J・エドガーのレビュー・感想・評価
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情報は力 〜 僕を ”エドガー” と母はそう呼ぶ
8代ものアメリカ大統領に仕えた初代FBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーをレオナルド・ディカプリオが演じる。青年期から亡くなる迄の風貌の変化も見どころか。ディカプリオは感情表現が巧い。
J・エドガーの右腕クライド・トルソンをアーミー・ハマーが演じる。立ち居振る舞いのスマートなクライドに目を留める J・エドガー。二人の関係性が時々で変化していく様をリアルに描く。
時に厳しく諭す母親アニーをジュディ・デンチが、生涯秘書として支えたヘレン・ガンディをナオミ・ワッツが演じる。
アダム・ドライバーが給油所スタッフとして出演。エンドロールでCAST96名が連なる名前の79番目の記載でした。
自身の半生が映画で赤裸々に描かれるとは夢にも思ってもいなかったでしょう。
ー 教養と健康な身体、そして何よりも忠誠心だ
ー 機密ファイル
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
FBIを作った男
ジョン・エドガー・フーバー、フーバーFBI初代長官はテロや暴動、凶悪犯罪に対処する為、科学的捜査手法を使った広域かつ強力な警察組織を作った近代警察の多大な貢献者であることは間違いないだろう。勿論、目的の為には手段を選ばない権謀術数ぶりは褒められたものではない。
肝心の秘密の個人ファイルは秘書の手によって破棄されてしまっているので真贋のほどは解らないが、権力者が官僚を私的利用する方が当たり前の時代に官僚の方が大統領や司法長官を牛耳るなんて大した策士ですね。
映画では踏み込んでなかったがニクソンは対立候補の弱みをフーバーに調べさせて選挙運動に使っていたらしい、結局使い捨てにされるのは官僚の宿命なのだが、フーバーの真似をして盗聴で失脚するのも因果応報と言えなくもない。
同性愛者かどうかも噂の範疇らしいが脚本のダスティン・ランス・ブラック自身がカミングアウトしている人だけに妙に事細かに描いていましたね。
個人的には秘書を務めたヘレン・ギャンディとの仲が不可解、何故、あんなにフーバーにつくしたのだろうか、真相を知りたいが皆亡くなられてしまったのでこれまた闇の中。
実話好きのクリント・イーストウッド監督だからそれなりにリサーチはしていると思われるがFBIを作った鉄の男が実はマザコンでバイセクシュアルという、一皮むけば実に人間臭いという解釈も興味深かった。
FBI長官であろうと、人間がしっかりとしたたかに生きるには愛と同志が要る
8代の大統領に仕えたFBI初代長官J・エドガー・フーバー(1895〜1972、1924〜1972まで長官職)の生涯を、ファイリング術体得、科学的捜査機関としてのFBI組織の創設、長期間権力維持の方法、秘書ヘレン・ギャンディとの長期の同志的関係、母親との濃厚な関係性、副長官クライド・トルソンとの恋愛関係等、多面的に描いた映画。
長所も短所も、善も悪もそのまま、一人の歴史的人物の真実の姿を、出来るだけ描こうとするイーストウッド監督の姿勢に敬意を覚えた。同時に、一つの分野の米国史にもなっていて、大変に興味深かった。
クリント・イーストウッド監督による2011年公開の米国映画。脚本はダスティン・ランス・・ブラック(2008年ミルクでアカデミー脚本賞、同性愛者であることをカミングアウト)、撮影がトム・スターン(硫黄島の手紙等撮影で知られる)、音楽がクリント・イーストウッド。配給はワーナー。
主演がレオナルド・ディカプリオ、他ナオミ・ワッツ、アーミー・ハマー、ジョシュ・ルーカス、デュディ・デンチらが出演。
秘書ヘレン・ギャンディを演じたナオミ・ワッツの抑えた、しかし計算し尽くされた演技が素晴らしいと思えた。プロフェッショナルとしての彼女の上司への忠誠心や思い遣り、そして葛藤、同志としての共感が感じられた。イーストウッドによる背景のピアノが奏でる音楽も良い。
主演レオナルド・ディカプリオは写真で見る実在のフーバにそっくりで驚いたが、そっくりにすることに演技の主眼を置いた印象で今ひとつ。また、クライド・トルソン演じたアーミー・ハマーも、老年期のメイキャップ及び動作障害の演技が不自然で感心せず。
