天使のたまごのレビュー・感想・評価
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私にはまだ
17の私にはまだ難しかったかも。セックスして大人になってしまったのは分かった、くらいだった。雰囲気はすごく好き。戦争モチーフにしてると思ったら違うのかな?セリフは抜群に良かった。やっぱり多少のわかりやすさがないと駄目なんだなー絶対伝えたいことは良いのに。大衆受けで作られてないと思うからなんとも言えないけど。
アートに振り切ったアニメ史に残る作品
3回観ました。
1回は、20代の頃にレンタルビデオで、3年前くらいにもう1回、3回目はごく最近アマプラで。
ストーリーというストーリーはなく、純粋にアートワークを鑑賞する作品です。
全くの架空の世界が、これだけ統一されたひとつのイメージで細部まで作り上げられていることに、とても感銘を受けます。
冷たく、寂しく、奇怪で、美しいです。
天野喜孝のデザインももちろんですが、菅野由弘の音楽も、他のアニメでは類がないくらい真剣で芸術的だと思います。
あのテーマが、ずっと耳に残ります。
徳間書店がこの企画を通したのは英断だと思いました。
今ならあり得ないでしょう。
押井監督は「タルコフスキーのような映画にしたかった」という主旨の話をされているらしいですが、意外でした。
押井監督は作中でやたら長い意味深で説明的なセリフを多用する印象で、暴力描写も大好きな人なので、タルコフスキーとは全く異なる資質と感じていたからです。
ここまでアートに振り切った(そこそこメジャーな)アニメは他に存在しないように思え、やはり日本のアニメ史に残る作品だと思います。
あなたも、わたしも、すでに全くの自由を持っている。
この作品の最大の特徴は、登場する全ての存在に”名前”がない事である。
そして、そのような作品は、この作品を於いて、無い。
朝と夜。水の持つ静寂と、透明で自由な形。夕暮れの郷愁を感じさせてくれる音楽とアニメーションと演出。あの、冒頭の、少女が目覚めて、朝焼けか夕焼けか赤く染まった空と海風を受けながら、頬杖をついて、海辺の町と汽笛の音に遠い目を向けるシーンは、”なぜか”物凄いなつかしさを感じさせる。”僕もどこから来たか忘れてしまった、これからどこへ行くのかも、もともと知らなかったのかもしれない”というセリフがある。ヒトの持つ永遠の罰の1つ”忘却”。私たちは、思い出しているだけなのかもしれない。未来の記憶か、過去の記憶かは、わからないけれど。全ての存在の”名前”を。
なんてゆーふうなことまで、自由に考えさせてくれる全くの自由を持つ作品だと思う。いや、”わたしが全くの自由を持っている”ことを証明してくれる作品であるかもしれない。
それ、プラス、青年兵士のイケメン度が最高すぎる。イケボイス度が最高すぎる。
押井守監督最高!音楽・作画スタッフさん最高!根津さん、兵藤さん最高!
レ・ミゼラブルのコゼットみたいな絵だ。
つまり、人類は何一つ進化すること無く、滅亡すると言う事か?
いやいや、その後に人類は再生するって事か?
