ぼくたちのムッシュ・ラザールのレビュー・感想・評価
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ストレートではない回りくどい文法のような表現
深掘りしない、というか、核心には触れない、というか。
もちろん、担任の自殺と生徒たちが負った傷、主人公の問題などをうまく描いているが、全部寸止め、そこから一歩踏み込まない。それを物足りなさととるか、受け止めやすく丁寧ととるか、でしょうね。
個人的には、ストレートではない回りくどい文法のような表現が鼻についた作品かな。担任の自殺は、病気の線とある生徒は自分の告げ口の線がある。ここ濁して成立する?なんだよ、病気て。生徒が絡むならもうちょっとそこ描けよ。そではないなら、そう描けと。なにも救われていない。
で、主人公は迫害を受けての難民うんたら、そこも雰囲気。放火で家族失ってる?端折るなよ、そこ。悲しく切ないことくらいはわかるが見る側に、わかってね、てシナリオは低評価かな。
ラストも生徒に自分のストーリーを聞かせるのかと思ったら、そこも回りくどい例え話笑。勝手にやってろ、て思ってしまった。
薦める本も凄い。
鑑賞直後に胸にグサリと突き刺ささってくる作品。
これは他国の出来事で、他国の教育事情で、移民問題なので
私たち日本人には関係ない、と思って観るのは大間違い。
少し前の作品なのだが、今日本が抱えている問題にも程近い。
モントリオールの小学校で朝早く登校した生徒が、教室で
自殺している担任教師を見つける(すでにこの部分でショック)
現場を見たのは仲良しの同級生、シモンとアリスなのだが、
彼らのその後は大きく変化する。そんな中、後任に採用された
アルジェリア系移民のバシール・ラザールが、傷ついた生徒達
と対峙しながら心を通わせ始めるのだったが…。
ドキュメンタリー?のような手法ながら、しっかりドラマに
なっている。さらなる問題は次々と彼らに降りかかってくる。
傷付いた子供達のケアはもちろん、授業も進めなければならず
こんな時に担任になるなんて普通でも大苦労するはずのところ、
バシールは独自の教育論と対話で子供達の心の垣根を取り払う。
しかし彼にも打ち明けていない重大な秘密があった。
それが露呈する後半(特に校長との会話で)一気にリアルな結末
が、一方的に突き付けられる。子供の心に寄り添い対話すると
いう重要な役割を担う大人にも、それぞれの事情や壁の存在が
あるのだと、感動教育ドラマなどという枠に留めていない展開
が新鮮で、こういう映画を日本でも道徳の時間に見せたらどうだ
と思ったくらい。バシールはもちろん、子供達の演技力も必見。
(子供の本心を聞き出すためには大人はどうしたらいいのだろう)
触れること
担任のマルティーヌ先生が教室で突然首を吊って死んだ。後任の代理教員として選ばれたのは中年のアルジェリア系移民である「バシール・ラザール」だった。
この作品は、子供達とラザール先生が「触れる」ことが「できる」までを描いています。
子供達は、「マルティーヌ先生の死」に触れない様に生活しています。また、ラザール先生も学校の規則から、子供達をハグする様な身体への接触を禁止されています。
心も身体も「触れる」ことが許されない。
そんな閉塞感のある教室で、子供達はマルティーヌ先生への本当の気持ち、マルティーヌ先生が大好きで、自殺したことに自責の念を感じていることを吐露します。ラザール先生にも、触れたくない過去があります。そして、そのことが原因で遠いカナダへと移民申請をしていました。
ラザール先生は、子供達の気持ちに「触れた」ことによって、悲しい過去を自ら作った「木とさなぎ」という寓話にして昇華させます。
「さなぎ」は明日にでも蝶になり、木から羽ばたきそうだ。
木は成長を喜ぶ反面もっと一緒にいたいと願っていた。
しかし、火事で「さなぎ」は蝶になる前に死んでしまった。
木は悲しみでいっぱいだが、心に描く自由に飛び回る蝶の話を「鳥達」へと話す。
木の愛を知る大切な者の姿を。
「さなぎ」を亡くしたラザール先生。
生かされているからこそ「鳥達」に「愛する者の姿」を伝えることが出来るのです。そして、死者にもまた、生きている者を生かすというミッションがあるのです。