ただ、吃りをそして弱さを克服しようと自身を叱咤激励しながらの科学的捜査機関構築の奮闘努力。ゲイを悪とみなし決して許さない古くて強い母の下、紆余曲折はありながら長期に渡り二人の深い愛を継続させた。その物語・描写には、リアリティと人間がしっかり生きるには愛が重要との強いメッセージ性が感じられた。
殴り合いの告白
人柄も功績も賛否両論ある人物を主人公に据えると、一体どんな作品になるのだろうと思って観ました。
タイトルに”Hoover”を入れていないのも、「あの」Hoover長官ではなく、孤独なひとりの人間として描こうとしたのだと思います。純粋な愛国心溢れる貢献者なのか、それとも権力者達を影で操る独裁者なのか。謎に包まれた私生活も作品の通りかは分かりませんが、本人を含めごく数人しか真実を知らないのですから、断定を避けつつ、公平な推測に基づいて表現するのは苦労したことでしょう…。全体的には少々地味な作品でした。
万人に愛される人ではなかったけれど、それでも最愛の人はずっと側にいた(*´∇`*)。
ゲイの脚本家だから書けたロマンチックな同性愛。
“I need you, Clyde. Do you understand? I need you.”
“On one condition: Good day or bad, whether we agree or disagree, we never miss a lunch or a dinner together.”
映画では 悪者が多い フーバー長官 ディカプリオという事で見てみた...
映画では 悪者が多い フーバー長官 ディカプリオという事で見てみた FBI設立前の1910年代は実際 共産主義革命が起き アメリカにもテロが多発してた歴史を知る フーバー側からの視点の映画はなかったので 楽しめた
だが 後半はゲイのプラトニックラブ話へ
ビックリの展開だが フーバーがなぜ これほど 「取り締まり」に執着したか…に納得
また マスコミを用いての宣伝戦略や情報を集中して握る事で権力を持ち やがて 腐敗していくのは どこの国も同じ
まさか 結婚されてるけど 子供がいない 日本のあの人も…
ディカプリオがやりたかったことの集大成、たぶん
FBIはだれでも知っているが、その創始者フーパーについて知る人は、日本にはほとんどいないだろう。もちろん自分も含めてだが。
そのフーパーの人となりというのだろうか、映画を観るにつれて思ったのは、ここに描かれているフーパー像は、おそらくディカプリオがこれまでに映画でやりたかったことの集大成に違いない。
(ほぼ)同年代ということもあり、デビュー当時からずっと応援してきたディカプリオ。彼はこの映画で、これまでやりたかったことをきっとほぼすべてやり遂げることができたに違いない。そう思ってつい「泣ける」にチェックを入れてしまったが、フツーにこの映画を観て「泣く」ことはまずない。たぶん。
昔から老け役(というか役の晩年とか)を自分でやるのが好きだったディカプリオ。かつては、ただ付け髭を付けただけで童顔がよけいに目立ってしまったとかずさんな仕事ぶりが多かったが、今回の老けメイクにまるで違和感がなかったのは彼が年取って自前で老けてきたからなのか、それともメイク技術が格段に向上したからなのか……そう思うとまた目頭が熱くなる。
しかし泣く子も黙る「FBI」の権力者なんて、はたから見たら超絶エリートで近寄れんはずだが、やっぱり人っていろいろあるのね~、天は二物三物与えても必ず一つは奪うのね~などとしみじみ思ってしまう。最初らへんのナオミ・ワッツ扮する秘書(最後までナオミだと気が付かなかった)との最初のデートでいきなりひざまずいてプロポーズし、こっぱみじんに断られるシーンは妙に哀れを誘い、また泣けてしまった。
エリートも屈折してんだな~、エリートって完璧じゃないんだね……そうだ、人って完全無欠じゃなくっていいんだ、弱みがあってもいいんだ……とこの映画はきっと勇気を与えてくれる。んなわけないか。
でも最後は、フーパーが心から分かり合えるパートナーに出会えて本当によかった。床に倒れているディカプリオの腹のたるみ具合が、別の意味でまた涙を誘ったが。
「FBIはじめて物語」
