「ホアキン大丈夫か?」である。
ラスト近くで
「俺はここにいるよー」と歌うホアキン。
自分が何処にいるのか自分で判っているのか?
笑いを通り越してちょっと悲痛だった。
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兄の死などでゴシップの的になってきたホアキン。
この映画、ゴシップニュースを信じて分かったような気になっている人々へ、お前達が見ているのは虚像なんだっていう痛烈な批判も含んでいたと思う。だからこそのフェイクだったのだと思う。
だが、ホアキンの演技が上手過ぎて
全編に漂う情けなさが、真なのかフェイクなのか、分からなくなってしまっている。
演じているはずの「途轍もなく情けないホアキン」は虚なのか実なのか。
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このフェイクドキュメンタリーから、落語『粗忽長屋』を連想してしまった。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう?」
そんなサゲを思い出す映画だった。
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