「触れること」ぼくたちのムッシュ・ラザール ミカさんの映画レビュー(感想・評価)
触れること
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担任のマルティーヌ先生が教室で突然首を吊って死んだ。後任の代理教員として選ばれたのは中年のアルジェリア系移民である「バシール・ラザール」だった。
この作品は、子供達とラザール先生が「触れる」ことが「できる」までを描いています。
子供達は、「マルティーヌ先生の死」に触れない様に生活しています。また、ラザール先生も学校の規則から、子供達をハグする様な身体への接触を禁止されています。
心も身体も「触れる」ことが許されない。
そんな閉塞感のある教室で、子供達はマルティーヌ先生への本当の気持ち、マルティーヌ先生が大好きで、自殺したことに自責の念を感じていることを吐露します。ラザール先生にも、触れたくない過去があります。そして、そのことが原因で遠いカナダへと移民申請をしていました。
ラザール先生は、子供達の気持ちに「触れた」ことによって、悲しい過去を自ら作った「木とさなぎ」という寓話にして昇華させます。
「さなぎ」は明日にでも蝶になり、木から羽ばたきそうだ。
木は成長を喜ぶ反面もっと一緒にいたいと願っていた。
しかし、火事で「さなぎ」は蝶になる前に死んでしまった。
木は悲しみでいっぱいだが、心に描く自由に飛び回る蝶の話を「鳥達」へと話す。
木の愛を知る大切な者の姿を。
「さなぎ」を亡くしたラザール先生。
生かされているからこそ「鳥達」に「愛する者の姿」を伝えることが出来るのです。そして、死者にもまた、生きている者を生かすというミッションがあるのです。
お互いの気持ちに寄り添いながら大切な人の死に「触れる」ことによって、生まれ落ちた信頼。
ラザール先生は子供達と初めて会った時にこう言います。
「君たちと会えて幸運だよ」
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