FBI初代長官の話。今までほとんど知らなかった。途中からは「FBIはじめて物語」「FBIを作りあげた男」というサブタイトルを自分で勝手につけて観るようにすると入り込めた。無理やり日本のイメージで言えば、警察がなかったころに警察庁という組織を作り上げたようなもの。「8人の大統領が恐れた男」は、3. のことを言っているのだろうけれど、大統領全員との生々しいやりとりが描かれているわけではないので(そうするといろいろ問題があるのかもしれない)、ちょっとずれたコピーだなと感じる。
1. 国会図書館のすべての資料に対応した目録カードをつくり、管理できるようにした(無整理情報のデータベース化)
2. 犯罪現場の指紋をとるなどまったくされていなかった時代から、それを重要視するようにした(指紋のデータベース化)
3. FBIとして "公式の" 人物データベースを公称して行うと同時に、政治家個人のスキャンダルを(過去までさかのぼって)別の極秘ファイルに集めて、いざというときのカードにしていた(公的権力+フィクサーという2本柱、または飛車+角)
主人公のレオナルド・ディカプリオが議会で朗々と語るシーンが何度かある。特に、リンドバーグ法を成立させるために、冷静でよどみのない、演説のような証言シーンに2分くらい使っていた。字幕翻訳の人も大変だったろうなと思いつつ、ここは聞き応えがある。また、最初のほう、国会図書館の室内を真上から見下ろすカットもなかなか。本物なのかはわからないけれど、「SP 革命編」の国会議事堂(よく見ると惜しくも作り物とわかってしまう)に比べると、かなり "本物感" があった。
ただ、特に前半、いい意味でいえば「抑えた色調」なのだけれど、全体の色味が地味なために、視覚に訴える起伏が少なくてちょっと退屈だった。たとえば、捜査員のコートはグレーか黒、せいぜい濃い茶色。自動車や建物は、もう少し明るい色調のものも絶対にあったはずなのに、出てこない。しかしこれも、口ひげがあるだけで捜査員を解雇したとか、華美な服装を極力排した、というエドガーの厳しいポリシーを示していたのかもしれない。
秀逸な映画(・∀・)イイネ!!
初代FBI長官のフーバーを主役にした、実話をもとにした映画なわけだけど・・・
ほんとにこんなことしてたのかこいつらは!?という感じです(゚∀゚)アヒャ
フーバー長官は司法省の諜報機関であるFBIを強力な組織に仕上げるため、職員の私生活を徹底的に調べ上げ、不倫してる者、同性愛者、借金てる者、さらには身長や体重、そして薄毛の者を次々に解雇していった。
代わりにアメリカ全土から優秀な警察官を採用して、とにかくFBIを格好いい英雄的存在として世間に印象付けていく。
フーバー長官は人種差別主義者であり有色人種をほとんど起用しなかった。
キング牧師暗殺やケネディ大統領暗殺もフーバー長官の差し金という説がまことしやかにささやかれるのもうなづけますな(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚ )スペシャルウン
イーストウッドはこの映画の中では「恐らくこいつが全部裏で糸を引いてたんじゃねえか?」程度にとどめておいて、断定的な描き方はしてない。
なぜなら証拠が何もないから(;・∀・)
このフーバー長官、様々な粛清や弾圧をしておきながらも本人はバイセクシャルであり女装癖もあったということが分かってる。
そして腹心として起用したクライド・トルソン、そして秘書のヘレン・ガンディも同性愛者だったことも分かってる。
つまりセクシャルマイノリティのこの3人が、アメリカの権力を一手に担ってマイノリティを弾圧しまくってたということ(゚∀゚ ;)タラー
それだけじゃなく、大統領をはじめとする政治家や財界人、芸能人などを監視したり盗聴したりしていて、歴代の大統領はフーバー長官の意向に従うほかなかった。
こうした恐怖政治を実に50年近く、死ぬまで長官の座にとどまって続けていたガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
科学捜査を導入して検挙率を爆発的に引き上げたという功績もあるが、その裏でやってることは権力を維持するための脅迫や弾圧という、実に表裏の激しい人物。
映画はそんなフーバー長官が自分の武勇伝を話す形で進行するけど、もはや何が嘘で何が本当なのか分からないくらい逸話の多い人物で、自分でも何が本当なのかも分からないくらい混乱していることが、過去のエピソードが時系列も関係なくどんどん挿入される形で映される。
ディカプリオの熱演ぶり(・∀・)イイ!!