お互いの気持ちに寄り添いながら大切な人の死に「触れる」ことによって、生まれ落ちた信頼。
ラザール先生は子供達と初めて会った時にこう言います。
「君たちと会えて幸運だよ」
教育とは
繊細な子供達の心境の変化を上手く掬い出しスクリーンに映し出す。
鑑賞後には否が応にも教育について考えさせられる。
若い自分が言うのもなんだけど、是非親や教師など教育者に観て欲しい。学校で親と教師で鑑賞会してほしい位。
今の偏った教育を今一度この映画を通じて考えて欲しい。
癒えない心の傷
この映画において非常に動きは少ない。ほとんどが学校内の出来事だし、それ以外の場所もバシールの家ぐらいだ。だがこの映画に込められている人々の感情は画面内に収まりきらないほどだ。
バシールは代用教員として学校に来るが、現代のケベック州の学校において彼のやり方は全くそぐわない。基本的に体に触ってはダメで、叩くなんてもってのほか。彼はけっして良い先生ではなく、むしろ古風な教育に固執しているところさえ見える。
だがここが普通の「学校もの」とこの映画の決定的に違うところだ。普通なら「担任が自殺して、心に傷を負った子ども達を新任教師が少しずつ癒していく。」みたいなのを想像するだろう。しかしこの映画では何かが解決に向かうわけではない。なぜ担任が自殺したのかも不明だし、子ども達の心も完璧には癒えない。むしろバシールが来てからの子ども達、そして大人たちの感情の変化だけを丁寧に描いている。
だれもが事件に対して衝撃を受けているが、一応表面的には出さない。だけど少しでもきっかけがあれば、事あるごとに「自殺」の話に向いていく。子供も大人もだ。特に自殺した先生を目撃したアリスとシモンの演技力が巧みだ。彼らは事件に対し、正反対の姿勢を貫いている。アリスは落ち着いて自分を客観的に見て、バシールが来たことにより心を癒そうとする。しかし元々問題児として扱われてきたシモンは心の落ち着きを無くし、次第に暴力的になっていく。 大人たちはみな事件をぶり返したくなくて、シモンを助けるのではなく見放そうとするのだが、この時のバシールの対応が彼の性質を一番表している。事件そのものを見ていない彼は平気でその問題に触れ(たとえ生徒の前であっても)、むしろ解決を促すために話し合わせようとする。彼は子供を一人の人として見ているのだろう。彼自身も心に傷を負っていて、そのことから子ども達を救うことに固執するのだ。
先ほども言ったが、「自殺」の件は何も解決に向かわない。悲しいエンディングだが、それと共にとても感動的である。登場人物の感情の流れが手に取るように分かる何年かに一本の秀作だ。
(2012年8月26日鑑賞)
妻への追悼をこめて
今年(2012)のアカデミー賞外国語映画賞の候補作。カナダ映画。
原題:MONSIEUR LAZHAR
監督:フイリップ ファラルドー
キャスト
ムッシュラザール:モハメド フェラグ
シモン :エミリアン ネロン
アリス :ソフィーネ リッセ
ストーリーは
フランス語圏 モントリオールの小学校。
登校した6年生、11歳のアリスが、雪の積もる校庭の端っこで 教室が開くまで、ポケットのナッツを食べながら待っている。横に、そっとシモンが来て、アリスの前に手を出す。アリスはその手にナッツを乗せてやり、二人して食べている。自然な二人の様子を写すロングショットが続く。二人の間に会話はないし、互いに顔をあわせることも無い。しかし観ていると 二人がとても気のあった仲で、いつも一緒に居ることがわかる。他の子供達は校庭でボールを投げあったり、ゲームに興じている。
アリスがシモンに、「牛乳当番でしょ。」と言う。そうだった。シモンはあわてて走って校内に入り、給食室からクラス人数分の牛乳を取り出して、教室に運ぶ。そして、シモンが教室の中で見たものは、大好きな受け持ちのマルテイーヌ先生が首を吊って死んでいる姿だった。
走ってシモンが教員室に駆け込み、先生方はあわてて生徒達を構内から立ち退かせる。しかし、アリスはシモンのすぐ後を追ってきていたから、教室を覗いてしまう。シモンが大好きだったマルテイーヌ先生は 自分の青いスカーフで首を吊っていた。
教室のペンキが塗り替えられ、クラスの子供達には専門の心理療法士がやってくる。しかし、事件が新聞に載ってしまったので後続の先生がなかなか見つからない。
