ベルフラワー : 映画評論・批評
2012年6月5日更新
2012年6月16日よりシアターN渋谷ほかにてロードショー
“張り裂けた胸”から噴出した“炎”がスクリーンを焼く残酷青春映画
金もコネもないインディーズの若手監督の最大の武器は、誰にも束縛されずに作りたいものを作る自由にある。なけなしの予算が許すならば、世界が崩壊するドデカい終末映画を撮ってもいいし、作り手自身の実人生を投影させた青春映画を撮ってもいい。そこでカリフォルニアの新人監督エバン・グローデルがありったけの情熱を注いで完成させたのは、世界終末私的青春映画というべき壮大で、ちっぽけで、みずみずしく、屈折した異色作であった。
鬱屈した孤立感を抱いている若者にとって、価値観を共有できる異性との出会いはかけがえのない奇跡のようなものだ。その初めての本気の恋が相手の裏切りによって砕けた瞬間、主人公ウッドローの現実世界は呆気なく崩れ出す。「俺はもう駄目だ! 脳がイカレちまった。体中が傷だらけだ。胸は張り裂けた」。
このうち最も重大な3つめの“張り裂けた胸の痛み”の映像化こそが、この映画の核心である。自ら主演を兼任したグローデル監督は、定職を持たないグータラ青年ウッドローに火炎放射器を握らせ、憎らしいほど愛した女もこの世界もすべて燃やし尽くさんとする憤怒の暴走を描いた。ところがウッドローの行く末には、混乱また混乱、そして呆然とするほど惨めな結末が待ち受けている。はたして“張り裂けた胸”から噴出した“炎”は、いったい何を燃やしたのか。この焼け焦げた終末青春映画は、まさにインディーズの新人監督ならではの猛り狂った情動の結晶である。
(高橋諭治)