年取ってからのフーバー長官の佇まいと言い、実に見事に演じてる。
トルソン役のアーミー・ハマーもΣd(゚∀゚d)イカス!
ぱっと見た目はイケメンでスタイルも良く、切れ者っぽいいでたちなのに、その口から「昼食か夕食は常に一緒に・・・」とフーバー長官に言う時に「・・・あれ?(;・∀・)」っていう感じが実に絶妙(゚∀゚)アヒャ
ただ年取ってからの特殊メイクがちょっといかにもメイクっていう感じでちょっとな~(;´Д`)
2人で旅行に行った時にホテルで痴話げんかをするシーンも良かった(・∀・)イイ!!
あれは実際に記録が残ってるそうで、部屋中を破壊しまくったというのも事実らしい。
トルソンが持ってくるハンカチが、この2人の間の距離感と言うか感情の動きを表すという流れもイイネ♪d('∀'o)
トルソンが脳梗塞で倒れてから、そのハンカチを渡して「今夜家に来なさい」と言ったものの、その直後フーバー長官は自室で死んでしまう。
その死体をこれでもかというほど醜悪な老人の死体に見せる。
フーバー長官は最悪な人間だったかも知れないけど、トルソンとガンディにとっては大事な人だった。
死んでからフーバー長官が持ってた極秘文書を何日もかけて全部シュレッダーにかけるシーンも、フーバーにプロポーズされて以来ずっと秘書として仕えることで一途に貢献したガンディだからこそ。
近代アメリカ史を学ぶ材料としても秀逸な映画ですね(^_^)
ディカプリオである必要はあったのか…
いまいち何を描きたかったのかが見えてこないまま終わった気がしました…
んー、たぶんエドガー・フーバーという1人の男についてだと思うんですが、どうも消化不良というか、それだけ複雑で描くのが難しい人物だったということか。
同性愛もマザコンも、そうなんだ…とは思うけれど、やはりそれが仕事面にどういう影響を及ぼしたのかということをもう少し描いてくれればなあ…と思った。
あくまでフーバー個人の内面に徹したのかもしれませんが、やはりFBIの創設者という人物である以上、政治や組織内でのあり方においても、なんらかの影響はあったのではないかと思うのですが。
あとはやっぱり老けメイクがやりすぎですね。
個人的に老けメイクというのは、限定的に使うものだと思うので、あそこまでほとんど老けメイクなら、年齢相応の俳優でやればよかったと思います。
メイクはよくできてるけど声まではごまかせないし、なんか最後まで違和感。そのせいで入り込めないというのもありました。
アーミー・ハマーのほうも、いかにも「老人を演じている演技」をしてるという感がぬぐえず…
まあ、皆さんがんばっていたのはわかりますけど…。
美術や衣装や照明ほか、画面作りはいつものイーストウッドクオリティで、もはや疑いない一級品ですが、そういうわけで今回はちょいと消化不良に終わりました…。
人間の葛藤を描かせればイーストウッドの右に出る者は無い!エドガーの心の明暗を軸に繰り広げられる人間模様が素晴らしい!