そこに、アルジェリア出身で、ケペックで19年間教師をしていたという、ラザール先生がやってくる。警察との対応や社会的責任を問われ、子供達の父兄達からも厳し追求されて傷心だった校長は、物腰穏やかなラザール先生を雇用して、クラスを担当してもらうことにする。
ラザール先生は教室で円形に広がっていた子供達の机を 前後縦横にきちんと並べ替えさせる。最初に子供達にさせたことは、バルザックの書き取りだ。授業中ふざける子供をパシンと軽くたたいて諌め、姿勢の悪い子供には正させる。先生の古典的な教え方に、生徒達はざわめく。
さっそく校長はラザール先生を呼び出して、子供に体罰はおろか、触れることも、頭を撫でることも、抱いてやることも学校では禁止されていると言う。自分達の担任の先生が、子供達の教室で自殺しことで、子供達が傷ついていないわけがない。しかし校長は 起きた出来事について、心理療法士以外の人が、話しても触れてもいけないと言う。子供達はマルテイーヌ先生のことを 心理療法士以外の人に話すことも 子供同士で話し合うこともできない。誰も、何もなかったのように口をつぐんでいた。一方、ラザール先生は同僚とも穏やかな良い関係を持ちつつ、クラスを運営していく。冬が去り、春がやってくる。子供達は何も問題がないかのようだ。だが、シモンだけは、乱暴な生徒として、問題児になっていく。
ある日、シモンが大切に肌身離さずもっていたものが、マルテイーヌ先生の写真だったことがわかって、クラスは再び揺れ動く。アリスはみんなの前に立って、語り始める。乱暴はいけない乱暴はいけない、と大人は言うけれど、マルテーヌ先生は青いスカーフで首を吊って死んだ。これこそが乱暴だったではないか、と。アリスの発言を切っ掛けに、シモンは 一人きりで今まで自分の中に秘めていた思いを一気に吐露する。「マルテーヌ先生は僕を抱きしめた。その先生を僕は突き飛ばしたんだ」。と言って泣きじゃくる。マルテイーヌは次の朝、シモンが牛乳当番で早く教室に来ることを知っていて、首を吊っていた。抱きしめられて、突き飛ばしたシモンは、先生の自殺が自分のせいだと思い込んで ずっと自分を責めていたのだ。アリスはシモンがどれだけマルテイーヌ先生が好きだったかを知っている。シモンが特別の先生に可愛がられていて、抱きしめられたのに思わず突き飛ばしてしまった複雑な少年の心も、アリス自身の嫉妬に似た感情にも気がついていた。
マルテイーヌ先生の自殺の原因は誰にもわからない。ただ、死後彼女の荷物を夫が取りに来なかったことだけが分っている。
ラザール先生は再び校長に呼ばれる。
19年間教師だったというのは嘘で、あなたは難民ではないか、と。ラザールはアルジェリアでカフェを経営していた。先生だったのは妻だ。自分の国は独立後も長期にわたるフランスの殖民によって、国内では宗教対立や社会動乱が続いている。ラザールは難民としてカナダに渡り 自国で迫害をうけている難民認定を受け、人道的配慮から家族を呼び寄せて移民する過程にいた。そのための家族のパスポートがそろい、ようやくカナダに向けて出発するその夜に、家族の住むアパートが放火され、ラザールの家族は全員殺された。彼は妻と二人の娘を失ったばかりだったのだ。しかし、怒り狂っている校長は ラザールに解雇を言い渡す。
最後の日、いつも通りにラザール先生は、生徒達に向かって何ら変わりない様子で授業する。最後に簡単に、さよならだけを皆に言って、誰もいなくなった教室、、、アリスがひとり、戻ってくる。無言でラザールはアリスをしっかり抱きしめる。
というお話。
子供が主演する映画で、子供達の純真さに触れて 思わず泣いてしまうことがあるが、この映画でも誰もが涙ぐむのではないかと思うシーンが二つある。ひとつは、シモンが「マルテーヌ先生が抱きしめたのを、僕が突き飛ばした。そんなことして欲しくなかったんだもん。嫌だったんだもの。」と泣きじゃくりながら告白するシーン。それと、最後の、大好きな先生との別れが悲しくて教室に戻ってきたアリスをラザール先生がしっかり抱きしめるシーンだ。せっかく、自分たちの心を受け止めてくれる後続の先生が来てくれて、アリスもシモンも心を開きかけたところで、二人ともまたしても先生を失うことになるのだ。