いずれにしろ、ノアの箱舟とディストピアの関係って事かと推移される。しかし、なんか、エロい感じも漂わせる。押井守先生の話って、もう少し多弁だったと記憶する。このくらい、台詞を削ったのなら、いっそのこと、サイレントにすれば、なお良かったのにと僕は感じた。
兎も角、レ・ミゼラブルのコゼットみたいな絵だ。
タイトルなし
難解コア〜な感じだけどこういう作品はおそらく考えるな、感じろってものだから雰囲気は自分にはとても刺さった。
力や破壊を連想させる重機や軍服、また少年の行動、思想はまさに男を象徴している。
また、少女のたまごをひたすら抱いて守る姿、また少年と行動を共にする時に魅せる眼差しやなびく髪は、女らしさを象徴させる。
色んな考察が自由にできる、抽象性の高い作品だった。
また陸に漂着できなかったノアの方舟という設定、退廃的な世界観が良かった。
素朴な希望を描く少年少女向けファンタジー
1 作品の方法論
聖書の創世記にあるノアの箱舟のエピソードを下敷きに、さまざまな象徴的事物を織り込みながら、不可思議なSF的ファンタジー世界とそこにおける少女と兵士の夢を描いている。
多義的な象徴と象徴の組合わせで構成されているから一義的な意味を見出すことは困難で、観客によって受け取るものが違ってくる。ここに示すのは筆者の受け止めたイメージと意味を基にした論評である。
2 作品の背景
下敷きとなった創世記のエピソードは次の通り。
〈エデンの園を追い出されたアダムとイブが子孫を増やした後、世に悪が蔓延する結果となったことから、神は人を作ったことを後悔して洪水により世界を滅ぼすことにした。ただ、正しき人ノアには箱舟で生き延びるよう命じた。洪水は「此日に大淵の源皆潰れ天の戸開けて、雨四十日四十夜地に注げり」とある。
大水はその後150日間地を覆い、箱舟は漂った挙句アララテ山で止まる。水が引いたかどうか確かめるためノアが飛ばしたハトは、オリーブの若葉をくわえて戻ったため、人は洪水の去ったことを知り、改めてこの世に繁栄していく。〉
しかし本作では、箱舟は大水の去ったことを知ることができないまま何世代も経てしまい、すでに化石化した動植物の中、ただ一人卵を抱えた少女が住んでいる。
少女は洪水の去った山裾に下りていくが、そこには何故か発達した文明があり、戦車らしきものが轟音とともに走ったり、幻の魚を追う住民がいたりする。
3 さまざまなシンボルの意味するもの
鳥は希望の象徴、魚は富と幸福の象徴、卵は生命の復活を象徴している。卵を抱えて荒廃した街並みを彷徨う少女は、新たな生命を孕む可能性を身内に秘めて子供から大人に移行しつつある人間を意味する。
そこから読み解いていくと、街の住民は戦車の行進や幻想の魚の補足に忙しいが、これは戦争や富の追求にあくせくしている現代社会の比喩、「魚なんかいないのに」という少女の言葉はその批判である。
その街で生命の水や食料を得ながら歩き回る少女は、街に吞み込まれてしまうのかそれとも新たな可能性が開花するか未知数であり、結果は卵が割れるまで分からない。
冒頭で海に沈む目玉のような物体は太陽、さらに世界を照らす神を象徴している。機械装置のような形となっているのは、宗教がそもそも人間の創造物であることを示し、そこに居並ぶ像は聖人の群れである。
物語の間じゅうずっと神は隠れ、街は夜の帳に閉ざされたまま、人間は戦争や富の追求という悪に染まっている。街に雨が徐々に激しく降り注いでいくのは、神の怒りと次なる洪水の予兆だろう。
4 割れる卵と第二の洪水、そして箱舟
物語は以上のような舞台装置と登場人物を淡々と紹介した後、最後に急転し、兵士が少女の卵を突然割ってしまう。
押井が説明しているように、これは性交の暗喩であり、処女を失った少女が兵士を追って崖から転落し、水中の自分と合体するのは女性の成長と変身、つまり妊娠と出産を示している。
少女から大人になった彼女が水中で口から吐く泡は兵士の精子を受精した卵子で、それら無数の卵は鳥という希望を孕む。
他方、荒廃した街は水に沈み、恐らくはノアの箱舟のときと同じく、滅ぼされていくのである。
最後に太陽が海から昇ると、そこでは聖者の中心に少女の像が据えられている。聖人となった彼女が空から世界を照らすと、闇に浮き出た世界はあたかも箱舟のような形であり、そこには少女の産んだ無数の卵が木に抱かれて鳥の孵化を待っている。
ここに描かれているのは、たとえ世界は荒廃の中に沈んでいても、少年少女たちは未来に飛翔していく希望を宿しているという肯定的なビジョンであろう。
5 解読と鑑賞
以上のように解読してはみたが、それが押井の意図に合致しているかどうかはわからない。表現されたものをいかに受け止めるかは、鑑賞者にゆだねられているから、正解や不正解ということもない。
その上で鑑賞の感想を述べるなら、これは少年少女向けの希望のメッセージを秘めたファンタジーであり、晦渋を極めた方法の割に、そして押井にしては殊勝なことに内容が案外素朴である。映像は美しくさまざまな象徴が入れ代わり立ち代わり登場する面白さもある。
しかしながら意味を離れて観客を魅了するにはいたらないため、メッセージの名宛人である少年少女が最後まで混み入った象徴の織物の前にいてくれるかどうかは、残念ながら疑わしい。徳間書店にはお気の毒様と言っておこうw
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