アメリカ近代史に於いて、J・エドガーの存在は不動の者として歴史にその名を残している。そんな彼の一生を描いたのが本作だが、この作品でイーストウッドは政治とアメリカ社会で万人の安全に最も影響を与えたその人、エドガーを一人の只の悩み多き、生身の人間として描き、万人が皆そうであるように、エドガー自身もあらゆる矛盾の中でもがき、さまよい、悩み苦しみ、その生涯を生きた人間として描ききった。
現在も現役で、80代を生きるイーストウッド、彼でしか描ききる事が出来得なかった、人間が生きることに対する変わらぬ、愛の眼差しが深く、優しさに溢れた秀作であった。
そして60年もの長きに及ぶ一人の生涯の姿をダブルキャスト無しで、一人で演じる事に挑戦した、俳優レオ様の勇気に脱帽した。そればかりか、国家の安全保障を握るFBI長官職に半世紀も居座り続けた怪物的権力者としての強者の公の顔、男として仕事の世界で、最高位に登りつめ成功を収めるその一方で、ゲイである事をひた隠しに生きる、恐怖に怯える孤独な淋しいプライベイトの顔を持つ弱気な男の顔。これ程気持ちの揺れ幅の大きい人間も珍しいと思うが、その内面の心の葛藤を表現する事に挑んでいる俳優レオ様の役者魂に引き込まれ、最後までアッと言う間にすぎてしまう2時間だった。
そしてエドガーの個人秘書を演じるナオミ・ワッツ、エドガーの右腕として副長官を務め公私共に生涯のパートナーであったトルソンを演じたアーミー・ハマーもレオ様と共に素晴らしい演技を披露してくれた。
そしてこの映画のもう一つの見どころは、日本で言えば大正中期から昭和40年代後半までのその時代時代の移り変わりを再現した街並みやオフィースのセットと共に、ファッションも見事だ!
私はファッションには疎いので、細かい分析が出来ないが、ファッションに関心がある人にとってこれは、近代の服飾史の良きテキストであるので、その変化を垣間見るチャンスとしても楽しい映画だと思うのだ。
仕事に生きるキャリアウーマンの走りであるヘレンの女性としての孤独、最愛の家族にも友人にも決してその胸の内を打ち明ける事が出来なかったエドガーの孤独、一生を愛するパートナーの際に居ながらその愛を分かち合う事を許されずに生きたトルソンの孤独、愛する息子を時代的社会背景の影響と、エドガーの公の立場を想いやっていた母の真実の愛故か、それとも、かたくなな道徳心故か、優しく我が子を胸の内に抱き愛する事が出来ずに口やかましい母親として存在し続けた母の孤独。
エドガーは心に決して理解される事が無いと言う、強烈な孤独の悩みを深く抱えて生きる人間故に、個人の権利の尊重より、より多くの万人の為に、国家の安全保障と言う理想に向かってひた走る事が出来た人なのかもしれない。
ヘレンがエドガーの死後残される極秘ファイルの処理を、彼の最後の願いとして受け止めて、訃報を受けた直後に、その極秘文書の総てをシュレットしてゆくヘレンの姿は、只、一途にその生涯を、ひたむきに仕事をする事を通してエドガーへの愛を貫いた女性の姿として、私の心に深く刻み込まれた。
冷徹な鎧。
今回のイーストウッド卿は、かなり冷徹に描いている。
ディカプリオの熱演(老けメイクね^^;)をよそに、どこか
遠くから眺めているような冷徹さに満ちている気がした。
そもそもが、エドガー(フーバー長官の方が耳慣れている)
擁護の内容にはなっていないし、とはいえ、
彼の人となりは十二分に感じ取れる作品になっている。
ただ、いつもの卿の映画ではないような、そんな感じだ。
「ヒアアフター」が、その後の震災で上映されなくなった時、
こんなにいい作品なのに勿体ない…と思った。
確かに大津波による恐怖は描かれていたが、その後の人生、
その足取りをしっかりと描いた作品であった。
私的にこのエドガーよりは、ドラマ性もあって良かったなぁ。
確かに彼の人生を知るうえではリアルで興味深い。けど、
どんな人間にもあるのであろう弱味や過信による虚癖を、
彼がどんな場面で行使していたかを、いつもの押しの強さで
ディカプリオは熱演しているが、その独壇場ともいえる彼の
弁舌が冴えわたるほど周囲は冷めていく…といったような、
つまり本人がどういう立場に見られていたかを観客で再現
させようという意図のもとで作っているかのような、冷徹で
突き放したような感が私にはあって、何か入り込めなかった。
どんな悪党にも、大バカ野郎にも、クソジジイにも(爆)、
大いに寄り添い(まぁ遠目になんだけど)見守る目線がどうも
今回の作品にはまったく感じられなかった。どうしてだろう。
聞くところによると、今回の卿は企画持ち込みの雇われ監督?