徹底した管理社会である学校。校則が優先する冷徹な社会。生徒達が大好きだった先生が首を吊った教室で、その後何事もなかったかのように授業を受けなければならない子供達。妻も娘も宗教的対立によって焼き殺されて、二度と家族に会うことが出来ないラザール先生。あまりに厳しく、凄惨な現実。
カナダ映画だがフランステイストの映画で、画面で描く詩のような作品。極端に会話が少なく、説明がない。観ている人の想像力で、辛うじてストーリーがつながっていく。想像力の無い人には見終わっても、話しが、見えてこない。一緒に観たオットは 「なんにもわからなかった」 と言っていた。ラザール先生が愛するバルザック。映像の詩人といわれるフランソワ トリュフォーの映画にも バルザックが出て来る。監督がトリュフォーに傾倒していることがわかる。カメラショットが似ている。
アリスは先生に 自分の愛読書、ジャック ロンドンの「ホワイト ファング」や「野生の叫び」を持ってきて読んでもらう。彼女はジャック ロンドンのような冒険小説にはまっている。そして、バルザックの書き取りをさせる先生のことを、シモンと一緒に笑う。それはそうだろう。日本で言えば、5年生に樋口一葉や森鴎外を口述筆記させるようなものだから。
物語の背景に過酷なカナダの移民政策がある。カナダもオーストラリア同様に移民でできた新しい国だ。人口3400万人、日本の4分の1の人々が広大な土地に居り、毎年人口の1%を移民として受け入れる準備がある。しかし、欲しいのは専門技術をもった高学歴の健康な独身者だ。家族呼び寄せ移民は、年寄りや病弱な子供が来るので 保健医療予算を圧迫するから欲しくない。また難民移民は内戦や紛争で引き裂かれた国から来るので、精神病やアルコール中毒、薬物中毒者が多く暴力事件も起こしやすい。家族ビザも難民ビザもカナダ政府としてはあまり出したくない。
そんなことから、ラザールも 妻と娘達がアルジェリアで迫害されていた事実を認めながらも それでももうアルジェリアは安全で平和になっていてラザールが帰国しても問題ない、などと移民審査官は言う。また、学校の校長が軽蔑をこめて、「あんた難民じゃない。」と破棄捨てるように言う。難民のどこが悪いか。誰も好きで難民になったわけではない。
ラザール先生は もし自分の妻が生きていて、アリスやシモンのクラスを担当したらどんなことをしただろうか、といつも考えながら、担任の先生を失った子供達に接していたに違いない。ラザールのところに、アルジェリアから小包みが届く。家族全員、家ごと焼かれてしまったので、形見の品は 妻が教えていたクラスの残っていた妻の教材だけだ。それをラザールは自分のクラスの子供達のために使う。それがラザールなりの、妻への追悼だったのだ。
会話が極端に少なく、説明もない。黙示劇のように子供達の表情だけで、その背景を読まなければならない。だから、人によって解釈が違ってくる映画だ。とても良い。わからないことは わからないまま、モーツアルトをバックに美しい映像をみているだけで良い。とても印象に深く刻まれる映画だった。
題材は暗いんだけど
フランスでも原題教育は無機質化しているようですね。
とにかく、いろいろなテーマが織り交ぜられている映画であることは確かかと。
テーマ自体に斬新さはないと思うのですけど、主人公の先生のバックグラインドやらは、さすがフランスは国際的ですね。
おすすめできます。
少し難しかったです…。
絶賛の嵐だからきっと素晴らしい映画なんでしょう…。
すみません、そこまで感じ入れませんでした。
多分、それは自分が勉強不足なため…?
難民問題やら、多人種問題やらたぶんいろいろな情勢を理解した上で見ると全然感じ方が違うんだろうな〜と。
ただ、ラザール先生と生徒たちの純粋な交流には感動しました。
たぶん、いい映画。けど疲れていないときにじっくり鑑賞することをお薦め。
古典的且つ斬新な教育ドラマ
「告白」になんとなく似ている雰囲気だと思う方が多いと思う。
中身のストーリーも少し似ていると僕も思う。
しかし、圧倒的に違うのが、一人ひとりキャラクターの細かい描写だ。
シンプルにまとめあげた叙情詩で、教育問題に疑問を投げかける。
少年の淡い恋心も綺麗に彩られており、見事である。
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