のような立場だったようで…あまり乗り気じゃなかったのか^^;
スコセッシと組めばとことん黒くなれたディカプリオなのにね。
まぁ相性の話をしてもしかたないのですが^^;
とにかくこのエドガー(やっぱりフーバー長官にしようっと!)の、
個人的な欠陥に深く深く入り込み、大偉を成し遂げた権力者で
あると同時に、いかにエゴが強くて他人に批判的であったかを
これでもかと掘り下げてくれる問題作。彼ほどでないにしても、
こういった鎧を纏わないと何も出来ない愚か者は多い気がする。
さりとて人間は(特に男性は?)、自分をより大きく見せることに
御執心になる生き物だから、その均等技を伝授してくれる側近
(彼らありきですね^^;)の存在は計り知れないほど大きい。
フーバー長官成功の源は、彼に就いてくれた二人にあると思う。
しかし…またゲイ絡みだったのねぇ^^;
必ずや一番!意地でもトップ!めざせ首位!…みたいに、
大きな期待をかければかけるほど、小さい頃から頑張るでしょう。
だけど一番大切なのは、一番をとった「あとの生き方」。
そこをきちんと教えないのは、親の欺瞞なんでしょうかね。
そう考えると、非常に勉強になる映画ではありました…(汗)
(だけど味方を得られたのだから、魅力あったのよね?きっと^^;)
やはりイーストウッドは天才
クリント イーストウッドが82歳で完成させた、新作映画「J エドガー」を観た。
48年間 アメリカ連邦捜査局局長を務めたジョン エドガー フーバーのバイオグラフィー。彼は、カルビン クーリッジからリチャード ニクソンまで8代の大統領のもとで、連邦捜査局長を務めたが、77歳で現職で死ぬまで、大統領よりも巨大な権力を維持した。「フーバーファイル」と名付けられた、政治家や実業家の個人秘密情報を持ち、いつ何時大統領の座を揺るがすこともできた。人種差別主義者で共和党最右派の立場から共産主義、社会主義、人種差別撤廃運動家、リベラリストなど、すべての活動家や政治家をアメリカ国家の敵をみなして弾圧した。
ストーリーは
1919年、24歳の若きジョン エドガー フーバーは、自分の上司である最高司法長官の自宅が、共産主義者によって爆破されるのを、目の当たりに目撃する。時に、ソビエト連邦国家建国の影響で、アメリカ社会もアナキスト、共産主義者による暴動が多発し、社会運動が活発化していた。弱体化した警察を横目に、エドガーはアメリカ政府を安全に導く為に 赤狩りを率先して行う。1日に4000人の共産主義者を検挙、活動家達を拘束するためには、非合法も手段も選ばず、殺人も厭わず、また理由をつけては国外追放し、徹底的に弾圧した。
その腕を買われて、彼は司法捜査局の責任者に、のし上がって行く。折りしも1932年に起ったリンドバーグ家の長男誘拐殺人事件がおき、州境を越えて、各州の警察権力を上回るパワーをもった連邦政府捜査局(FBI)の必要性を人々に認識させると 自分が局長の座に収まった。科学捜査の必要性を訴え何百人もの局員を配下に収めて事件解決のために指揮をとった。
1930年代、俳優ジェームス ギャグニーが エドガーをモデルにしたFBIとギャングの抗争を映画でヒットさせると、コミックでも盛んにFBIが登場し活躍するようになった。エドガーは服装にこだわり、部下たちにも上等な服や帽子を被ることを要求し、自分の心酔者だけを部下として大事にした。
私生活ではエドガーは自分のことを溺愛する母親に、頭が上がらない。母は女性に興味を持てないエドガーに、ことあるごとにホモセクシュアルが、いかに世間の物笑いになる滑稽で罪な存在であるかを言い聞かせた。そのため、エドガーは母親の期待に応えることだけが自分の生きがいとなり、自分の個人的な嗜好には目をつぶり 欲望を押しつぶして生きることになる。
出会ったその日に利発で美しいヘレン ガンデイーに心を寄せ、求愛するが その時に結婚よりも仕事を持ちたがった彼女を、生涯の個人秘書に抜擢する。そして、その後2度と彼女と結婚について話題にすることはなかった。
またエドガーは、長身、ハンサムな青年クライド トールソンが学生の頃から注目していて、半ば強引に自分の秘書官にする。やがて、FBI副長官に就任させ彼の右腕として、生涯の伴侶とする。二人は愛し尊敬し合うが、エドガーはクラウドの望みに応えることなく 生涯プラトニックな愛情を貫く。
FBI局長として絶大なパワーを持ち続け、エレノア ルーズベルトのレズビアン関係、ジョン、ロバート ケネデイ兄弟の女癖の悪い醜態やマフィアとの癒着、マーチン ルーサー キングの不倫、リチャード ニクソンの不倫など、スキャンダルな証拠をファイルに持っていて、関係者を震え上がらせていた。自分のバイオグラフイを口述していて、自伝を出版する気でいる。一向に引退する気はない。FBI副局長のクラウドが心臓発作で倒れるが、クラウドとの特別な関係は変わることなく生涯続く。
そんなお話。
印象深いシーンがふたつ。
一つは、初めて出会ったヘレン ガンデイーを夕食に誘い、その場でエドガーが、ひざまずいて求婚する、24歳の若さがはちきれんばかりのレオナルド デ カプリオの好青年ぶり。その場で求婚を断り、仕事をしたいと言ったヘレンが、10年後、20年後に忠実なエドガーの 個人秘書として仕事を一手にまかされてやっているが、ふと年をとっていく自分を省みて 2度と求婚しないエドガーの背に向かって深いため息をつくシーン。エドガーも年をとるが、ヘレンも白髪だ。そんなナオミ ワッツが エドガーの死を知らされるとすぐに、エドガー所有の個人ファイルを次から次へとシュレッダーにかける その背をまっすぐに伸ばした、毅然とした姿に心打たれる。
もう一つの印象深いシーンは、クライド トールソンの求愛のシーン。直裁で真摯な愛の求めに応じることが出来ないエドガー、、、それほどに強い母親によって「教育」され「抑圧」されてきたために、自分の心を解き放つことができないエドガーの痛々しい姿だ。自分の小児病的な「いびつ」さに 自から気が付かずに生きて死んでいく、そんなエドガーを心から慕い、愛してきたクライド ト-ルソンの これまた「いびつ」な愛の形、年をとり、もう働くことができなくなったクライドの額に 万感の思いをこめてエドガーがキスする。このシーンが とても泣ける。
エドガーがクライドに自分の右腕になってくれと頼むと、クライドは目を輝かせ、勿論ですと言い、条件がある、と言う。それは 良い日も悪い日も 二人の考えが合意できる日も出来ない日も、好きなときも好きでないときも、一緒にお昼御飯を食べるということだった。エドガーはこれに同意して、死ぬまでほとんど毎日、律儀にクライドとの約束を守って、クライドが倒れ、仕事ができなくなっても二人は一緒に昼食を取る。二人の関係は死ぬまで変わる事がない。
クライド役を演じたアーミー ハマーはとても良い。「ソーシャルネットワーク フェイスブック」で、ハーバード大学の エリート 双子のウィンクルボス兄弟を演じた役者だ。背が高く、美形。目が澄んでいて希望に燃える青年役にぴったり。彼の老い方も秀逸。足元がおぼつかなくなってエドガーよりも先に年寄りになってしまった姿も哀しくて、素晴らしい。
人間が描かれている。
8人の大統領に恐れられ 48年間休むことなく情報を手に入れアメリカの治安を思い通りに懐柔した怪物が 生身の人間として描かれている。結婚せず家庭を持たず、一生を仕事に捧げ、自分の信念を曲げようとしなかった。強いアメリカの中で、一番強い男エドガー。忠実な秘書と立派な右腕に支えられ生涯信念に生きた。そんな男が何と「もろくて壊れた心」を持っていたことか。 その姿が、ただただ 哀しい。
クリントイーストウッドの映画。タイトルを「フーバー」にせず、エドガーにしたセンスといい、このような怪物を映像化して、みごとに一人の人間を描き出した力量といい、やはり、イーストウッドは天才ではないだろうか。
いつもイーストウッドの映画を観ると、観た後で、ワンシーン ワンシーンが思い出されて、感動が深まっていく。いくつもの美しいシーンがよみ返ってきて、忘れられない。人間の喜怒哀楽をこれほど上手に映像で切り取って見せてくれる人は、他にはいない。
良い映画だ。
観てみる価値はある。
すごい人生だ
フーバーが情報管理システムを確立し、指紋認証システムをつくり、権力者の極秘ファイルを作成し裏の顔を調べ、五十年間にわたり長官でありつづけ、映画やラジオなどのマスコミを利用して、今のFBI映画のかっこいいイメージをつくるなど、アメリカにこんな人がいたんだと驚いた。それにものすごいマザコンで女装へきもあり、生涯にわたりトルソン副長官と心を重ね、最後にはトルソンの隣のお墓に入るなど、本当にすごい人だ。
微妙・・・
正直がっかりな映画でした。
話題性を作るためにディカプリオに爺さん役、ホモ役、マザコン役をやらせている様に感じました。
FBIの創設までの経緯やその後の運営の描き方についても、稚拙な描き方(というよりほぼ皆無…)に見えました。
ヒットするとしたら、主演と監督のネームによるものなんだろうなと…
映画館でわざわざ見るほどの作品とは感じませんでした。
普通の人だったんだな・・・
フ-バ-長官っていうと、どうも独裁的で、野心の溢れる暴君なイメ-ジだったんだけど、コンプレックスがあって、小心者のごく普通の人だったんだな。
イ-ストウッド監督の作る映画って、坦々に描く映画が多いんだけど、どうしても盛り上げに欠けるので、(但し、<許されらず者>は別格)あまり感動がない。映画として見た場合、どうしても物足りなさを感じる。
しかし、科学捜査の基本を作ったのも、この人なのだからやはり凄い人だったんだな。頭の硬い役人やら物欲な政治家達と渡り合えるには、やはり相手の弱みを握るしかな仕方なかったんだなと思えるようになった。
現代裏アメリカ史、その張本人の「愛と死」
「J・エドガー」@丸の内ピカデリー初日。監督の手腕もさることながら、注目は脚本、ガス・ヴァン・サント監督の「ミルク」の脚本家、ダスティン・ランス・ブラック。「J・エドガー」は実のところ、その「ミルク」と表裏をなす映画だ。
自身がゲイでもあるブラックは、「ミルク」で、同性愛者で初めて公職についたハーヴィー・ミルクを自分に正直な人間と描いたが、「J・エドガー」では自分に正直に生きることができず、内面に鬱積せざるを得なかった権力者、エドガー・フーヴァーを淡々と描いている。
そして映画は裏アメリカ史を飾る人物の伝記なのだが、むしろ屈折した心情を内面に鬱積せざるを得なかった人間の悲しみを描いている。自分を思っている同性パートナーでさえ、最後まで信じることが出来なかったのが、主人公の悲劇。自らゲイである脚本家の目はこの権力者には少し同情的。
それにしてもレオ様のBL場面は衝撃。隣席の女性はその場面できゃっと声をあげていた。エドガーの生涯のパートナー、クライドを演じたA・ハマーのレオ様を見る時の潤んだ瞳が悩ましい。N・ワッツの老け役が、一番違和感無し。
「ミルク」と構成が同じなのは、主人公に過去を語らせる手法。そのために過去と現在を突飛に行き来するので、全体に脚本自体がとっ散らかった感じはある。この作品の世界に入り込めるかどうかは、ここにあろうが、自分の場合それほど気にならなかった。逆にエドガーとクライドとの場面で過去から現在、現在から過去へスリップする場面は以下にも映画的だろう。
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